わたくしの二十代。


 休日なのだが、午前中に出張仕事があって朝から東横線白楽駅へ向かう。


 白楽駅を出ると今日の仕事先のイベント会場に向かう人の群れにちょっと気圧される。六角橋商店街の坂を下って行く人波を避けるために、メインストリートから右に入って商店街のアーケードを通ることにする。以前に6年ほどこの街に住んでいた僕にとってこの昭和的で狭くてこぢんまりとしたアーケードは通い慣れた駅までの通勤路であった。案の定、この街に慣れていない人波はこちらに来ることはなく、僕の前には数人の人影しか見当たらない。


 まだ店の開いていない暗い洞穴のようなアーケードを抜けて大通りに出ると急な初夏の明るい日差しに少し目が痛い感じ。イベント会場に向かう道の要所要所には係員が立っていて住宅街の細い路地を人々が列をなして進んで行く。係員が順路と指し示す道からあえて外れ、誰も歩いていない別の路地に入って行く。そうこの道は今の職場に就職した25歳の時に初めて親元から離れて一人暮らしを始めたアパートへ続く道なのだ。あのアパートはまだあるのだろうかとドキドキしながら歩いて行くと、ありましたありました。あの頃とまったく同じ姿形でそこに立っていた。あれから20年以上の時間がたったなんて信じられないと思いながら今日の会場にたどり着くとそこには最近建て替えられたと明らかに分かるガラス張りの建物がど〜んと建っていた。あの頃のこの場所はよくも悪くも雑然としてそこらにゴミが落ちているような所だったのだが、今やディズニーランドばりの仮想空間的な場所になっていた。「ああ、20年はたっていたのだなぁ」と思う。


 午後早くに今日の仕事が終わる。初めてこの街に来た同僚に六角橋商店街のアーケードを案内し、駅側の出口で別れる。僕はこの出入口の所にある“キッチン友”で昼食をとるつもりなのだ。この店は「孤独のグルメ」で紹介された店で、放映後一度食べにきたことがある。その時は五郎が食べたメニューを頼んだので今日は別の物を食べる。エビフライ・カツ・チキンなどが全部のっているジャンボ定食。さすがに胃袋にずしんとくる量だ。セットのみそ汁がうまくてうれしい。

 キッチン友を出るとその斜め右に小さな古本屋がある。以前にキッチン友に来たときにもこの場所にある古本屋によったのだが、その時とは別の店になっている。店名は“Tweed Books”。店は狭いが、文学・美術・音楽・映画など店主の趣味の良さがよく分かる品揃え。初めて入った古本屋では必ず本を買うことにしているので2冊選ぶ。


 Podcastで愛聴している「たまむすび」で毎回ピエール瀧が出てくる木曜日を楽しみにしている者としては彼の本は看過できない。最近のNHK「64」もよかったしね。
 「女妖記」は佐野繁次郎装幀本。このサノシゲ本は初めて見た。本棚のサノシゲ本コーナーに並べるのが楽しみだ。

 会計をすると店主の方が「実は明日閉店なんです」と言ったのでびっくりする。ただ、それは移転のためで、同じ白楽にある新しい店舗に代わるのだそうだ。


 白楽駅近くにあるコーヒー豆の自家焙煎店へ寄る。自宅から近い支店の方で豆を買っているのだが、せっかくここまで来たので本店で豆を買って帰ることにする。夏用のフレンドとコロンビアの2種類を購入して白楽駅へ。渋谷方面のホームには駅の壁に作り付けられている木の長いベンチがあって昔はいつもそこに座って電車を待っていた。今日もそこへ行ってみるとやっぱりみんなこのベンチが好きらしく、そばにあるプラスチック製の椅子は空いているのに木のベンチは人でいっぱい。ちょっとうらやましそうに横目で見ながら電車を待つ。この駅を使っていたのは25歳から31歳の6年間だった。僕の20代後半はこの街で過ぎていった。


 地元の駅に戻る。今日は夏日だ。気温も30度くらいあるだろう。駅ビルの家電量販店で小さな扇風機を買う。先日のテレビ番組でクーラーと扇風機を併用すると電気代が30%削減できると聞いたので欲しくなった。


 自宅に帰って扇風機を回してみる。まだクーラーを入れるほど暑くはないので扇風機の出す風に吹かれながら、昨日手に入れた小西康陽の新譜を聴く。

  • PIZZICATO ONE「わたくしの二十世紀」


わたくしの二十世紀

わたくしの二十世紀



 前作のアルバムといいなぜジャケットは冬景色なのだろう。市川実和子ムッシュかまやつ西寺郷太小泉今日子などボーカリストが充実している。



 夕方、夕食をとりながら「モヤさま」を観る。今日は“スカイツリー周辺”か。この部屋に今年の1月1日から住み始めた。台所にあるドアを開けると遠くにスカイツリーと東京タワーが見えることに住んでから気づいた。


 TVを消してコーヒーをいれる。今日買ってきた豆はまだ挽かない。先月海外出張で行った南半球の国で買ってきた豆がまだ残っているから。この国の豆を日本で見たことがなかった。生産量が少ないので国内で消費されてしまうらしい。飲んでみると結構いい。今年の後半も出張する予定なのでまた買ってこよう。コーヒーのおともはやっぱりこれ。

  • 「作家の珈琲」(コロナ・ブックス)


202作家の珈琲 (コロナ・ブックス)

202作家の珈琲 (コロナ・ブックス)



 植草甚一のページにJ.J.の通った“下高井戸のぽえむ”が出てくる。大学時代に何度も行った店だ。『彷書月刊』の田村治芳さんがバイトをしていた店でもある。20代前半の僕はまったくそのことを知りもしなかったけれど。