伊勢佐木町、馬車道。

今日は午後から出張。なんだか最近妙に眠く、電車の中でも出張先の会議でも気付かぬうちにうつらうつらしてしまっている。
帰りに関内で下車して、伊勢佐木町の本屋を回る。まずは、先生堂古書店。今日の狙いは永井龍男講談社文芸文庫なのだが、見当たらず。この店は、僕が大学生だった頃の文芸評論書などが多く置いてあり、懐かしい。テリー・イーグルトンのベンヤミン論(勁草書房)なんて10年前なら勇んで買っていたと思うが、今買ってもたぶん読まないと思うので見送る。
伊勢佐木モールを関内駅方面に戻りながら、まるで自分が今東南アジアの都市にいるのではないかと錯覚する。いろんな国籍の人間がそこここを歩いており、なんとも危なげな雰囲気がストリートに漂う。う〜ん、いつ来てもこのモールは濃いなあ。
有隣堂手前の横道に入ると、活刻堂という小さな玩具と文庫本の店がある。店のウインドウや入り口回りには、60から70年代のヒーローもののフィギュアが並べられ、店内にはアニメソングが流れている。その店の半分が絶版文庫を中心とした文庫の棚となっている。この店が開店したばかりの頃は、中公文庫の絶版ものが安く並んでおり、いろいろ買わせてもらったのだが、今では値段もちゃんとつけられ(まあ適正価格になったということですね)、岩波文庫や新潮、角川、講談社といった文庫の古いところも結構揃っている。残念ながら、講談社文芸文庫はあまり置かれておらず、永井龍男本はなし。
古本屋2軒で何も買えず、気分を変えて有隣堂へ。発売を待っていた新刊本を見つける。

「花火屋の大将」や「絵具屋の女房」と同じ『オール読物』連載のエッセイをまとめたもの。おなじみの和田誠装幀である。フェミニズム系の女流評論家には評判がよろしくないようなのだが、このオジさん蘊蓄系エッセイのファンなので新刊が出る度に購入しているのだ。
伊勢佐木モールから馬車道へと進み、ディスクユニオンに入る。ここで中古DVDの棚をチェックするのが習わしとなっている。チェックのポイントは古い日本映画と英国映画。勝新太郎座頭市高倉健の任侠ものが何枚かあったが買って手元に置いておきたいというものではない。ジャズCDのコーナーを覗いてから店を出る。そのまま馬車道を海に向かって進み、みなとみらい線の駅前にある誠文堂へ。2階に上がる階段の正面には絵が飾られ、前回来たよりも華やかな雰囲気になっている。平日の夕方ではあるが、数人の客が店内におり、まずは盛況のようでうれしい。以前にも書いたがこの店の支店が昔地元にあり、奥さん(店主)にはずいぶん値段をまけてもらったりしたことがあるのだ。その頃からざっと15年以上の付き合いの店。奥さんは若い室内装飾のデザイナーと思われる男性と店のレイアウトのことで熱心に相談をしていた。前回来たときより、文学系の棚が少し充実した感じ。草森紳一荷風永代橋」(青土社)がグラシン紙に包まれておいてあった。こういった定価の高い本が美本の状態で安く手に入るのがこの店の魅力だと思う。残念ながら既に新刊で購入済みなのでその恩恵にあずかることはできない。一通り店内を巡回して店を後にする。
車内で買ったばかりの「綾とりで天の川」を読む。最初の牛肉の話やその次の雑誌に載るスターの話はちょっと説明的過ぎてあまり面白くない。さすがの丸谷氏も寄る年波には勝てないかとも思ったが、3番目のライト兄弟スミソニアン・インスティテューションとの話あたりからエンジンがかかり始め、4番目の吉田兼好の話は得意の日本古典文学ものとあって楽しく読める。スノッブだったり、身内贔屓だったりするのを厭う人もいるだろうが、僕はそれも味として楽しんでいる。目次を見るとこの後「風評、デマ、流言」、「批評家としての勝海舟」、「シャーロック・ホームズの家系」といった文章が並ぶ。期待が膨らむ。
地元の書店で『WiLL』7月号を買って家に帰る。
渡部昇一の中国批判をスルーして、今回も日垣隆向井透史コンビ(勝手にセットにしてすみません)を読む。日垣さんは前回に続いてみずほ銀行の行員と一戦交える(とは言っても日垣氏側のワンサイドゲームなのだが)。その一部始終のやり取りが再現されているが、銀行の体質が彷彿としてくる内容だ。普通の人間(僕を含めて)は、このように強くは出られず、結局銀行側の都合に合わせて唯々諾々と行動するハメになるのだろうな。困ったものだ。
向井さんは、トイレ読書用の本をトイレの中で買う話。僕もトイレに長居する時は、何か読むものを持って入るくちである。ただ、本は長くなりすぎるので、雑誌か漫画を持ち込むことが多い。それでも長居しがちで、洋式なのだが立ち上がる時に足がしびれてまともに歩けない状態になることがままある。そんな状態でトイレで倒れたりしたら、目も当てられない。また、風呂場で本を読む人が増えているとも書いてあったが、僕はできない。たとえ100円の本でも湯気や濡れた手で本がふやけたりするのを見るのはちょっと。それに、湯船につかっている時は、できれば頭を使わずにボウッとしていたいので。