風呂どじょう以前。


休日なので目覚ましなしで寝ていると玄関のチャイムの音で目覚める。
先日、早稲田青空古本祭の目録で当たった「日本近代文学大辞典」(講談社)が届いたのだ。
大学時代、学校の図書館や研究室で目に馴染んだこの辞典を自宅に置く時が来たかと寝ぼけた頭で思う。日垣隆さんが座右のレファ本として喧伝したために古書価が上がっていたのだが、全6巻が2万円台で手に入ったのはうれしい。


これをきっかけに起床。朝食後、洗濯機を回してから朝風呂(といってもすでに昼近くだが)に入る。湯舟につかりながら柳家小三治「小言念仏」を聴く。先日ブログで屁爆弾さんが“自分の死にぎわに聴く落語”として選んでいた噺だ。別に死にかけているわけではないのだが、日曜の昼間から風呂に入ってはぁ〜なんて腑抜けた声を出しているんだからある意味極楽状態であるには違いない。どじょうのようになる前に湯舟から出る。


昼過ぎに散髪に行き、その後床屋の隣の中華料理店で昼食。五目チャーハンとエビ餃子を食べた。この店はこの場所に引っ越してきた時地元の同僚から「餃子がウマイからぜひ行ってみてごらん」と勧められた店だ。ただ床屋に行く時以外は通らない道なので、この10年でまだ2回しか行ってない。そう思えば10年ぶりに入ったことになるか。前の時の味はすっかり忘れてしまっている。チャーハンも餃子もおいしいが、一番おいしかったのはチャーハンについてきたスープ。中華でおなじみのあの湯呑みのような器に入った茶色のスープである。これまでこの手のスープをおいしいと感じた記憶はないのだが、この店のスープはダシのうまみをしっかり感じさせて美味。また次回の散髪時に寄ろうと思う。


帰宅して、“秋も一箱古本市”の準備。先日段ボールに入れておいた出品候補の本を取り出し、ワークシートに書名・著者名・出版社名・購入金額等を入れていく。それが済んだら、販売金額を決める。その後、本についている値段のシールをシールはがしを使って取り、鉛筆で書かれた値段は消しゴムで消す。
ふと気付くと箱に詰めた本は単行本・文庫本あわせて40冊を越えている。これって多すぎないか。すくなくともこのままでは箱を使って背表紙を見せながらディスプレーをするのは無理だ。さて、どうしよう。


それらの合間を縫っていろいろ読書。
黒金ヒロシ・ペリー荻野「伝説日本チャンバラ狂」(集英社)から、「新撰組血風録」、「木枯し紋次郎」、「三匹の侍」、「水戸黄門」の章を読む。それぞれのテレビ時代劇の製作秘話が面白い。「新撰組血風録」の本当に京都の旅館を壊しながら撮った池田屋の場面はぜひ映像で観たいものだ。


『東京人』11月号から黒岩比佐子さんの「新宿御苑一〇〇周年 市民のオアシスになった皇室のお庭。」も読んだ。川端康成「山の音」に新宿御苑を舞台とした場面があり、成瀬已喜男監督の「山の音」でも原節子山村聰の2人がラストで歩く場面で新宿御苑がでてくるとあった。映画はこの前観たのだが、あの場面はてっきり神宮外苑あたりで撮ったものだと思い込んでいた。こんど観直してみよう。


南陀楼綾繁「路上派遊書日記」(右文書院)も100頁ほど。栞冊子で堀切直人さんも言っているように南陀楼さんの文章はスラスラと読める。そのスラスラ感が快感となり、読書に加速度がつく。とりあえずは最初の3ヶ月の山場である(と勝手に解釈)岡山蔵書処分の旅を楽しく再読した。


今日の4000番台。

ヘヴィ・ソウル

ヘヴィ・ソウル


リタイヤしていたアイク・ケベックが復帰して吹き込んだBNデビューアルバムが4093番。この人はいつでもどこでも同じように急がない。ライナーノートでは、ハードバッパーにもならず中間派のままでいると書かれているが、分類がどうだろうとオルガントリオと共演して、なんだかソウルジャズっぽく聴こえてくるのが楽しい。本人は別に昔と変わったことはやっていないんだろうけど。8曲目の「ネーチャー・ボーイ」なんていうのも、あまり若い人はやらなそうだな。つい、ナット・キング・コールの歌を思い出してしまう。



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