読むものとしての写真。

歩いて職場へ。
いろいろな同僚から昨日の事を聞かれる。同じ話を何度も繰り返す。繰り返すことですり切れて不鮮明なものになればいいのだが、そう簡単なものではない。ある女性の言った「トラウマになりますね」という言葉にドキッとする。


退勤後、本屋に寄る。

  • 『WiLL』6月号

バス待ちで日垣隆「どっからでもかかって来い!」を読む。今回は敵がいないのであまり盛り上がらないのだが、日垣さんが司馬遼太郎講演テープを聴き、「大東京繁盛記」の泉鏡花の文章が駄文であるという発言に興味を持ち、ネットで神田の古書店から手に入れたという記述におやっと思う。わざわざ古書店で親本を探さなくても、平凡社ライブラリー版が生きているはずなのに。それともあることを知っていて司馬遼太郎氏と同じ本で読みたかったのだろうか。


帰宅すると、書肆アクセスの畠中さんからメール便が届いていた。中を開けてみると『彷書月刊』の“岡崎武志古本劇場”と『fullhonist(ふるほにすと)』が入っている。うれしい。畠中さん、ありがとうございます。『彷書月刊』は地元の本屋では手に入らないので、切歯扼腕していたのだ。舐めるように読んでしまうな、きっと。ざっと目を通しただけで、もったいないから今日はとっておくことにする。

同じ“古本劇場”であるということで『WiLL』から向井透史「早稲田古本劇場」を読み、困った子供たちと父親に笑う。


読了本を増やす意味もあって、積ん読本から橘蓮二「写真集 高座のそでから」(ちくま文庫)を取り出す。それにしてもみんな存在感のある顔をしているなあ。生きているって顔だ。初めの方に出てくる林家彦いちさんの高座で正座姿で飛んでいる写真にびっくり。麻原彰晃以来の衝撃だ。しみじみと味わって読了。これで1冊新刊が買える。
写真集を読了本に入れるなんてずるいという声が聞こえてきそうだが、いやなに、写真とは見るものではなく、読むものですから。

写真集 高座のそでから (ちくま文庫)

【購入できる新刊数=2】