地震あったもご存じない。

寝坊する。起きたら7時半。2時間の寝坊だ。慌てて支度をして家を飛び出す。始業時間5分前になんとか滑り込む。同僚から「今朝の地震で起きなかったの?」と聞かれ初めて地震があったことを知る。
退勤後、初めて入るラーメン屋でつけ麺を食べる。これまで地元でつけ麺を食べてきた2軒よりも少し味が落ちると思う。腹ごなしに地元の古本屋を回る。先日部屋の本を整理したため寝床周辺の本が減り、いい感じにすっきりしたのであまり本を買わないようにしようと思っていたのだが、2軒目の古本屋で6冊も買ってしまう。

どうやらすべて同じ人物の手放した一口ものらしく、1つの棚がほぼ同じ程度に古びた本で埋まっていた。すべてそこから選んだもの。一番安いもので200円、高いもので500円だった。渡邊本は昭和17年の再版のソフトカバー。万年筆によるペン字の題名と著者名と六隅許六の装幀がとてもいい。丸山本は昨日小山清「二人の友」で太宰治丸山定夫の交流について読んだばかりであったのでグッドタイミング。
これらの本の持ち主は、中国文学に関心のある人らしく、魯迅関係や武田泰淳全集等も揃えていた。長谷川四郎本があるのもそちらの関係によるものとみた。レジ横には、まだ縛られたままの同じ蔵書によるものと思われる束が数個置いてあったので近いうちにまた覗きに行こう。
帰宅後、小林信彦「丘の一族」から「みずすましの街」を読む。昨年暮れに出た「侵入者」(文春文庫)で読んでいるので一年振りの再読。それまでの私小説的短篇からこの「みずすましの街」になると、作者のフットワークが軽くなって、なにか伸び伸びと書かれているような印象を受ける。何度かの芥川賞候補に挙げられながらの落選を経て、なにか吹っ切れた感じもするのだが、やはり、主人公の僕(諒一)を視点人物にとどめ、物語を動かす人物としての《清さん》を登場させたことが大きいだろう。この《清さん》のようなノリやすい人物を描かせたら、小林氏の右に出る人はいないと思わせるくらいイキイキと人物が躍動している。解説で坪内氏は「みずすましの街」を巻末に置くのが効果的であることを述べているが、まさにそれまでの私小説から喜劇的想像力を駆使した作品にテイクオフしていく小林氏の軌跡を目の当たりにするような効果を上げているように思う。
今日聴いたアルバム。

チェット+1

チェット+1

ともにチェット・ベイカーの“歌なし”アルバム。歌い手としてのワン&オンリーな才能を示した彼が、本業のトランぺッターとして東海岸のミュージシャンたちと演奏を繰り広げる。前者はハードに、後者はソフトに。ジャケットはともにチェットのポートレート。「俺以外に何があるんだ」と言いたげな決めっぷりがなんだか微笑ましい。