はじめての入院(サプライズあり)。

 昨年に受けた健康診断で腸の精密検査をするように指示を受けた。
 診断で腸からの出血が見られたためだという。

 自覚症状がなく、仕事も忙しかったため精密検査を先延ばしにしていたが、今年の3月に自分がリーダーをしていた3年間のプロジェクトが終わり、時間に余裕ができたので地元の消化器科のクリニックに行って内視鏡検査を受けたところ、腸にポリープがあり、小さい2つは取ったが、大きなポリープ1つは病院に入院して手術を受けなければならないとのことだった。良性だと思われるが、大きいポリープは今後悪性の癌となる可能性があるため早期に切除しておくのが得策だと言われ、近場の大きな病院に紹介状を書いてくれた。

 GW期間中の入院は医師が手薄になるとの理由で断られ、連休明けの入院、即日手術となった。若い頃、海外旅行から帰国後に食あたりで一泊だけ(自分で救急車を呼んで)入院したことがあるが、1週間の入院(と言われた)ははじめてだ。ネットで入院に必要なものを検索し、関連動画をあれこれ見ているうちに荷物はスーツケース一杯になった。初日に手術が終われば、あとは経過観察のために病院にいるだけだから暇になることは分かっていたので、ポケットWi-Fiをレンタルし、タブレットKindleと単行本1冊と新書1冊もスーツケースに入れた。

 病室は4人部屋。初日の同室は年上と思われる男性患者が2人。耳の遠い後期高齢者に見える1人と一泊でポリープ切除手術を受けに来た前期高齢者に見える1人。後者の男性は、看護師の説明に対して「えっ」と驚き、看護師がいなくなると「オレが何でそんなことしなきゃならないんだよ」と愚痴を言い、病室に勝手にパンを持ち込んだり、退院前に病院の外に友達に会いに行こうとして看護師にとめられたりなどを繰り返していた。高齢男性のワガママ振りは世間やネットでよく聞く話であるが、目の当たりにすると自分はそうなるまいという思いが強くなる。
 耳の遠い前者の男性は、看護師の呼びかけが聞き取れないのか、反応しないことが多く、そのため看護師の人たちは大声で繰り返し声がけをしなければいけなくなり、その結果まるで大声でけんかをしているような状況が度々病室内に出来した。

 そんな状況なので病室でのんびり読書とはいかず、耳にノイズキャンセリングのイヤフォンを入れて、タブレットで動画を見ることで病室の喧噪から自分を遮断することが多かった。また、最初の2日間は、左手に点滴の管、右手の人差し指には洗濯ばさみ型のセンサーが付けられている状態であったので読書がしづらかった。その結果、観た映画が「室町無頼」、「侍タイムスリッパー」、「ザ・ファースト・スラムダンク」、「パーフェクト・デイズ」の4本。それぞれ楽しく観たが、定年を数年後に控えた身には「パーフェクト・デイズ」がやはり気になった。作中に出てくるパトリシア・ハイスミスの短編集「11の物語」は、カタツムリの写真がカバーのハヤカワ文庫でその昔読んだ。主人公の姪が言及する「すっぽん」も読んだはずだが、内容は全く覚えてなかった。姪が「すっぽん」のヴィクターにシンパシーを寄せる理由は映画では説明されない。姪が母親とけんかをして家出し、主人公の部屋を訪ねてくるが、姪と母親の間にどのような諍いがあったのかも説明されない。ヴィム・ベンダースは「すっぽん」を引用することでその説明を省略したのかも知れないと思ったが、文庫本は自宅の本棚のどこかに埋もれてしまっている。アマゾンのポイントを使ってKindleで「11の物語」を買って、休日の誰もいない総合受付前の待合室の椅子に座って「すっぽん」を読んだ。11歳のヴィクターと母親とのすれ違い、母親の無理解がスッポンを媒介として描かれ、スッポンの死がヴィクターの母親に対する殺意へと変わっていく物語。

11の物語 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 点滴とセンサーが外れた3日目からは、タブレットで溜まっていた未読のコミックスを読んだ。信濃川日出雄山と食欲と私」(新潮社)、石塚真一BLUE GIANT MOMENTUM」(小学館)、眉月じゅん「九龍ジェネリックロマンス」(集英社)、児島青「本なら売るほど」(KADOKAWA)等を読んだ。古本屋好きとしては古本屋を舞台とした「本なら売るほど」がやはり興味深い。

 「本なら売るほど」では実在する本が登場し、各話の主軸となっているのだが、その中でも思い入れのある本が出てくるのが第10話・11話「丘の上ホテル(前・後編)」(2巻に収録)。久世光彦「一九三四年冬ー乱歩」(集英社)が登場する。この作品は最初集英社のPR雑誌『青春と読書』に「乱歩は散歩」の題名で連載されているのを知って一部を読んでおり、改題されて大きめの単行本になってから通読した。作中に乱歩作として短編「梔子姫」が創作されていて、その完成度の高さに驚き、久世光彦という才人を知った。久世作品としては「卑弥呼」(新潮文庫)と並んで好きな本となった。「本なら売るほど」では僕の読んだ単行本で登場しているのもいいし、舞台となる「丘の上ホテル」(もちろん「山の上ホテル」のこと)も一度泊まってみたいと思いながら果たせなかったこともあり、作中で一番気に入った話となった。

