欠けた鼎。

本日は休日出勤。3時過ぎまで仕事をし退勤。
本屋で雑誌2冊。

  • 『新潮』2月号
  • 『水声通信』1月号

『新潮』は小島信夫氏の新作長編「残光」が一挙掲載されている。これは読んでみたい。
『水声通信』は3号目。特集が“村山知義マヴォイストたち”だ。興味はあるが、よくは知らないのでお勉強のために購入。前号の小島信夫特集といい、面白そうな特集をしてくれる。次号は“ロシア・アバンギャルド芸術”。これもちょっとそそられる。
TSUTAYAで「枝雀落語大全」1集、2集、10集を借りる。なぜかこの店の落語CDコーナーには桂枝雀師匠のものしかないのだ。昨日の立川談春独演会で自分がいかに落語の噺を知らないかを痛感したので、枝雀落語で勉強しようと思う。
余り行かないTSUTAYA近くの古本屋を覗く。棚の一番下にあったこの本を見つける。

  • 小島信夫「そんなに沢山のトランクを」(創樹社)

手に取って開くとサイン本であった。1000円。面白そうなエッセイ集なので買うことに。
バス待ちの時間に柳広司「贋作『坊ちゃん』殺人事件」を読む。四国の中学をやめて東京の街鉄の技師となっていた坊ちゃんが山嵐と再会し、2人が四国を発った日に赤シャツが自殺したという新聞報道を知る。その死に疑問を感じた山嵐が坊ちゃんをともなってかの地に戻ってくる、という「坊ちゃん」の後日談ミステリー。冒頭は漱石文体模写から入り、段々普通の文章に変わっていくところに作者の苦心の跡が窺える。先日読んだ小林信彦「うらなり」は主人公を視点人物の坊ちゃんから脇役のうらなりに移すことで漱石文体模写という足枷から逃れているのだと気付いた。
帰宅後、ブログ散歩。昨日の「okatakeの日記」に書かれた晶文社の一般書籍からの撤退の話題に多くのブログが反応している。この件に関しては、暮れに岡町高弥さんからメールで教えていただいていた。正直ショックであり、とても残念であったため、自分からこの話題に触れるのを今まで避けてきたのだ。晶文社筑摩書房平凡社というのは僕にとって本を買う喜び、読む喜びを支えてくれていた鼎のような三本柱の出版社であった。その1つが無くなることの寂しさはちょっと例える言葉が見つからない。昨年秋から晶文社の新刊が極端に少なくなり、HPの更新も滞り気味であるのを見て、何か嫌な感じはしていたのだが、その予感は見事に当たってしまった。
この晶文社撤退の件は、犀のマークを愛した多くの読者を嘆かせるとともに、犀のマークで自著を出すことを夢見た多くの文筆家を落胆させることになるだろう。