わかることの怖さ。

 本日は野外仕事。


 仕事現場で職場の先輩の知り合いというおじさんにつかまり、延々話を聞かされる。こういう人はただ自分の言いたいことを話したいだけだから、寒空の下でずうっと聞きたくもない立ち話に付き合わされている状態がどれほどつらいかなどまったく眼中にない。我々の仕事に対するアドバイスとやらをあれこれ語り、「自分の仕事に他人からとやかく口を挟まれるのは嫌なのはよくわかるんだけど、君たちの事を思うから敢えて言わせてもらっているんだ」と言い訳をする。それが他人の迷惑だと「わかって」いれば迷惑をかけていいと思っているんだろうなこの人は。「自分はわがままだから」と認めることで自分の「わがまま」を正当化する人たちと同類である。



 やっと解放されたので、同僚たちと遅い昼食をとる。公園の中にあるプレハブのようなお食事処。同僚から聞いたオススメのかき揚げ丼とそばのセットを頼む。値段の割に量もあってなかなかうまい。温かいそばの汁を飲んでひとごこちついた。



 仕事は終わったが、すでに時間は4時に近い。残念ながら「おさんぽ市」には間に合わず。


 地元に戻り本屋へ。


 坪内祐三対談三連発(リリー・フランキー菊池成孔湯浅学)とプロレタリア文学特集。


 サブカル系古本屋の100円棚から。

  • 『太陽』1977年1月号

 鏑木清方特集号。執筆者が里見弓享、川口松太郎吉行淳之介、芝木好子、戸板康二衣笠貞之助藤枝静男池波正太郎松本清張など豪華。〈サウンド〉欄担当が片岡義男、〈映画〉欄が中上健次。それから小林信彦「神野推理氏の華麗な冒険」第7話「抗争の死角」(これはもちろん刑事コロンボ「構想の死角」のパロディです)が載っている。小林泰彦氏のイラストがとても大きく4点も入っているのが気持ちいい。


 別の本屋を覗くと「大阪ハムレット」の最新刊がでていたので買う。

大阪ハムレット 3 (アクションコミックス)

大阪ハムレット 3 (アクションコミックス)

 映画化で注目を浴びている作品であるが、それを知る以前から第1巻、第2巻ともに愛読していたので新しい話が読めるのはうれしいね。


 帰りのバスで昨日最終日を迎えたTBSラジオ「ストリーム」終了の挨拶(小西克哉松本ともこ)をポッドキャストで聴く。新参者が言うのはなんだがこの番組が終わってしまうのは残念。


 帰宅後、「大阪ハムレット」を読む。全部で5話。ただし2と3、4と5はそれぞれ前後篇となっているため話としては3つ。前後篇に分かれているものはじっくり書かれているためやはり読み応えがある。「テレパシー」(2・3)もいいが、やっぱり「あいの探偵」(4・5)が一番かな。探偵役の中年オヤジがいい味を出している。どの話も全体的には善意の人間たちを描いている。そこだけとれば感動もの、お涙ちょうだいものと言えるのだが、どこかすっきりとはいかないドロドロしたものが流れていてうまく作品にネジレを作り出す。そのネジレがあることによってリアリティが生じるため善意のドラマに付き物のあの恥ずかしさを感じずに読むことができる。そのさじ加減がうまいのだ。


 
 『en-taxi』から追悼録である「The Last Waltz」を読んでいると、坪内さんが『週刊文春』で「清野徹のドッキリTV語録」の著者であった清野徹氏の追悼文を書いていた。僕はその死を昨日読んだ『週刊文春』で知った。坪内さんによれば清野さんは凄腕の編集者でもあり、吉本隆明栗本慎一郎「相対幻論」の編集をしていたことを知った。「相対幻論」は僕が大学生の時に出た本で、吉本さんの「共同幻想論」に歯が立たなかった僕でも対談の気安さで吉本隆明バタイユの思想がわかったような気にしてくれたありがたい本だった。浅田彰「構造と力」、中沢新一チベットモーツアルト」がベストセラーリストに挙がっていたニューアカブームの中でこの本を読みながら自分もその思想に触れているのだと晴れがましく思ったことを恥ずかしさを感じながら思い出す。