 

本なら売るほど 1 (HARTA COMIX)

本なら売るほど 2 (HARTA COMIX)

一九三四年冬-乱歩

 


 術後の経過も良好で、本日無事退院となったが、荷物をスーツケースに仕舞い、病室で退院許可書が来るのを待っている時に、背後で大きな音がして振り向いてみると耳の遠い入院患者の男性が頭を抱えて倒れており、慌ててナースコールで看護師を呼んだ。担架に乗せられ運ばれていく男性は看護師の呼びかけに何も応えず頭を抱えていた。意識がないのではなく、耳が遠いためにその呼びかけが聞こえていないことを願って病院を後にした。体重は入院前と比べ4キロ減っていた。

 スーツケースに入れていった衣類のほとんどは使わなかった。持って行った単行本と新書も結局1行も読まなかった。無駄なものが入った重いスーツケースを持ち帰ることになったが、初めてといってもいい入院で何が必要で何が必要でないかを学ぶことができたのでよしとしたい。
 この入院で一番驚いたのは、入院当日の手術室で、鎮静剤で少しずつ朦朧としていく僕に執刀医の先生が、「××さん、今日は○○クリニックの△△先生も手術に立ち合ってくれます」と声をかけ、この病院に紹介状を書いてくれた地元の先生が突然現れたことだった。手術にサプライズゲストがくることがあるのかと思いながらまどろみ、手術が終わった時には△△先生の姿はもうなかった。あれは現実だったのだろうか。

復刊という意志。

 3月11日。

 

 気がつくと職場で黙祷をしなくなっていた。

 

 こうやって人々は少しずつ何かを忘れていく。

 

 忘れないために今年もこの歌をここに貼り付けて残しておく。

 


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 仕事帰りの本屋で、文庫本を2冊買う。

 

-ガブリエル・ガルシア=マルケス「族長の秋」(新潮文庫

-庄野英二星の牧場」(ちくま文庫

 

族長の秋 (新潮文庫 カ 24-3)

星の牧場 (ちくま文庫し-59-1)

 

 前者は集英社文庫の、後者は角川書店から出た本の復刊。復刊というのもその本を忘れないという意志の表れだろう。

 

Walk Don’t Climb。

 今年に入って休日に長い距離を歩くことを始めた。定年後にあることをしようときめたので、その計画のための準備を始めたわけだ。

 最初は街歩きをしていたのだが、計画の詳細を調べてみると1000キロ以上歩く行程の中の2割が山道であることが分かった。その中でも16キロ以上の山道を6時間かけて歩く難所があるという。つまり山道を歩く準備も必要だということだ。

 そこで、YouTubeの登山系動画をあれこれと視聴し、近場のアウトドア専門店やトレキングシューズに詳しいシューズショップなどを訪れ、あれこれとグッズを揃えはじめた。

 グッズがあっても登る山がなければ仕方がない。電車で気軽に行ける一番近い山は高尾山である。とは言ってもこれまで一度も足を踏み入れたことがない。そこで2月9日にとりあえず現地視察に行ってみた。登山ではなく視察なので、ケーブルカーに乗る。日本一傾斜が急なケーブルカーであることを誇らしげにアナウンスするだけあってその傾きかげんにちょっと怖くなる。ケーブルカーを降りると山の中腹である。ここから30分も歩けば頂上だということなので、ニューバランスのスニーカーという出で立ちで山頂まで行ってみた。よく晴れた日で思いのほか近くに見える富士の姿に思わず写真を撮った。高尾山いいじゃないかという気になった。

 翌週、モンベルのウエアにローンピーク9+というトレランシューズを履いて高尾山へ再び出向き、今度は自分の足で6号路という沢伝いのコースを選んで、山頂まで登った。帰りは途中に吊り橋のある4号路を通って中腹まで降り、そこで日和ってケーブルカーに乗って降り、麓の店で天ぷらそばを食べて帰った。山にいたのは2時間ほどだった。

 一応歩いて山頂までいったため、高尾山はクリアしたという気分になり、他の場所も行ってみたいと探してみると鎌倉に山道を歩く初心者向けの天園ハイキングコースがあると知り、翌週行ってみた。北鎌倉駅で下車し、建長寺まで歩く。500円払って建長寺に入ると天園ハイキングコースの入口がその中にあった。石の階段を嫌というほど上り、半僧坊という天狗の銅像のある場所を過ぎると山道が始まる。途中の展望台でまたもや見事に晴れた空に富士の姿が見えた。初心者向けのコースではあるが、途中ロープを使って降りる急な岩場があったりもするので普段着で行くと困る程度にはちゃんと山道であった。コースガイドでは2時間45分となっていたが、それほど寒くも暑くもない気候であったのでずんずんと進み2時間弱でゴールの瑞泉寺に到着。そこから歩いて鎌倉駅前へ出て、公文堂書店古書店)とたらば書房(新刊書店)に寄り、鳩サブレーで有名な豊島屋の3階にあるパーラー(ここが意外とすいていた)でカツカレーを食べて帰って来た。

