塩鮭亭日常。

今日もまだ唾液から塩の味がする。塩鮭の口の中ってこんな感じかと思う。


当初の予定の仕事を終えて、退勤。


本屋へ。

  • 『WiLL』7月号

バス待ちで日垣隆「どっからでもかかって来い! 売文生活日記」を読む。今回は“ネット古書店こりゃありえねぇの巻”という刺激的なタイトルがついている。日垣さんは以前からネット古書店のサービスの悪さをこの連載で批判してきたが、今回は複数の店名を挙げてその《旧態依然》振りをこき下ろしている。日垣さんの望むレベルにすべてのものが到達していなければならないかには疑問の点はあるが、商売をしている以上顧客のサービス要求にさらされるのは仕方のないことだろう。日垣さんが要求しているカードによる決済は、やはり実現してほしいと僕も思う。仕事の合間をぬって郵便局や銀行に行く時間を作らなければならないのは、ネットで古本を購入した時の気詰まりな点のひとつだから。その点、アマゾンのマーケットプライスはカード決済が可能なため、やはり気軽に注文してしまう傾向にある。
しかし、そのアマゾンにも気詰まりな点があって、店や出品者への評価を半ば強制されることだ。こちらは、ただ記載された状態通りの本がちゃんと届けばそれでよく、別に店の評価などしたくもないのだが、そのままにしておくと評価をするように促すメールが来る。これが正直好きではない。思った通りの本が思った通りに来たので、普通に3をつけるとそれが評価を下げる行為と見なされるような雰囲気がいろいろなところに感じられる。普通でなぜいけないのだろう。確かに、注文をする時にその店の評価が高ければ多少安心感を持つということはある。とはいえ、いくら100%5がついている店でも欲しい本がなければ意味がないし、欲しい本があるのなら僕は平均3の店でも迷わず注文するはずである。
日垣さんもアマゾンで古本を買ったある店から異常なまでに評価を気にするメールが届いたことに触れている。その店は3以下の評価をつける場合、評価をする前に必ずメールをくれと要求するらしい。困ったものだな。


帰宅後、向井透史さんの「早稲田古本劇場」を読む。今回は書き込み本の話。ネットで注文した本に書き込みがあったらトラブルになり、店の評価も下がるだろう。しかし、店頭で手にした本に思わぬ書き込みがあって、それが面白くてその本を買うということもある。街の古本屋にはネット書店にはない、ゆったりとした時間がまだ残っているように思う。そんなあり方を楽しむ余裕を持っていたいものだ。そのためにも地べたの古本屋さんたちにぜひ頑張ってもらいたいと思う。こんなことを言っていると日垣さんからお前も“旧パラ”人間だと言われそうだが。


「半日半夜」を少し読んでから寝る。杉本秀太郎さんのエッセイは、毎日少しずつちびちびと読むのがしっくりくるような感じだ。


もう寝ようと思うのだが、まだ塩味の唾液が出てきている。今ならおかずなしでご飯が食べられそうだ。


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