あれは1年前のこと。

起きたら既に雪景色。それなりの服装で職場へ。不思議なものでただそれだけのことなのに心が少し弾んでいる。
午後になっても雪は降り止まず、傘をさして退勤。本屋へ。

女性雑誌の平積み台から人がはけたところを見すまして手を伸ばす。レジ横にある『本の話』2月号をいただく。
それらを持って駅ビル内のレストランへ。ここはいつも空いているのだが、この雪で土曜の午後なのにいつも以上に人影もまばら。「キノコと元気野菜のガーリック風味」というパスタを頼む。口で言わずにメニューを指差す。“元気野菜”という言葉が恥ずかしいのだ。なぜ「キノコと野菜」ではいけないのか。たまに行く日高屋のタンメンも品名が「野菜たっぷりタンメン」となっており、これも「タンメン」とだけ言って頼む。他にタンメンはないのだから、それでいいはずなのに店員は「野菜たっぷりタンメンですね」と念を押してくる。“野菜たっぷり”は店側の主観であり、それを客に押し付けないでほしいし、また「元気」、「たっぷり」のこういう使われ方はなんだか背筋がもぞもぞして苦手だ。
パスタを待つ間、『本の話』に目を通す。2月の文春新書の新刊にこれを見つける。

  • 中野翠「今夜も落語で眠りたい」

説明文を引用する。
《落語の魅力にとりつかれ、「落語こそ日本文化の最高の遺産」と言い切る著者による、寝ながら愉しむ落語入門。イラスト多数収録》
落語ファン、中野翠ファンにはうれしい1冊だ。
帰宅後、『ku:nel』を眺める。海月書林が6ページに渡って紹介されている。店主の市川さんの自宅の写真が掲載され、プライベートの方の本棚も見える。フローリングの床にアンティークと思われる木の机、さりげなく下がっている無地の大きなトートバック。店の品揃えのイメージ通りの生活空間だ。文の方では市川さんのプロフィールが紹介されている。書き方にちょっと力みが感じられるものの一生懸命さが伝わってきて、微笑ましい。
また、別のページにcowbooksの松浦弥太郎さんも登場している。ダッフルコートにマフラー姿で、トートバック代わりの籠を下げている。店の雰囲気同様生活感を感じさせない装いだな。籠の中には小島信夫アメリカン・スクール」(単行本)と前田夕暮「緑草心理」が入っているとのこと。
そうだ、小島信夫だということで、『新潮』2月号掲載の「残光」を読み始める。最近書かれたエッセイ(「水声通信」など)と同じように、エッセイや小説といったジャンル分けがバカらしくなるような小島信夫の文章というしかない言葉が連ねられていく。アルツハイマー病の妻(愛子さん)を施設に入れたという話題を中心としながら、それが中心であることをすぐ忘れてしまうくらい、他の話題に次々と飛躍し、いつもの保坂和志さんももれなく登場。チェホフ、ドストエフスキーロラン・バルトベンヤミン小西甚一といった名前が次から次へと現れては消えていく。そして、繰り返される過去の自作への言及。50ページほど読んだ。90歳近い作家のこの饒舌を驚き楽しむ。

読書中に、音を立てて平積みの本の山が崩れる。それを直していると、「[はてな]ではじめるブログ生活」(DART)が出てくる。このブログを始めた時にマニュアル代わりに買ってきたものだ。「晩鮭亭日常」を始めたのが昨年の1月21日。もう1年が経ったのだ。あっという間だな、と思いながらも書いた内容を思い返してみると、それなりにいろいろなことがあったなとも思う。この1年の日記をダウンロードしてCD-Rに記録する。とりあえず、毎日必ず書くということを自分に課して、1年間やり遂げることができた。それも、ブログや口頭で、いろいろな方々からあたたかい励ましをいただいたお陰だと思う。「晩鮭亭日常」を通じて、交友関係も広がり、自分の興味関心も広がった。そして、これまでにも増して、大量の積ん読本の山がその裾野を部屋一杯に広げつつある。これらの本となんとかして向き合わなければと考える。これからの生活設計も真剣に考えないと。

そんな諸々を考えつつ、1周年というちょうどよい区切りをもってしばらくブログを休むことにする。

またそのうちにお目にかかることを楽しみに、しばし休憩させていただきます。
皆様、お風邪など召しませぬよう、お元気でお過ごしください。