 さて次はどこの低山ハイクをしようと考えている自分に気付いてハタと立ち止まった。自分は登山をしようとしているのではなく、長距離歩行の練習をしているのだという原点を思い出した。山道は全体の2割であり、8割は市街地の舗装道路を歩くことになる。それが1000キロ以上続くのだ。市街地と山道を連日歩く練習が必要なのではと思い至った。

 3月9日(日)と本日10日(月)はともに仕事が休みのため連休となる。練習にはもってこいのスケジュールだ。とりあえず、1日20キロ程度を歩く練習をしたいと考え、自宅から片道10キロの場所を探してみると横浜駅が出てきたので、昨日は朝食をとってから家を出て、横浜駅まで歩き始めた。天気もいいので気持ちよく歩くことができる。これまで何度も乗車してきた東横線沿線であるが、歩くのはほとんど初めてと言っていい場所も多い。東京近郊の温泉地として名を残していた綱島温泉の跡地周辺には巨大なタワーマンションが建ってた。大倉山・菊名・妙蓮寺・白楽と過ぎる。寄りたい本屋がいくつかあるが、時間がまだ早いので帰りに寄ることにする。東白楽で、六角家(家系ラーメン)のあった場所に別のラーメン屋が入っていることを知る。反町を過ぎて横浜駅に到着。東口から西口に出て、復路に突入。時間も昼近くになり、空腹も覚えてきた。横浜西口近くから東白楽まで続く緑道があるのを発見し、東白楽まで快適に歩く。土地勘のある白楽に着いたところで、気になっていたトンカツ屋に入って昼食。エネルギーを補充してから、白楽駅を過ぎたところにあるTweedBooks、妙蓮寺駅近くの石堂書店・本屋生活綴方を覗いてから帰る。アップルウオッチのデータだと計24キロ歩いたことになる。

 本日は、みたび高尾山に向かう。市街地を歩いた翌日に山道を歩く練習である。とは言っても高尾山の麓と山頂を往復しても約6キロにしかならない。本番では16キロの山道を一日で歩くことが求められる。距離を伸ばすためには、高尾山山頂から続く小仏城山、景信山、陣馬山へと距離を伸ばす必要がある。陣馬山まで行けば約18キロの行程となるが、まだ練習を始めたばかりの上に昨日の疲労もあるため、今日は小仏城山まで行って帰ってくるルートを選択した。土曜日に雪が降っているためコースが泥沼化している心配もあったので、高尾山山頂へは舗装道路である1号路を選んだ。ところがこのルート一番距離が長い上に、最初からずっと急坂が続き、予想以上にきついコースだった。車の通れる舗装道路では登山をしている喜びも感じづらい。そのため、途中から4号路へコース変更する。多少道はぬかるんでいても、山道をあるいている方が気持ちがいい。山頂では今日も見事な富士が見えた。少し休んでから、小仏城山へ向かう。片道2.3キロほどだが、木の階段のアップダウンが多く、道もぬかるみ、なかなか歩きづらい。靴を泥だらけにしながら、昼前に小仏城山へ到着。平日ながら、多くのハイカーがいた。そのほとんどが自分より年上と思われる高齢者達だ。ヒーヒー言いながら歩いている自分が少し恥ずかしくなる。小仏城山の売店は休みのようだった。空いているテーブル席に腰を下ろし、昼食にする。保温ボトルに入れてきた熱湯で、カップヌードルを作り、コンビニで買ったおにぎりと一緒に食べる。山頂で食べる温かいものは格別美味しく感じられる。ここでも松越しの富士山を堪能。

 栄養補給もでき、元気を回復して復路に突入。一度通った道は短く感じられるのか、あっという間に高尾山山頂に戻ってきた感じ。さすがに足の筋肉痛がひどくなってきたので、途中のリフト乗り場まで歩いて、そこからリフトに乗って麓まで下山。このリフトが安全バーのないタイプで、しかも、大きなバックパックを前に抱えて乗っているため前に持って行かれそうな不安定さもあり、高所恐怖症気味の自分にはなかなか怖い乗り物だった。

