下鴨納涼古本まつりが、8月11日(日)から16日(金)まで開催されると知った。12日(月)と13日(火)は仕事が非番となるスケジュールであった。たまたま職場から永年勤続の副賞として提携しているホテルの割引券をもらっていた。その提携するホテルは京都にもあった。予約がとれた。新幹線も押さえた。あとは行くだけだ。
10日(土)に同僚から電話があった。帯状疱疹になったので明日からの仕事を代行してほしいとの依頼だった。新幹線とホテルの予約をキャンセルした。
同僚が週の半ばに復帰できることになった。15日(木)が非番となった。16日(金)も休めなくはなかったが、台風によって16日は新幹線が運休とのニュースが流れてきたため日帰りと決めた。
15日。朝家を出て、新横浜から新幹線に乗る。朝食に駅で買った“たいめいけんのカツサンド”を食べる。幸いに隣は空席だった。行きの読書は吉田篤弘「京都で考えた」(ミシマ社)。せっかくだから京都にちなんだものと部屋を物色していたらこれがあったのでカバンに入れた。冒頭近くに「昼下がりの新幹線で東京からやって来て、古本屋を三軒ほど渡り歩いたら、ほどなくして夕方になっていた。(略)行くところはあらかた決まっていて、古本屋と古レコード屋と古道具屋である。あとは喫茶店と洋食屋だろうか。」というくだりがでてきて、古道具屋以外はまったく自分のことのようである。
途中、地震の影響での速度調整があったため7分ほどの遅れで京都駅に着いた。曇りの予報であったが、雲間から日射しが差し込んでおり、暑くなりそうだ。既に下鴨納涼古本まつりの開始時間は過ぎているため、まっすぐ会場へと向かう。
出町柳駅を出て、鴨川を渡り、下鴨神社への参道を歩く。正面に木々の生い茂る世界遺産の糺の森が見えてくる。何度来てもこの瞬間は、気持ちが高揚し、細胞の一つ一つが震えるような気分になる。泉鏡花作品の登場人物のように異界へと導かれていく。
小さな水の流れを越えるとそこに立ち並ぶテント、そして視界はどこまでも続くような本の背表紙に塞がれる。もうこの雰囲気の中に入れただけで、ここまで新幹線に乗ってきた甲斐があると思う。極論すれば、本を買わなくたって構わない。ここにいて糺の森と本の気に触れているだけで多幸感に包まれるのだから。とはいいながらもやっぱり本は買いたい。日射しと暑さに負けないように気合いを入れて本の背を追っていく。本を買い始めて、本屋に通い始めて50年以上経っているので、見たことのある本、思い出のある本にであう確率が高く、すぐに過去の記憶へと誘われてしまう。学生時代からでも40年は経っているので、あの頃の新刊は古本と名乗ってなんの問題もない状態になっているわけだから、次から次へとあの頃の書店の棚の本が目に飛び込んでくる。雑誌『現代のエスプリ』の並びに反応してしまう。興味のある特集を1冊くらしか買ったことのない雑誌なのに、確かに学生時代を思い起こさせる風景なのだ。
赤尾照文堂の棚から2冊購入。古本まつりの団扇をくれる。うれしい。竹岡書店や口笛文庫でも数冊購入。1時間を過ぎ、体調と日帰りのタイムスケジュールを考えて、会場を後にする。モンベルの日傘と古本まつりの団扇で暑さをしのぎながら、出町柳駅まで戻る。
叡山電車で、一乗寺駅まで行き、恵文社一乗寺店へ。空調のきいた店内がオアシスのようだ。そこここにみすず書房の“大人の本棚シリーズ”が新刊として置いてあるのがうれしい。このシリーズが大好きなのだ。かなり持っているのだが、こんどコンプリートしてみようかという気になる。
昼を過ぎ、近くで昼食をと思ったがお盆休みで食べ物屋はのきなみ休み。一乗寺駅近くのラーメン二郎(なぜか看板が白い)だけが行列を作っているという状況なので、出町柳に戻って店を探す。駅からしばらく歩いたところにある三高餅食堂に入る。冷やしそばとカレーきつね丼のセット。中高年の客と部活帰りの学生が同居する雰囲気がさも食堂という感じ。お冷やをおかわりして水分補給。
今出川通に出て、7番のバスに乗り、「銀閣寺道」バス停まで。通りを渡って善行堂へ。今日の午前中も下鴨の古本まつりに行っていたことをXでチェックしていたので、山本善行さんが戻っているかなと思いながらドアを開けるとそこに善行さんが。先日まで糖尿病で入院されていたので心配していたが、まずはお元気そうで安心する。それでもまだ慣らし運転状態ということで、あまり長居をせず(いつもは2時間コースとなる)、本を数冊購入して1時間ほど滞在する(それでも長いよ)。善行さんは、「ソニー・クラーク・トリオ」(ブルーノート盤)のジャケットがプリントされたTシャツ姿(僕も同じ物を持っている)。僕がソニー・クラーク好きなのを知っていて、バリトンサックス奏者のサージ・チャロフのレコード「ブルー・サージ」をかけてくれる。このアルバムでピアノを弾いているのがソニー・クラークだからこのレコードなのだろう。こういった心遣いが心地いい店の雰囲気を作り出しているのだなと思う。レコードがタイム盤の「ソニー・クラーク・トリオ」に変わる頃に店を後にする。
また、7番のバスに乗り、京都市役所前へ。地下道に降りてふたば書房御池ゼスト店をのぞく。以前にも書いたがこの店の棚はセンスが感じられて好感を持っている。店に「成瀬は天下を取りに行く」(新潮社)の作者・宮島未奈の色紙が飾ってあった。本屋大賞を受賞したこの作品と続編「成瀬は信じた道を行く」をこの夏読み、にわか成瀬ファンとなったので、作者が自分の好きな書店に色紙を残しているのがなんとなく喜ばしい。
寺町通りに出て、アスタルテ書房の建物の前まで行く。先日売りに出されることをネットで知ったので、ひさしぶりにその前に立つ。随分前に一度だけアスタルテ書房に入ったことがある。ビルの一室にあり、靴を脱いで入る独特の雰囲気の店で、その趣味のよい空間に気圧されて、それ以降敬して遠ざけてしまった。
ここらでお茶でもと思い、イノダコーヒー本店へ向かう。車中で読んだ「京都で考えた」にイノダコーヒー三条店の話が出てきたので、三条店に行きたかったのだが、改装中ということで近くの本店へ。別館ならすぐに入れますと言われて何も考えず別館へ。ピンクと白のストライブに彩られた店内には女性客しかいなかった。自分の場違い感にいたたまれなくなる。いまさらやめますとも言えず、腰を下ろす。隣の席には若い女性3人組がディープな恋愛話を展開中。聞きたくなくても音声は耳に届く。若く軽やかな声で語られる、暗渠を流れるような低い情念を感じさせる内容は、頼んだコーヒーフロートのようなどろっとした感触を残して耳元を通り過ぎる。そうそうに店を後にする。
京都市役所前まで戻り、中古レコード屋へ。ワークショップレコードは木曜日定休だった。1階下の100000tアーロントコだけ覗く。
四条まで歩いて地下鉄で京都駅へ。帰りの車内で食べる駅弁を探す。暑さのせいかご飯物が重く感じられてしまい気がつくと手には「中之島ビーフサンド」。行きも帰りもカツサンド(行きが豚で帰りが牛)となった。
6時前の新幹線に乗って帰る。台風に追いつかれる前に家に着いた。