十二月文庫と珈琲。

いつもの日曜日。遅く起きて洗濯してお風呂で落語。今日は三遊亭円遊「堀之内/花見小僧」を聴く。とてものんびりした語り口でぐたっと湯船にハマっているには丁度いい。
昼から出かける。いつものサンデー古本散歩コースだ。
まずは神保町の東京堂へ。

さすがは神保町。探していたこの本がすぐに見つかる。荒川洋治さんの新刊書評集がすでに出ていた(サイン本もあった)が、今日は見るだけとする。ふくろう店で本屋特集ページがあるという『high fashion』をチェック。さすがファッション雑誌の特集だけあってカッコよくレイアウトしてあるなと感心する。『編集会議』を覗くと、古本屋紹介コーナーに池ノ上の十二月文庫が載っている。久し振りに今日の帰りに寄ってみようと決める。
村山書店(まだ「本間久雄日記」があることを確認)→悠久堂書店→小宮山書店と流す。コミガレで3冊を500円で。

最初の2冊は番町書房の“ユーモアエッセイ集シリーズ”。山藤章二画伯の似顔絵がいいですね。3冊目は初めて見る本。表紙や本文に赤瀬川原平画伯のイラストがふんだんに使用されている。中身はそれぞれの筆者が裁判形式でさまざまな問題について書いたエッセイ集のようなもの。野坂・赤瀬川両氏は裁判に関していろいろあったからそこらへんから出た企画のような気がする。
日本特価書籍で新書の新刊を2冊。

東京堂で買い忘れたちくま文庫の復刊「東京百話」を探すが流石に置いていないようだ。
並びに新しくできた吉野家豚丼。「ブタ丼下さい」とたのんでから「トン丼」ではないのかと不安になる。メニューに読みは記載されていない。牛丼は音読みで「ギュウ」なのだから、合わせるなら「トン」のはずだが、他の人はどう言っているのだろう。他に注文する人がいなかったので確認できずじまい。
地下鉄で荻窪へ。ささま書店に行く。店頭均一から2冊。

高田本は辞書「言海」を編纂した大槻文彦の評伝。新潮文庫でも出ているが、活字を配した単行本の装幀がいいのでこちらを選ぶ。ハイスミス本はダブリかもしれないがそうでなかった時のことを考えて買っておく。
西荻へ移動。興居島屋から音羽館へ。音羽館の均一台から2冊。

その後、信愛書店を覗いてから吉祥寺経由で井の頭線に乗り換え。車中で京須偕充「落語名人会夢の勢揃い」(文春新書)の残りを読む。京須さんが嫌がる古今亭志ん朝師匠を口説き落として独演会のライブ録音を実現させるまでの過程が書かれている。今自分の手元にある33枚の志ん朝落語のCDがどれだけ己の生活に潤いを与えてくれているかを思うと筆者に足を向けて寝られない気がしてならない。
池ノ上で下車。歩いてすぐの十二月文庫へ。店頭に箱に入った文庫が並べられており、1冊100円で2冊目から50円とある。そこから2冊。

店内に入るとエアコンではないストーブによるほんわりとした暖かい空気が身を包む。冷たい風に吹かれていたのでそれだけでもホッとする。店内で1冊。

南伸坊画伯の手になる桃仙人(?)の絵の美しい色遣いにうっとりし、詩集のようなゆったりした文字組に豊かな気分になる。こういう本がグラシン紙に包まれているのはなんだかそれだけでもうれしくなる。店主の田之上さんは1年近くご無沙汰していたにもかかわらず、僕を覚えてくれていてすぐに挨拶してくれる。珈琲をたのみ、カウンターで飲みながら話をする。演奏者も作曲家も分からないがいつも通り気持ちのよいクラッシックが流れ、珈琲は相変わらず美味しい。僕にとって一番美味しい珈琲は7年ほど前にロンドンのベーカーストリートにあったウイッタード・カフェの2ポンドの珈琲だったのだが、スタバの攻勢にあってあっけなく潰れてしまい、その後十二月文庫の珈琲を飲んでから1位の座はここになっている。田之上さんは僕の佐野繁次郎装幀本好きを忘れておらず、佐野繁次郎装幀の写真集「This is Japan」の1962年度版と66年度版を見せてくれる。ラッピングされているので中は見れなかったが、前者は木箱入りで15000円、後者は着物地のような素材で10000円だった。装幀は味わいのあるものであったが、それだけで出せる金額ではなかったので見合わせる。自分の生まれた64年度版であったらもう少し考えたかもしれない。聞き上手の田之上さんを相手に30分以上おしゃべりしてしまう。カウンター横の石油ストーブの熱だけではない暖かみを感じるいい時間を過ごす。やはり、いいお店だなここは。また来よう。
再び井の頭線の乗客となり帰途につく。車中で今日買った「荻窪風土記」から「小山清の孤独」の章を読む。自分の主宰する同人誌「木靴」の原稿集めには熱心だが己の作品を書こうとしない小山清生活保護を受けていたことを知る。阿川弘之庄野潤三の両氏が2度も救済の募金を集めに回った話や都営住宅の抽選に当たったお祝いに木山捷平が桃の苗木を自転車で持ってきたという話などを興味深く読んだ。
今日聴いたアルバム。

デューク・エリントン&ジョン・コルトレーン

デューク・エリントン&ジョン・コルトレーン

アット・ザ・ショウボート

アット・ザ・ショウボート

1枚目は、最初の「イン・ア・センチメンタル・ムード」のイントロで流れるエリントンのピアノの物悲しさがすべて。曲自体が別段悲しいわけではないのになんでここでのピアノはこんなに暗く悲しい音色で弾かれているのだろう。おかげで何度聴いてもこのピアノのイントロしか記憶に残らない。申し訳ないけどコルトレーンがいたことすらも忘れそうだ。
2枚目は、キャノンボール・アダレイが見つけてきたマイナーなピアニスト・ディック・モーガンのライブ盤。先程のエリントンとは対照的な明るく軽快なピアノがオリジナルやスタンダードを次々に弾いていく。聴き終わった時にはメロディでもフレーズでもなく、明るく軽快であったという印象しか残っていない。結局3枚のアルバムを残してジャズレコードの歴史からは姿を消してしまうその潔い軽快さを楽しむ。