 高尾山口駅にあるセブンイレブンで、この店オリジナルの高尾山Tシャツ(モンベル製)を購入。今日が61歳の誕生日なので自分へのプレゼント。

 地元の駅ビルで鎌倉ロールケーキを買ってきて、家に帰って食べた。1年前にはこんな山道を歩く誕生日を迎えるようになるとは想像もしなかった。  

馬から猫、猫からかもめ、そして馬。


 日曜日。散歩に出る。

 散歩のための服装もいろいろと試行錯誤をして本日は、半袖のエアリズムの上にウールの入った無印の長袖のあったか下着、そこにジャージ(英国のサッカーチーム・アーセナルのレプリカ)を羽織る。強い北風吹く今日の天候を考慮してその上にColumbiaの防風・防寒のウインドブレーカーを着用する。足元は、膝の痛い人にオススメと聞いた(この年代のご多分に漏れず膝が痛い)ニューバランスのフレッシュフォームというクッションが入ったランニングシューズを装着した。これで怖いものはない。

 今日は、高田馬場駅まで電車で行き、そこから歩いて神保町までいく予定。

 学生の頃、このルートで早稲田の古本屋と神保町の古本屋を覗き、その勢いで秋葉原駅まで歩き、そこから地下鉄に乗り埼玉の自宅まで帰ったということが何度かあった。そのルートを40年振りに辿ってみようと考えた。

 昼前に高田馬場駅に到着。右手にBIGBOXの建物を見つつ早稲田方面に歩き始める。以前は行われていたBIGBOX前での古本市が懐かしい。早稲田の古本屋街へ差しかかって早稲田の古本屋は日曜定休であると気付く。古書現世も丸三文庫もやってないのかと一瞬歩みが止まった。40年前の再現は早くも頓挫する。

 いやいや、今日は歩きに来たのだと気を取り直し、早稲田の通りを神楽坂方面に歩いて行くと右手に穴八幡宮が。ここでも以前古本市が開かれていたんだよなと思いながら歩を進める。どこも寄らないのは寂しいので、弁天町の手前を右に曲がり、“漱石山房通り”という名前の通りにある“漱石山房記念館”に行ってみる。思っていたよりも随分立派な建物だった。漱石生誕150年の平成29年(2017年)に建設されたとのこと。300円の入館料を払い、展示室に入ると漱石の書斎が再現された部屋があった。「吾輩は猫である」初版本の書影の入ったトートバッグと漱石がデザインした「こころ」の装幀を使った文庫本用のブックカバーを記念に購入。

 大通りに戻り、進んでいくと神楽坂に到着。通りに“かもめブックス”という本屋があるのを発見。どこかで聞いたことがあるなと検索してみると、書籍の校閲専門の校正会社である鷗来堂がやっている書店だった。入ってみる。入口の左手にはカフェスペースがあり、右手は奥まで書棚が続いている。思ったよりも奥行きがあり、本は判型や出版社、作者名の別で分類されてはおらず、店独自の分類で並べているスタイルだ。雰囲気は恵文社一乗寺店をもっと明るくした感じ(個人の見解です)。棚を見るのが楽しい店だ。出たのを見逃していた本を見つけたので買っておく。

・マグナス・ミルズ 柴田元幸訳「鑑識レコード倶楽部」(アルテスパブリッシング)

鑑識レコード倶楽部

 

 知らない作家だが、月曜の夜に、バーの小部屋に3枚のレコードを持ち寄って、ただ黙って聞く男たちを描く英国の小説という帯の説明に惹かれた。柴田元幸訳というのも安心材料だ。

 店を出て、神楽坂を下っていく。インバウンドの波はここにも押し寄せており、外国人観光客と多くすれ違う。この神楽坂には漱石も通った洋食の田原屋があった。2002年に閉店したらしい。一度だけ食べに来たことあったはず。何を食べたかももう覚えていないが。

 飯田橋駅横を通り、九段方面へ。人通りも少なくなり、周囲は学校が多くなる。正面に日本武道館が見える。天気がよく、強い北風が吹いているので雲一つない空に金色に輝く玉ねぎが光っていた。右手には靖国神社の大きな鳥居とその先に続く参道の坂が見えた。靖国神社には入った記憶がない。行ってみようかと思ったが、気持ちは神保町の古本屋街にあるので、左に曲がる。

 神保町に到着。あまり寄り道をしていないせいか、記憶よりも距離も短く、あっというまにここまで来た感じだ。早稲田で本屋に寄れなかった分を神保町で本の栄養補給。

 ・松本莞「父、松本竣介」(みすず書房
 ・鈴木伸子「大人の東京ひとり散歩」(だいわ文庫)
 ・佐藤徹也「完本 東京発半日徒歩散歩」(ヤマケイ新書)

 

父、松本竣介

大人の東京ひとり散歩~いつもの街をもっと楽しむ (だいわ文庫)

ヤマケイ新書 完本 東京発半日徒歩旅行

 

 松本竣介は、洲之内徹の「気まぐれ美術館」シリーズで知って好きになった画家。、宮城県美術館等で実物の絵も見、画集も手に入れた。その松本竣介の息子である著者が書いた父・松本竣介の伝記。みすず書房の白い瀟洒な本で出たことを喜ぶ。
 後の2冊は、東京とその近郊の散歩本。これからの散歩計画を立てるための資料として購入。

