バークリースクエアでナイチンゲール。


英国に来て1週間が過ぎた。

ロンドンから車で2時間ほどの田舎町でホテル暮らしだ。昔のパブと宿屋(イン)がくっ付いたものが今はホテルと名乗っている。その名残がホテルの名称についたINNにあらわれているといった感じのところ。

 英国は例年にない暑い夏だそうで、本来あまり暑くならない土地柄らしく部屋にエアコンはない。その代り小型の扇風機が1台部屋に置かれている。窓ははめ殺しに近く、一部がわずかに10センチほど前に開くだけ。とりあえず、扇風機で部屋の空気を撹拌する。冷蔵庫はないため、冷たい飲料が飲みたいときは隣にある田舎には珍しい24時間営業のスーパーにまめに買いに行くしかない。

 今日はこちらにきて初めての日曜。とりあえず、仕事は休みという扱いになるのでロンドンまで行こうと前々から計画を立てていた。一昨日駅に行って時刻表をスマートフォンで写真にとり、念のため仕事であてがわれたつながりにくいルーターで鉄道会社のHPにアクセスして、時刻表のPDFをダウンロードし、ホテルのフロントからも今日のロンドン往復のデーターをプリントアウトしてもらった。


 昨夜スーパーで買ったサンドイッチで朝食を取り、信用のおけない英国鉄道に裏をかかれないように1時間近くの余裕を持って駅に向かったところ、ホームに張り紙がしてあり、「今日と来週の日曜はこの駅に電車は走らない。ロンドンに行くためには途中の駅までバスで行き、そこから鉄道に乗り換えていかねばならない。」という内容がバスの時刻表付きで書かれていた。ロンドンから帰ってくるときも同様である。本来なら片道1時間40分ほどで行けるはずのルートが2時間以上、時間帯によっては3時間近くかかるようだ。これではせっかくロンドンに行ってもすぐにとんぼ返りをしなければならないし、鉄道だけでも遅延が心配されるのにそれにバスが加わるとリスクが大きくなりすぎる。万が一、今日中に戻ってこれなくなったら明日からの仕事に大きな影響が出てしまう。仕方ない、あきらめよう。

 ホテルの部屋に戻り、洗濯ものをバッグに詰めて先日場所を確かめておいたコインランドリーに行く。田舎町のメインストリートを超えた丘の上になぜかこの町唯一のコインランドリーがある。日曜日の昼なのだが思ったよりも人が多い。洗濯機は空きがあったが、乾燥機はフル稼働状態だった。洗濯機を回し、持ってきた文庫本を取り出す。英国で読むならこれだろうと持ってきた1冊だ。


陽気なクラウン・オフィス・ロウ (講談社文芸文庫)

陽気なクラウン・オフィス・ロウ (講談社文芸文庫)


 チャールズ・ラムを愛する庄野潤三が、ラムゆかりの場所をロンドンにたずねるこの本をロンドンへ行く車中で読むために鞄に入れていたのだがしょうがない。洗濯機や乾燥機の回る音をBGMに日記形式のこの本を読んでいく。慣れない異国の地で気ばかりもんでいたこの1週間の肩の力が抜けていく気がする。庄野本を読むということはそういうことなのだな。


 熱量の弱い乾燥機になんども20ペンスを投入し、2時間近くかけて洗濯を終了。すでに時間は昼を過ぎている。しかし、日曜の町で開いている店は少ない。帰り道にあったマクドナルドで昼食。ポテトには塩はかかっておらず、置かれている塩を自分でふらなければならないのがこちら流か。


 部屋に戻るがまだベッドメイキングは入っていなかった。寝不足気味なので昼寝でもしたいところだが、また出かけることにする。ホテルの前の公園を突っ切ってこれまで行ったことのない道を歩いていると「パブリック・フット・パス」の看板を見つける。時間もあるし、行けるところまで行こうと矢印の方に歩き出す。


 道はゆるい上り坂になっていて視界は急に開けた。左手には牛がのんびりと草をはむ草原が、右には遠くの丘陵地帯が広がっている。夏とは思えない涼しい風が吹き抜ける。空が突然その存在を誇るかのように大きな雲を滑らせていく。行く先にあるのはいつ建ったのかわからない古びた石造りの家ばかり。大好きなジェイン・オースティンの世界に紛れ込んだような喜びがじんわりと湧き上がってくる。1キロほど歩いたところでフットパスは終わり、アスファルトの道に出た。





 公園に戻ると音楽が聞こえる。そちらの方に向かってみる。公園の中に円形の舞台があり、そこに楽団が詰め込まれているようにびっちりと入っている。揃いの黒の楽団服を着てどうやらジャズナンバーを演奏しているらしい。英国映画の「ブラス」を思い起こさせる一団だ。曲が終わってその場を立ち去ろうとしていたら、次の曲が始まった。聞き覚えのある曲だった。「バークリースクエアのナイチンゲール」、好きな曲だ。10年ほど前ロンドンで年越しした時にはバークリースクエアに行ってアニタ・オデイの歌うこの曲を聴いたものだ。今回もそうしたかったのだが、代わりにここで聴けたのでよかった。






 ホテルに戻るとベッドメイキングは済んでいた。部屋に籠って2時間ほど仕事の報告書の下書きをPCで作る。7時に夕食を買いに出る。ウィークディは24時間のスーパーも日曜は5時前に閉まってしまう。先日から気になっていた行列のできているテイクアウト(英国式ではテイクアウェイ)のピザ屋に行ってみる。今日も行列ができていた。一番小さいサイズのマルガリータを頼む。15分ほど待ってアツアツを持って帰る。並ぶだけあってかなり美味い。しかし、11.5インチを一人で食べるのはやはり食べすぎだろう。英国に来て日々太っていく自分を感じる。