黒猫に電話。

本日は終日出張で野外仕事。雨を予想していたのだが、午前中から晴れて暑いくらいだ。


今日は初めて会う人たちと仕事をする。年下の男性1人と女性2人。男性の方は筋肉質の劇団ひとり風、若い女性たちはともにメガネ女子で片方は香山リカ似なのだが、もう片方の人は一日考えたが誰も似ている人が思いつかなかった。


仕事も終盤となり、立ち仕事の疲れも出て、ぼうっと空の方を眺める。薄いグレーの雲が流れ、強い風に黄緑色の若葉が揺れているそのコントラストが美しい。明るいグレーの雲が薄墨色に変わってきたと思うとみるみるうちに美しい形容が思い浮かばない濃い色となり、風に霧吹き状の水が混じる。あと少し持ってくれればという周囲の声を無視するかのようなスコールが襲来。傘をさしながら、足下を濡らしてなんとか仕事を終える。その時を待ちかねたかのようにぴたりと雨が上がった。まるで天気にもてあそばれているようだ。


帰りに横浜駅西口の有隣堂で仕事関係の本を2冊購入。断るまでもなく、仕事関係の本は新刊購入ルールの適用外です。そうしないとおまんまの食い上げですから。
最近仕事の関係であるテーマに関する本を集めているのだが、なんと今日買った1冊があの細木数子女史の本。まさか、自分がこの人の本を買う日が来ようとは。初めてページを繰ってみると、ルビがたくさんふられていることを知る。ただし、総ルビではなく、取捨選択がなされているのだが、その基準がよく分からない。“摩擦”や“煽動”といった言葉はわかるが、“北”や“時間”にまでふる必要ってあるのだろうか。それならいっそ総ルビにすればいいのに。それから“六星占術”にはカバー・本文含めてルビがない。「私の本を買う人間でこの言葉を読めないものはない」という自信なのかな。


地元に戻り、昨日行けなかったとんかつ屋で夕食。食事がくるまで「同時代も歴史である 一九七九年問題」を読む。平野謙を扱った第2章“戦時の「傷」は暴かれるのを待っている”が面白い。平野謙の戦中における戦時体制への迎合発言に言及した杉野要吉「ある批評家の肖像」を取り上げ、その研究に対して平野謙シンパの文学者・研究者グループの卑怯な対応に目を配り、希代の文藝評論家平野謙の胸の内をおもんぱかっている。この手の文章を書かせると坪内さんはやっぱりうまいなあと思う。


帰宅するとクロネコメール便の不在通知が。送り主は新潮社。おお、これはYonda?CLUBのグッズではないか。クロネコに電話し、明日届けてもらうことに。楽しみ。


同僚からメールがあり、明日の小田原出張はなくなる。楽しみにしていたのに残念だ。明日はゆっくり休めという神の思し召しだと考えることにする。

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