 水分補給と足休めをかねて神田伯剌西爾で、コーヒーとレアチーズケーキ。ほっとする。まだ、余力はあるからいっそ秋葉原駅まで歩くかとも思ったが、強い北風が吹くコンディションと鍛錬ではなく楽しみとしての散歩である(続けるためには重要なポイントだと考えている)ことを考えて、本日はここまでとする。

 

 帰りの電車の中で堀江敏幸「いつか王子駅で」(新潮文庫)を読む。ある必要から再読(実際には3度目だから再々読)している。本文中に安岡章太郎の「サーカスの馬」の話が出てきて、主人公が九段の学校に通っているという記述を読み、今日歩いてきた九段周辺の風景を思い出した。

いつか王子駅で (新潮文庫)

 
 
 
 

サンデー散歩


 今年の目標は「歩く」と決めて日々歩いている。定年後にあることをしようと決意した。そのことをするためには1日20キロ程度は歩かなければならない。そのためにも今から歩くことへの耐性をつけておく必要があるのだ。年明けからバスをやめ、職場へも徒歩で通っている。

 1月5日は、用事があって南武線の駅に行った。用事が済んで、その駅が国立市に位置することを思い出した。ここと中央線の国立駅はどのような位置関係にあるのかと地図アプリで検索すると、その駅前の道をまっすぐ行けばそこが国立駅であることがわかった。まだ、時間は昼過ぎ、しばらく中央線沿線の古本屋巡りもしていない。これは行くしかないと歩き始め、思いのほかあっけなく国立駅前に到着。三鷹・吉祥寺・西荻窪荻窪・阿佐ヶ谷・高円寺など寄りたい駅は数あれど、時間は有限のため西荻窪荻窪にポイントを絞る。快速に乗ったためまずは荻窪で降りる。歩くことを実践するためtitleまで歩き、そのまま西荻まで徒歩で移動しようと考えたが、titleが休みで不成立。そのためささま書店跡の古書ワルツをのぞくだけで切り上げ、西荻窪へ。
にわとり文庫、ねこの手書店(初めて行ったが新刊書店のような広い店内に驚く)、盛林堂書房を経て古書音羽館へ。大きな古本屋台(『本の雑誌』連載中)のイラストが飾られていてニンマリする。いつ来ても音羽館は自分の気をひく本が多くてうれしい。
いくつかの店で買った本でカバンを重くして帰った。

 12日は、自宅から隣の駅まで歩く。コロナ禍で自宅勤務の時、地元の駅ビルが閉鎖され、駅ビル内の本屋にも行けなかったため、何度か隣の駅まで歩いて、その商店街にある2フロアの書店に本を買いに来ていた。小一時間で到着。書店の前まで来てみたら、ビルはあったが、他の業種の店に変わっていた。驚いて検索してみると昨年秋に惜しまれつつ閉店したとのこと。知らなかった。この店の支店が昔地元にあり、そこが随分前に閉店して、本店であるこの店は続いていたのだった。調べてみると経営としては2015年にトーハングループの傘下に入っており、本店は閉店したが、東京・千葉などにも支店があるらしい。
 閉店ショックにしばらく立ちすんでいたが、もう一つの目的を思い出して歩き出す。コロナ禍の時にこの地にある評判のよいコーヒーの自家焙煎の店で豆を買おうとしたが、巣ごもり生活特需で予約が殺到しており、豆を買うことができなかった。今回はそのリベンジで、その店で豆を買って帰ろうと思っていた。ネットで日曜も営業日となっていることは確認済みである。てくてく歩いて店の前に着くと、貼り紙が「11日・12日は臨時休業します」と告げていた。この町まで歩いてきた目的が2つとも消滅してしまった。すごすごとその町を後にし、地元の駅まで歩き、駅ビルで買い物をして歩いて家まで帰った。

 次の休日である本日は、神保町から湯島を経由して東大近くにある古書ほうろうまで歩く。先日、湯島天神にお守りを買いに行った時に、不忍池の周辺を歩いたにも関わらず、谷根千から移転した古書ほうろうがその近くにあることを失念していた。また、混雑のため初詣をあきらめた湯島天神に改めて初詣をしておきたいと思い神保町まで地下鉄に乗る。生まれて初めて買った文庫本が漱石「こころ」(新潮文庫)だったものとしては、Kを裏切った先生が歩いたルート(小川町から万世橋を通って神田明神を過ぎ、湯島から菊坂を通って東大横へ)で行きたいと思ったのだが、4時過ぎから雨の予報が出ていたため、聖橋からまっすぐ湯島へ向かうルートを選択して歩き始める。ゆるい坂を上っていくとあっけなく湯島天神に出てしまう。三が日が嘘のようにすぐに賽銭箱の前に到達。初詣を済ませる。

