気がつけば7月になっていた。この時期は年に4、5回ある締め切りのある追い込みの仕事時期にあたり、何かと気ぜわしい。本来はこの間休止になる屋内仕事も継続してあり、追い込みの仕事がどんどんと遅れていく。
だから、待ちに待っていたこの上下巻も、一昨日買ったが迂闊に読み出すことができないでいる。
いよいよ、これがフロスト警部シリーズの最終巻。作者が鬼籍に入っているのだから、本当にこれが最後だ。そう思うとまた読み出すのが遅くなりそうな感じ。
昨日は職場で終わらなかった追い込み仕事を自宅に持って帰る。仕事が進まない気晴らしにやはり本屋へ行く。楽しみで読んでいる漫画のシリーズの最新刊がこの日に3冊同時に出ていて顔がほころぶ。
持ち帰りの仕事をなんとか夜11時に終わらせ、そこから就寝までの1時間で上記3冊を読破する。長編小説を読む余裕はないが、コミックスならなんとかなる。上に並べた順番で読んだ。1番目と3番目は言葉のないコマの多いことが共通している。「猫のお寺の知恩さん」はもともとセリフではなく、情景描写で物語を展開させて行くことを目指した作品と思われるので、自然セリフは少なくなり、親を亡くした知恩が祖母と寺を守り、そこに居候する高校生の源との淡い恋心が描かれる。セリフがない分、時間はゆっくりと流れ、猫がたくさんいる寺の夏がじんわりと描かれている。読んでいると心落ち着くその感じがいい。「BLUE GIANT SUPREME 」は世界一のジャズ・サックスプレーヤーを目指す青年・大の姿を描く、新シリーズ・ドイツ編の2冊目。音のしない紙の上にジャズを奏でさせようというのだから、セリフのない演奏シーンが多くなる。それにしても相変わらず熱量の高い漫画だな。その画面にガッチリと心つかまれてしまう。もちろん、ジャズが聴きたくなる。この2冊に対して「あかぼし俳句帖」は俳句漫画だけに各ページが「言葉」で溢れている。俳句のイロハや句会や結社のことをわかりやすく教えてくれる点でもありがたい漫画だったが、これが最終巻。俳句に終わりがあるわけではないから、登場人物たちがそれぞれの落ち着きどころを見つけたところでお開きにするのは致し方のないことだろう。
今日も職場で追い込み仕事と屋内仕事。本屋に寄るが何も買わず。もちろん、そんな日もあります。
帰りのバスではiTunesに入れたこのCDを聴く。
- 神田松之丞「松之丞講談」(来福)
講談なんてまったくと言っていいほど聴いたことなどないのだが、この“松之丞”という名前は最近あちこちから耳に入ってきて、それらの言葉にこの若い講談師の才能と未来に対するゾワゾワするような期待感が滲んでいて興味を持った。なんだか落語家の春風亭一之輔がまだ二つ目の時に注目された感じとよく似ている。当の松之丞もまだ二つ目らしい。講談に関しては無知なので、いきなり落語と同じマクラがあるので驚く。そのマクラがまた落語家のそれと同じノリと巧みさであるものオドロキだった。講談は、「赤穂義士伝 荒川十太夫」。赤穂浪士の堀部安兵衛の介錯をした荒川十太夫に関する落語で言うところの人情話。思った以上に落語に近くて違和感なく聴くことができた。他の講談師をほとんど知らないので比較では何も語れないが、何か雰囲気を持った人物であることはわかった。これがデビューCDになるそうだ。収録されている他の講談を聴くのが楽しみ。
帰宅して床に転がっている本の中にある文庫本に目がいく。未読の第一回直木賞受賞作ということも惹かれるが、それ以上にカバーのデザインに魅了されて先日購入した。
- 川口松太郎「鶴八鶴次郎」(光文社時代小説文庫)
カバーデザインは菊地信義氏。言われてみれば成る程というデザインだ。こういうタイポグラフィーを使ったデザインをあまり見なくなったような気がする。学生時代の本屋には菊地信義デザインの本が溢れるようにあった。多分、少し懐かしいのだとも思う。松と鶴が揃っておめでたい感じもいい。