文字文字した本屋。


本日出張。
ここ数日とうって変わって曇りがちで少し肌寒い。


夕方出張仕事を終え、帰りのバスを自由が丘で降りる。
久し振りにこの町の本屋を回ってみようとまずは東京書房へ。ここの最新刊の棚は買いのがしていた新刊を安く手に入れるのにもってこいなのだが、棚の場所が変わっていたので少しまごつく。見るだけで外にでて向いのブックファーストへの階段を下りる。
坪内さんのPHP新書小山清「小さな町」を探すが見当たらず。PHP新書の新刊はまだ出ていないらしい。


ブックファーストを後にして、踏切を渡り西村文生堂に向かう。1年前に来た時に200円均一店となっていた支店の方に入ると、均一ではない本店と同じような棚構成の店になっていた。では、本店の方はと店を出てはす向かいを見てみるとお店のあった場所が他業種の店舗になっているではないか。ビックリ、知らなかった。
じゃあ、先程支店と思っていたのが今の本店なのか。アンダーグラウンド・ブック・カフェなどで積極的な活動をしているイメージがある西村文生堂だから、店舗より目録や即売会などのイベント中心にやっていくということなのだろうか。


近くの青山ブックセンターへ行き、「小さな町」を探すが見つけられず。ABCのビジュアル中心の棚構成の中では本の文字がうまく目に飛び込んでこない。


もっと文字文字した本屋に行きたくなって駅前の不二屋書店に入る。この店の左手にある小説・エッセイの棚は本がぎっちりと詰まっていてる上に著者別分類ではない不思議にゆるい構成になっているのでまるで掘り出し物系古本屋の棚のように探す楽しみに満ちている。いやぁ、ホッとしますねこういう店は。ブックファーストやABCはこの街からなくなっても他の支店で間に合わせられるが、この不二屋書店がなくなったら僕にとっての自由が丘はランクが数段下がった町になるだろう。
相変わらず縦に並べた本の頭に横向きに寝かせた本を詰めてある棚に小山清「小さな町」(みすず書房)を発見する。不思議なものでゆったりとした本の数が少ない書店より、この店のような本でぎっちぎちの棚の方が文字がちゃんと目に飛び込んでくるものなのだ。
よろこんで買って帰る。


帰りの電車で川本三郎「銀幕の東京」(中公新書)の続きを読む。新宿の章で、松本竣介が書いた公衆トイレの絵に関して洲之内徹「気まぐれ美術館」が引用されていたり、成瀬已喜男監督の「山の音」で山村聡原節子の2人に新宿御苑を歩かせているという記述があるのを見つけたりする。


駅からのバスでは、昨日iTunesStoreで購入した立川談春朗読の京極夏彦姑獲鳥の夏」オーディオブックをiPodで聴く。鼻声で坦々と読んでいる。ふ〜ん、こういう感じなんだ。


帰宅後、「銀幕の東京」読了。この本で引用されていた未見の邦画をあれこれ見てみたい衝動にかられる。


小林信彦「決壊」(講談社文芸文庫)から「金魚鉢の囚人」を読む。この短篇を最初に読んだのは20代の頃だったと思うが、気がつけば主人公のテディ・ベアと同じ年代になっている。だから、こんな箇所にはドキッとする。


《だが、彼がそうしたずれを冗談として口に出せるのは、自分の感覚が老いていない、ひそかな自信を抱いているせいでもある。》



今日の4000番外。

イージー・リヴィング

イージー・リヴィング


今日聴く予定の4098番がみつからないので同じアイク・ケベックのリーダーアルバムを代わりに聴く。
ケベックスタンリー・タレンタインという2人のテナーに加え、ベニー・グリーンのトロンボーンにクラークのピアノとブレイキーのドラム。これだけ揃ってつまらないわけがない。




購入1。読了1。
【購入できる新刊数=2】