 古書ほうろうの開店が12時。まだ時間が早い。せっかくなので東大の周囲を歩いて時間を潰すとともに歩く距離も稼ごうと不忍池を離れて東大へ向かう。坂を上っていると“無縁坂”という表示に目がとまる。グレープ「無縁坂」に歌われた坂がここかと立ち止まる。中学生の時に、さだまさしの最初のソロアルバム「帰去来」、最初の著作である「本 人の縁とは不思議なもので」(八曜社)を買った者としては感慨深い。東大の敷地沿いをぐるりと歩き、赤門前に出る。ここに来るのは初めてではないか。通りの向こうには“こころ”という名前の店が見える。本日実施の共通テストの会場となっているため幾分かの緊迫感のある東大周辺をぐるりと一周するように歩いてきたら古書ほうろうの前に来た。

 谷根千の時よりはひと回り小ぶりになった店内だが、本の濃度は変わらない。店頭の文庫棚に漱石新潮文庫が数冊並んでいるのが土地柄を感じさせる。店内を一回りして、数冊購入。“不忍ブックストリートMAP2024”をもらう。店内にはエノケンの音源が流れていた。このところ職場の休憩時間などに青空文庫で「古川ロッパ日記」をちょこちょこ読んでいるので、日記の登場人物であるエノケンの歌声はタイムリー。

 古書ほうろうを出て、神保町へ向かう。聖橋を渡り、お茶の水駅前へ差しかかると丸善があった。高校生の頃は神保町へはお茶の水駅下車で来ていた。すると最初に目にする本屋はこの丸善だった。その頃は梶井基次郎檸檬」に出てくる丸善はこの店だと思っていた(もちろん京都の丸善が正解)。その錯覚を誘導したのはさだまさしの「檸檬」。聖橋から檸檬を投げるこの歌と聖橋の近くの丸善を結びつけるのは自然な行為だった。まだこの丸善が残っているのがうれしくて店内で1冊購入。

安部公房三島由紀夫大江健三郎「文学者とは何か」(中央公論社

 

文学者とは何か (単行本)


 明治大学前の坂を下って神保町へ帰ってくる。東京堂へ。

金井美恵子「目白雑記Ⅰ 日々のあれこれ」(中公文庫)
関川夏央「昭和時代回想 私説昭和史3」(中公文庫)
ー大西寿男「みんなの校正教室」(創元社

 

目白雑録Ⅰ 日々のあれこれ (中公文庫)

 

昭和時代回想-私説昭和史3 (中公文庫 せ 9-6)

 

みんなの校正教室

 

 中公文庫の2冊は地元でも買えるが、両方サイン本とあれば手が出る。関川本にはサインだけではなく“明日できることは今日するな”と書かれていた。
 大西本は校正の底本となるテキストに西東三鬼「神戸・続神戸・俳愚伝」の本文が使われているのがすばらしい。新潮文庫にも入ったこの本はとても面白かった。

 雨が降る前にと神保町から地下鉄に乗り、地元へ帰る。駅前で白菜と豚バラを買い、帰宅して白菜と豚バラの無水鍋を土鍋で作って食べた。

 

加齢にはカレー。

 元旦はいつものように朝風呂で古今亭志ん朝の「御慶」を聴く。

 ニューイヤー駅伝を見ながら、年賀状を書いた。食事は大晦日のすき焼きの残りで済ます。

 2日は、箱根駅伝の往路を見てから買い物へ。まず本屋へ初詣。


 -梶原麻衣子「「"右翼"雑誌」の舞台裏」(星海社新書)
 -新保博久・法月綸太郞「死体現場で待合せ」(光文社)

 

「“右翼”雑誌」の舞台裏 (星海社 e-SHINSHO)

死体置場で待ち合わせ 新保博久・法月綸太郎 往復書簡

 

 

 前者は『週刊読書人』の"新書特集"の"三宅香帆さんが新書を買う"で買われていた新書の1冊。10万部を超える右翼雑誌の編集者であった著者がその内情を語る本。編集者の回顧録は面白いものが多いのでこの手の本はなるべく買うようにしている。買った理由の所に「星海社新書はいつも尖った面白い企画を出していて、本当に尊敬します」と書かれていて、思わず頷いてしまう。
 後者は"坂口安吾の幻の短編「盗まれた一萬円」を書籍収録!"と帯に書かれていたのに惹かれた。全集に載っていないこの短編は発見後『新潮』2023年1月号に再録されたが、書籍に入るのはこれが初めてだとのこと。

 本屋の後は脂肪燃焼カレースープを作るための材料を買って帰宅。タマネギ・ニンジン・ダイコン・キャベツ・茄子に3種類のきのこと豚肉を入れて、カレールーで味付けしてスープにする。脂肪燃焼スープを作るのは、年末年始に体重が増加してしまったため、スーツを着なければいけない仕事始めまでに体重を適正数値にまで落とさなければならないためだ。

