「流れる」

本日も早めに仕事が終わる。遠くの古本屋には行くだけの余裕はないが、地元の店には昨日行ったばかりだ。そこで電車に乗って近場の普段あまり行けない店に行くことにする。自由が丘もいいのだが、あの街は人が溢れ過ぎているのでパス。その隣りの田園調布へと向かう。田園調布と言えば、久世光彦さん御用達で、岡崎武志さんも絶賛する“田園りぶらりあ”である。改札を出て、右に折れ、古いながらも品の良い商店街を道なりに右方向へ進んで行く。記憶をたどるとこの店にくる時は何故かこれまで雨の日が多かった。今日は五月晴れで、心も弾む。
店頭の段ボールに入った均一本を眺めてから店内へ。それほど広い店ではないのだが、店の中に本がギュッと詰まっている感じがうれしい。昔の本から最近新刊で出たばかりの本まで色々揃っている。いつも古めの単行本を買うようなイメージで来るのだが、何故か買うのは新しめの文庫や新書が多くなってしまうのも不思議。

上記を購入。「虚栄の市」は、小林信彦氏が卒論に取り上げた作品で、氏が同名の長編小説を書いていることからも興味を持っていた。昨年完結した新訳がセットで出ていたのでちょうどよい折だと手に取った。
「ネットと戦争」は新刊で買うつもりだったもの。
また、買いはしなかったが、眼についた本としては、今日岡崎さんが八木書店で買ったという清水茂『詩とミスティック』(小沢書店)と四谷書房店主さんが探しているという中山信如『古本屋「シネブック」漫歩』(ワイズ出版)の2冊。それぞれ2冊ずつ置いてあったので印象に残っている。中山さんの本は署名入りであるが、値札が付いていなかったので新刊として売っているのだと思う。僕は既に持っているので見るだけで失礼した。
往復の車中は小島信夫抱擁家族」を読む。不思議というのか変というのか全体の4分の1を読んだとろこではまだ捕まえどころがない小説。
家に帰り、ビデオで成瀬巳喜男「流れる」を観る。監督も役者もうまいなあとため息が出る。2時間近くを飽きず画面を眺めていた。栗島すみ子の口の動かし方、田中絹代ソーダ水を飲んでいる杉村春子岡田茉莉子の二人との話を終えて前屈みに小走りに走り出すところなどディテイルがとても楽しい。前回観た時も感じたのだが、杉村春子の存在感がすばらしい。山田五十鈴と喧嘩して置屋を飛び出した彼女が詫びを入れに戻ってくるところなど最高。これから夏にかけて成瀬巳喜男作品がぞくぞくとDVD化される。楽しみだ。
夜、坪内祐三「『別れる理由』が気になって」読了。作品論を読むことによって対象となる作品を理解した気持ちになり、もう読まなくてもいいと思ってしまうこともあるのだが、この場合は逆。読むことによってますます「別れる理由」の謎は深まり、読みたくなってくる(と同時にますます読むことの困難さが伝わってもくるのだが)。「別れる理由」が作品世界を閉じるカタチでの終わりを持てなかったように、「『別れる理由」が気になって」も同じく閉じることなく終わっている。それはまるで、作品を読むこととその作品論を読むことの連環はけっして終わることがないのだと言っているようだ。