何も足さない、何も引かないレッド。


 昨日はちゃんとした日曜日を過ごした。

 寝過ごして起き、テレビを見ながら洗濯をし、ぐたぐだした後に風呂につかっているともう昼過ぎ。のそのそとワイシャツを詰めたバッグを持ってクリーニング屋に行き、空になったバッグをさげてバスに乗って街に出る。吉野家で牛丼と生卵とコールスローを食べ、本屋とドラッグストアとCD屋に寄って帰ってきた。
 「モヤさま」と「龍馬伝」を観て、レッド・ガーランドのアルバムを2枚聴きながら、あるブログで知ったあるブログを過去にさかのぼって読む。僕には全く読めない異国の文字で書かれた名前のブログは、とても気持ちのよい文章で書かれ、そしてはっとするような直截的な表現がちりばめられていた。こんな風に飾らず隠さず自分の気持ちを書いていいのだとなんだか気持ちが軽くなった。

イッツ・ア・ブルー・ワールド

イッツ・ア・ブルー・ワールド

キャント・シー・フォー・ルッキン

キャント・シー・フォー・ルッキン

 こんな普通の日曜日を過ごした後の月曜日の朝はどこか胸が詰まるような気分で始まる。こういう朝はいつも以上にゆっくりと物事を進めるに限る。簡単にできるスティックコーヒーはやめて、カップの上にのせるペーパーフィルター式のコーヒーに丁寧に電気ポットのお湯を落とす。


 自分の仕事を終えた後、夕方から注文しておいた外注の製品のチェック。これがまともに使えない代物のため、スタッフ数人で4時間かけて手を入れる作業を行う。なぜ、仕事を楽にするために金までかけて作ったものが、逆に仕事を増やすのか理解に苦しむ。


 理不尽な仕事への憤りから本屋でヤケ買いに走る。おあつらえ向きに買いたくなる本が並んでいた。

能は死ぬほど退屈だ―演劇・文学論集

能は死ぬほど退屈だ―演劇・文学論集

電子本をバカにするなかれ 書物史の第三の革命

電子本をバカにするなかれ 書物史の第三の革命

 この地元の本屋では過去の実績から言って論創社国書刊行会の本は1冊ずつしか配本されないため、今買っておかないと地元では手に入らなくなるのだ。

 小谷野本はブログに書いたものを中心にした「猫を償うには猫をもってせよ」パート2にあたる本。
 津野本は国書刊行会の編集者・樽本周馬氏の手になる〈本や読書についての随筆や批評や対談をあつめ〉た、〈津野さん式の「バラエティ・ブック」みたいな本〉である。


 家に帰って今日もレッド・ガーランドを2枚聴く。こんなことを書くとレッド・ガーランドファンから怒られるかもしれないが、彼のアルバムはどれを聴いても同じようなものである。斬新さや鬼面人を驚かすようなケレン味などほとんどない。いつも変わらない。それがいい。何も変えたくない。変わらなくていい。現状のどうしようもない自分を肯定したくなる時、今の自分でしょうがないじゃないかと己を納得したい時、レッド・ガーランドを友として何もせずに時を過ごす。


 「何も足さない、何も引かない」というCMのコピーがあった。あれはサントリーの山崎だったか。オールドだったか。でも僕にとってはレッドなのだ。