 ここまで体重が増えたのは、毎日乗っている体組成計の不具合によるものだ。12月に入って体組成計の示す体重がいきなり自分の標準体重から2キロから4キロほど低い数値を示すようになった。痩せるような運動もしていなければ食事の量も減っていない。これは病気なのではないかと訝りながらもしっかりと栄養をとったほうがよいと考えて、いつもより炭水化物も多めにとり、食事の後にポテトチップを食べ、クリスマスの楽しみである知人の店のシュトレンを毎晩口にしていた。そんなある日、ズボンのボタンがとめにくくなっていることに気付いた。痩せているはずなのにズボンがきついとはこれ如何にと体組成計をいつもの場所から移動させて乗ってみると自分の標準体重より2キロ以上重い数値を示しているではないか。一日で5キロも太るわけがない。どうやらいつも体組成計を置いている場所が板の間との境目にある畳の上であったため、体組成計が水平を保って居らず、乗っている自分の重心がしっかりと下にかかっていなかったらしい。場所を変えてから人が変わったように毎日2キロ以上オーバーの数値を安定してたたき出すようになってしまった。これはいかんということで脂肪燃焼スープの登場となった。年を重ねると体重が落ちにくくなる。落とすためには先ず食生活をコントロールする必要がある。脂肪燃焼スープを定期的にとっていると体重が安定しやすいというのは過去に実践済み。醤油ベース、味噌ベースなども作ったが、カレーベースのものが一番飽きがこない。一度に6食分作るので、飽きずに食べられるのは重要なポイントになる。

 夜は、作ったカレースープを食べ、野木亜紀子脚本の新春スペシャルドラマ「スロウトレイン」を観る。鎌倉の江ノ電沿線に住むフリーの編集者である松たか子と妹(多部未華子)と弟(松坂桃李)の家族のドラマ。松たか子がいい。ドラマ「カルテット」の好演を思い出させる。役者・松たか子を味わう時間となった。

 食事を変えただけではそう簡単に体重は減らない。適度な運動も必要となる。そこで3日は箱根駅伝復路を見た後に、長めの散歩に出ることにした。目的無く長く歩くことは苦痛なので、最近行っていないブックオフや本屋を徒歩で回ることにした。急な坂を下り、同じような急な坂を上り、そして下ったところにあるブックオフへ。ゲームやCDのコーナーが広がり、前よりも本の割合が少なくなっているような気がする。スマホと棚をにらめっこしながら、籠に大量の本を入れている男性がいた。まだ、ブックオフで大量セドリをする人がいるのだなあと思う。110円の棚から柳瀬尚紀ジェイムズ・ジョイスの謎を解く」(岩波新書)を買う。「ユリシーズ」の第12章が犬の視点から書かれているという独自の解釈を展開した本。著者による「ユリシーズ」完訳を楽しみしていた者としては著者の死によって未完に終わったのが残念だ。人によってはトンデモ本扱いされかねない本なので、今後再版される可能性は低いだろう。持っている本だがストックとして買っておく。

 ブックオフを出て、前の通りをずんずん歩き、大通りとぶつかる交差点にあるショッピングモールに入る。ここには、くまざわ書店がある。いつもの本屋には入荷していないこの本を見つけて購入。

 -橋本麻里・山本貴光「図書館を建てる 図書館で暮らす 本のための家づくり」(新潮社)

 

図書館を建てる、図書館で暮らす―本のための家づくり―

 

 著者の2人が、図書館のような家を建て、その本に囲まれた家で暮らす様子が書かれた本。データではない物としての本に囲まれて暮らすことへの親近感と本棚がたくさん写っている本に弱いという性質によって買ってしまう。

 ショッピングモール前の大通りをずんずんと上り、駅前へ出る。いつもはここからバスに乗っているのだが、今日は乗らずに徒歩で家に向かう坂道をずんずんと上がっていく。ダウンジャケットを着てきてしまったので、下に着ている薄手のトレーナーに汗がにじむ。2時間弱の散歩を終えて帰宅。夕食は脂肪燃焼スープ。

 今日(4日)は、神保町のPASSAGEに本の補充に行く。9冊ほど追加した。
 東京堂で1冊購入。

 -新田和長「アーティスト伝説 レコーディングスタジオで出会った天才たち」(新潮社)

 

アーティスト伝説―レコーディングスタジオで出会った天才たち―

 

 毎週月曜日の夜9時から聴いているBAYFMのスージー鈴木とミラッキ大村「9の音粋」にゲスト出演した著者の話が面白かったのと番組でこの本を推していたので買おうと思っていた。東芝EMIのプロデューサーでありファンハウスの創業者である著者が関わったミュージシャン達との逸話が記録されている本。

 神保町から地下鉄を乗り継いで湯島へ。湯島天神に行く。必要あってお札を買いに来たのだが、せっかくだから初詣もと思ったら長蛇の列だったので断念。お札を手に入れて天神を後にする。

 さあ、今日も歩こうということで、歩いて近くの不忍池へ。池の周囲を歩く。池の向こうに東天紅のビルが見える。子どもの頃何度か東天紅のバイキングに連れてきてもらったことを思い出す。冷やし中華好きの子どもだったので(今も好きだが)、自分で麺や具を好きにとって冷やし中華を作れるここのバイキングは夢のような空間であった。
 
