世界一受けたい授業。

昨晩は2時過ぎまで寝床で読書。布団にまで持ち込んだのは、『文學界』3冊。2005年7月号、9月号、そして11月号だ。7月には松尾スズキクワイエットルームにようこそ」、9月には絲山秋子沖で待つ」、11月には片岡直子「インスピレーションの範囲−小池昌代さんの「創作」をめぐって」が載っている。迷った末、一番関心がある最後の文章を読んだ。
読んだ感想を素直に書けば、この文章に引用されている部分を読むだけでは、片岡さんが指摘する小池さんによる先行する他者の作品からの剽窃(直接この言葉は使われていないが、そういうことを言いたいのだと思う)と言うほどの問題は感じなかった。もともと文学とは先行する文学作品の引用から成立するものであると思うし、また、片岡さんが言うほど、先行作品にオリジナリティが感じられるわけでもなかった。片岡さんが小池さんの作品を評価できないと感じているのなら、誰の詩や文章に似ているということではなく、それが文学作品としてどうつまらないかを追求すればよかったのではないかと思う。個人的には引用された先行作品より、似ていると言われる小池さんの作品の方がいいと思えるものもあり、その逆もあった。ただそれだけのことのようにも思えるのだが。
今朝は遅番なので8時に目覚める。風呂のお湯がたまるまで床の中で絲山秋子沖で待つ」を少し読む。冒頭を読んだ限りでは、ちょっと面白そう。風呂につかりながら、「もうひとつの志ん生」を聴く。「これが志ん生だ 古今亭志ん生名演大全集」の特典としてつけられたCDらしい。以前にブックオフで買っておいたもの。「志ん生復活」と「志ん生表と裏」の2つが入っており、前者はナレーターが大病に倒れた志ん生が復活するまでのストーリーを語ったもの。志ん生のセリフのところは志ん生の音源が使われている。後者は、ラジオかテレビで放送したらしい志ん生宅を訪ねたときの様子が収録されている。
出勤途中はiPod桂枝雀「地獄八景亡者戯」を聴く。この噺は昔テレビの花王名人劇場で師匠にあたる桂米朝さんがやったものを観たことがある。枝雀バージョンは師匠のものより滑稽味がより強いものとなっている。七福神の恵比寿さんが地獄で酒屋をやっているという話題があり、最初魚屋をやっていたのだが、鯛を1匹売ってしまうと他に売るものがなくなって、ヱビスビールを売り始めたというのがおかしい。
退勤後、所属部署の新年会。いつもの料理屋だ。10時過ぎまで食べて飲む。
帰宅後、ブログ散歩。
最近チェックしている「crazy feeling 2」(http://hstm2.exblog.jp/)というブログを書かれている方が、早稲田大学坪内祐三さんの授業を受けている人であることを18日の日記で知る。

《 5限。今週もレポートを提出するためだけに来た人が大勢いるので、しばらく外で待つ。いつも通り一番後ろに座っていると「hstmさん、授業してほしいですか」(先週は学生の質問に答える形式だった)と聞かれ、他の人のことも考えずに頷く。各社の社史のコピーが配られて、「週刊新潮」「週刊文春」「週刊公論」についての話。特に「週刊公論」の話が興味深い。来週授業をするかどうかは様子をみて決めるとのこと。人が少ないことを願うばかりだ。「金城庵」は「金城庵」で楽しみにしているのだが、じつはすごく、授業を楽しみにしている。

授業後「金城庵」。ツボウチさんに色々教えていただく。トイレに行くついでにケータイにメモしておこうと思ったら、こういうときに限ってポケットにケータイが入っていない。花袋の話も伺ったのだけど、聞けば聞くほど(読めば読むほど)レポートを書けなくなってくる。ところでこの日の差し入れは寄せ鍋。これが予想以上においしくって驚いた。》

受けてみたいな、こんな授業。