長半揃いました。


 もう夏かと思わせるような日がぽんぽんと現れるようになった。夏用の涼感スーツでちょうど良く、スリーシーズンのものではもう重く暑く感じるようになった。それならばいっそ半袖シャツにしてしまえばいいではないかとも思うのだが(すでに職場はクールビズに突入しており、ネクタイを外し上着を置いてくることを推奨している)、まだこの時期はちょっとした日の陰りや風向きの変化で気温がすとんと下がることも稀ではなく、ちょっとその勇気が出ない。実際に先日、クリーニングから帰ってきたワイシャツのビニールをやぶって見たらそれが半袖のもので、長袖を着ようと思っていたのだがそのまま夏まで置いておいて埃がつくのも嫌だからと着て行ったら思いの外気温の上がらない日で、職場で一日肌寒い思いをしてしまった。もちろん、ジャケットを羽織って行けばいいようなものだが、僕の中で半袖シャツは「上着を着ないためのもの」となっているのでそれはしたくない。となると長袖シャツになるのだが、最近は長袖シャツにジャケットではちょっと暑いという日が多いのだ。いっそのことジャケットなしの長袖ワイシャツで出勤すればと言われそうだが、僕の中の長袖ワイシャツは「ジャケットを羽織るためのもの」であるため長袖シャツにノージャケットで職場へもありえない。近年の10キロ減量のせいもあって以前のスーツはほぼ着用できず、その後に買った細身のスーツもそう数はなく、サマースーツは2着しかない。そうなればジャケットとパンツの組み合わせでローテーションを確立していくことが必須となるのだが、残念ながら今の体型にあう夏用のジャケットとなると麻のペラペラした感じのものになってしまい仕事の内容によってはあまり感心できない服装となる。


 というわけで仕事帰りに駅ビルのスーツショップに行き、サマージャケットを1着購入する。麻の他に綿とポリエステルが入っているため型がしっかりしており、ビジネスユースにも向いている。セール品をクーポンで1500円ほど割引してもらった。明日はこれを着て行こう。もちろん、下は長袖で。



 本屋へ。


色いろ花骨牌 (小学館文庫)


 『銀座百点』に連載された交友録エッセイの文庫化。登場するのは吉行淳之介阿佐田哲也尾上辰之助(初代)・芦田伸介園山俊二柴田錬三郎秋山庄太郎近藤啓太郎生島治郎の9人。とても昭和な人々で、10代の頃のテレビや雑誌で日常にあった顔ぶれなのがなんだか懐かしい。




 帰宅して、昨日本屋でもらってきた“岩波文庫創刊90年記念 私の三冊”という『図書』の臨時増刊号を手に取る。228人が自分にとっての岩波文庫の三冊を選んでいる。


 自分が選んだとするとどうなるかを考えてみた。


漱石日記 (岩波文庫)
倫敦!倫敦? (岩波文庫)
クオ・ワディス〈上〉 (岩波文庫)




 「漱石日記」は20年ほど前の英国滞在時に携え、最初に載っている70ページほどの「ロンドン留学日記」を度々手に取った。この旅自体が漱石英国留学時の足跡を訪ねるものであったのでこの文庫本は欠かすことができないものだった。生まれて初めての英国旅行の伴侶の一冊。


 「倫敦!倫敦?」は新聞の特派員だった如是閑が漱石から遅れること10年、1910年の3月から8月までのロンドン滞在記。この文庫が出たのが1996年で、この頃から岩波文庫が明治の文人たちの回想記や随筆集などを積極的にラインナップ化して行った記憶があり、山口昌男坪内祐三と言った人々がより喜ぶ文庫となって行った感じ。この本はその後のプライベートなロンドン行きの時に持って行って彼の地で読んだ。


 僕が高校時代に読んだ中河与一訳「クオ・ヴァディス」は、現在木村彰一訳「クオ・ワディス」として改版され出版されている。当時読んだ庄司薫のエッセイ集にこの本が面白い小説として紹介されており、薫くんシリーズにはまっていた高校生としてはすぐに小遣いで全3巻を買い求め、通学の電車の中で読んだ。旧字体の漢字がまた古の古代ローマの物語を読んでいるのだという気分を盛り上げてくれた。後年この小説の話をラテン語の授業をとっていたという知人に話したところ「クオ・ヴァディス」は「クオ・ワディス」と読むのが正しいのだと教えられた。それからしばらくして新訳版「クオ・ワディス」が出たのを見て知人の言葉を思い出した。リギアという美少女と心優しい力持ちのウルススとローマに火を放って嬉々とする皇帝ネロの物語を新訳で読み直してみたいものだな。