 久しぶりの上野散策を楽しんでから帰路につく。

 車中では原田ひ香「古本食堂 新装開店」(角川春樹事務所)を読む。神保町で古本屋を営んでいた兄が亡くなり、その妹(珊瑚)と親戚の娘(美希喜)が店を引き継いでいくという「古本食堂」の第2弾。本の話だけではなく、神保町周辺の飲食店も話題に絡めているのがこのシリーズの売りだろう。前作で「共栄堂」「ランチョン」「ガヴィアル」「揚子江菜館」「ボンディ」が登場。今回は「いもや」「なかや」「新世界菜館」「メナムのほとり」「狐兎」「豊前うどん(武膳)」などが出てくる。やはり、神保町だからカレーの店が多い。「新世界菜館」の話にもカレーが出てきた。カレーの店はほとんど行ったが、それ以外の店は行っていないものが多い。「豊前うどん」などは一度行ってみたくなる。

 

古本食堂 新装開店

 

 今日も駅からバスに乗らず、歩いて帰宅。昨日とはルートを変えて回り道になるが、車の来ない遊歩道を歩いて行く。新型コロナで自宅勤務を余儀なくされていた頃、運動不足解消に勤務時間を過ぎるとよくこの遊歩道を歩いていた。あの時の独特の緊張感を抱いた日々を思い出す。ついこの間のような、遠い昔のような不思議な時間。

 帰宅して今夜も脂肪燃焼カレースープ。

 

なければ本を取りにいく。

 今年の仕事は28日に終わった。

 29日は片道2時間近くをかけて両親の墓参りに行った。車中は、中野翠「本日、東京ラプソディ」(毎日新聞出版)を読む。年末の風物詩本。年々、『サンデー毎日』連載分が少なくなっているような気がするのが寂しい。

 

 

本日、東京ラプソディ

 

 昨日やっと大掃除にかかったが、昼までになんとか外回りを終わらせただけ。昼過ぎに家を出て、先日スマートフォンの機種変更をしたため、下取り対象の前機種を持ってauの営業所へ行く。今日が提出期限なのだ。先日機種変更に訪れた時は混雑していたこの場所はスタッフも2人だけ、客も僕を含めて2人だけ。もう1人の客は別の営業所で契約した内容への苦情を繰り返しスタッフに語り続ける。僕が店に入って出るまでそれは続いていた。さして遠くはない契約をした営業所に行かず、なぜここに来て苦情を申し立てているのかは最後まで疑問だった。
 返すものを返したので、近くのそば屋で一日早い年越しそばを食べる。
 本屋へ。年末年始に読む本を求める人が多いのかレジ前には長蛇の列。
  -リュウジ「リュウジの料理質問箱」(河出新書
  -山本文緒無人島のふたり」(新潮文庫
     -津野海太郎「生きるための読書」(新潮社)
 の3冊を購入。

 

リュウジの料理質問箱 (河出新書 077)

無人島のふたり―120日以上生きなくちゃ日記―(新潮文庫)

生きるための読書

 


 リュウジ本は、この人のYouTube動画のレシピが自分の作る料理を支えてくれているので、せめて本を買って感謝の意を表しておく。
 「無人島のふたり」は単行本を持っているのだが、『本の雑誌別冊 文庫王国』でこの文庫の角田光代解説が必読と書かれていたので入手。58歳で病没した作者の余命の日々の日記だ。
 津野本は86歳の作者による読書エッセイ。80代がどのように本を読み、感じ生きているのかに興味が湧いた。
 58歳と86歳の間を自分は生きているのだなあと思いながら帰る。

 今日は午前中に部屋の中の大掃除。まあ、大掃除という名の本の移動なのだが。昼過ぎに買い物に出る。
 今年最後の本屋。買い忘れていた『箱根駅伝2025完全ガイド』(ベースボール・マガジン社)を購入。
 駅ビルのスーパーで、今夜のすき焼きの材料を買う。その他にも1人用の厚焼き玉子・黒豆・伊達巻きも入手。家についてドアに今年で4年目となる注連飾りを掛ける。
 本の山が消えて広く感じるリビングにて、すき焼きで夕食。すき焼きは毎年土井善晴レシピで作る。昔ほど量が食べられなくなったため、紅白歌合戦が始まる頃には食べ終わってしまう。

 今年ももう終わる。若い頃は「いつまで生きられるだろう」と思っていたが、気がつけば「いつまで生きるのだろう」と思うようになっていた。100歳まで生きるとしたら、どうやって生活費をまかない、日々何をして生きていけばいいのだろうとふと考える。「二百歳まで生きる」を目標とする成瀬あかり(「成瀬は天下を取りにいく」)はすごいなと思う。すっきりしたリビングを出ると先ほど本を移動した他の部屋が見える。少なくとも100歳まで読む本には困らないことに気付く。しのごの言ってないで買った本を読めということかと笑う。することがないのなら隣の部屋に本を取りにいこう。

 今年もありがとうございました。

 よいお年を。