ネコとばあさん。


 仕事が早く終わったので渋谷に出る。


 渋谷のマークシティから出てBunkamuraに抜ける横道を歩いて行くとユーロスペースがある。ここでかかっている映画「海炭市叙景」を観に来たのだ。


 エレベーターで3階に昇り、カウンターで4時半の回の整理券をもらう。開場まで30分弱あるので本屋に行って時間をつぶそうと東急本店の脇から109方面に向かって歩く。目の前に見慣れないH&Mの建物が現れた時に初めてこの場所にあったブックファーストはもうなくなってしまったのだということを思い出す。しばらくこの街に足を踏み入れていなかったので本当に忘れていたのだ。しばし呆然とする。


 駅前まで足を伸ばす余裕はないため、Bunkamura内にあるNADiffに寄ることにする。エスカレーターで下にあるカフェを眺めながら下って行く時間が昔から結構好きなのだ。カフェのテーブルの間をすり抜けてNADiffへ。久しぶりにこの店で何か買いたいなと思いつつ、棚を見ていると気になっていたこれを見つける。

  • 山地としてる「ブタとおっちゃん」(FOIL

ブタとおっちゃん

ブタとおっちゃん


 アートやヴィジュアル系の書籍を中心とするNADiffで買うものとしてこの写真集は相応しいものだろう。おっちゃんいい顔してるなあ。



 気がつけば開場時間が迫っている。急ぎ足でユーロスペースに戻る。


 「海炭市叙景」が始まる。まずは「まだ若い廃墟」のエピソードから。原作においてもこの若い兄妹の物語は圧倒的な存在感を持つが、映画においてもやはり支柱的な役割を果たしていた。妹である谷村美月の顔力が画面を支配する。整った美形なのだが、それ以上に何か過剰な力のようなものを感じさせる顔。このどうしようもなく切ないエピソードを受け止められる顔と言ったらいいだろうか。「まだ若い廃墟」の映像化は彼女の顔によって成立したといったら言い過ぎかな。


 映像を成立させている顔と言えば「ネコを抱いた婆さん」の老婆役の中里あきもまたそのひとりだろう。どこかセルジオ越後を思わせる顔立ちとその掠れ声の見事なマッチング。たぶんプロの役者ではなくオーディションで選ばれた素人の方ではないかと思うが、この人の存在感に監督が絶大な信頼を置いていることは映画を最後まで観れば分かる。


 もうひとり映画を支える顔と感じたのは「裸足」のエピソードで東京からきた若者の前に座ったスナックの女性だ。彼女も素人ではないかと思うが、そのスナックの女性以外の何者でもないような会話と雰囲気はあまりに自然であり、スナックのママが若者に問いかけるまでのシークエンスを完璧なものにしていたと思う。素直に感心してしまった。


 映画を見ながら気になっていたのは、このオムニバス形式とも言える作品をどうやって終わらせるのかだった。もう一度「まだ若い廃墟」に戻ってくるであろうことは予想していたが、その予想は当たりもしたし、はずれもしていた。ただ、予想した以上に監督は映画をうまく着地させていた。市電の使いかたもうまいなあと思う。それにしても路面電車というのはなぜただ走っているだけでああも物悲しいのだろうか。


 映画を観終わって電車に乗って帰る。

 地元に帰り、本屋によったら佐藤泰志海炭市叙景」(小学館文庫)が平積みになっていた。

海炭市叙景 (小学館文庫)

海炭市叙景 (小学館文庫)