ネタ後で。


 職場で同僚に何度か話しかけられる。この人と話しているとなぜだか疲れてぐったりしてしまう。なんでだろうなと思って考えてみたら、この同僚は僕と話したいことを話しにきているのではなくて、自分の話したいことを話しにきているからだという結論に達した。


 彼女が「あの人はいい人だ」という同僚は結局自分の話を聴いてくれる人の謂いであることもよくわかる。「“NO”と言えない男」である僕は同僚における「いい人」の1人らしい。だから今日も、僕の反応には関係なく話したいことを話している相手からどんよりした疲労感を与えられるのだろう。とほほ。


 仕事プラスの疲労感を肩に感じつつ退勤。本屋へ。


ねたあとに (朝日文庫)

ねたあとに (朝日文庫)

志ん生芸談 (河出文庫)

志ん生芸談 (河出文庫)

江戸食べもの誌 (河出文庫)

江戸食べもの誌 (河出文庫)




 文庫の新刊から3冊。

 「ねたあとに」は単行本で読んでいるのだが、カバーに朝日新聞連載時の高野文子画伯によるカラー挿絵が並んでいるのを見て迷わず購入。カバー装幀の名久井直子さんに感謝したい。「電化文学列伝」(講談社文庫)は単行本の高野画伯のイラストカバーをあっさり捨ててしまったのでなおさらうれしい。ああ、この連載時のイラストを全部網羅して1冊の本として出してくれないかな。絶対買うのに。


 「志ん生芸談」と「江戸食べもの誌」は河出文庫の新刊。河出文庫のこの路線、いつまでも続いてほしい。


 「志ん生芸談」の帯を見て「えっ」と声を上げる。“伝説の高座、復活! 古今亭志ん朝 大須演芸場”というCDブックが6月に出るというのだ。あの、小林信彦氏や中野翠氏、そして岡町高弥さんが陶然と語るあの大須演芸場志ん朝噺が聴けるなんて。値段は高いが、もちろん、絶対、必ず手に入れますよ。CDは単なる音声記録であってあの小屋で生の志ん朝の高座を聴いた者しか感じられないアウラを記録できるものではないと小林信彦氏が言うかもしれないが、それはあの場に立ち会えた選ばれし者のみが言える贅沢であって、その恩恵に預かれなかった余人にとっては小屋の壁の隙間から洩れ出てくる雑音まじりの音だけでも耳を壁に当てて聴いてみたいのだ。6月か、待ち遠しい。もっと早く聴きたいのだが、我慢しよう。大須のネタはまだ後で。




 帰宅すると「Monthly Takamitsu」164号が届いていた。今回は2011年度収穫回顧特集号。毎年楽しみな号なのだ。
 ライブ篇、落語篇、映画篇は昨年ほとんど行けなかったジャンルのためただ高説を拝聴するだけ。「モテキ」すら見ていないとは「どうかしてるぜ」と自分に突っ込みたくなる。どうにか食いつけるのは書籍・雑誌篇くらい。それでも読んでない本ばかりが続く。唯一手元にあるのは桂吉朝追悼本の「吉朝庵」(淡交社)。付属のCDには吉朝噺が2席収録されている。古川綾子「上方芸人自分史秘録」(日経ビジネス文庫)の存在を初めて知る。これはチェックしなくては。その他、吉田豪の評価にうなずく。
 テレビ番組篇の1位「カーネーション」と3位「しあわせのカタチ〜脚本家木皿泉創作の“世界”」は観ているので(前者は一部)その高評価が納得できる。



 今年は落語をもっと聴きに行きたいな。僕は人の噺を聴くのは得意だし、大好きなのだ。
 


吉朝庵: 桂吉朝夢ばなし

吉朝庵: 桂吉朝夢ばなし