冷やし中華とハイスミス

今日は午前中に洗濯をし、午後から休日出勤。
職場へ行く道すがら、風が強い上に雪のようなものが舞っている。コンビニで昼食を買い込んで、自分の机で食べる。今年初めての冷やし中華。しかし、まだ3月だというのに冷やし中華が売られているとは、季節感という言葉はもはや死語なのだろうか。冷やし中華好きなので、食べられることはうれしいのだが、どうも複雑な気分になる。
冷やし中華といえば、神保町のすずらん通りにある揚子江菜館がその発祥の店だとのこと。その元祖冷やし中華を一度だけ食べたことがある。1000円くらいする立派な冷やし中華だったという記憶があるが、とくに味に関しての印象はない。元祖を食べたことに満足したのだろう。
小林信彦氏の「合言葉はオヨヨ」に登場するテレビプロデューサー細野忠邦は、作品の中で冷やし中華を発明した男と紹介されていた。中華屋の2階に下宿していて、夏場売り上げの低下に悩む大家を見かねて発案したのがこの食べ物だと言うのだ。これが事実なら、彼が下宿していたのは揚子江菜館ということになる。細野忠邦自身モデルとなる人物がいるキャラクターだけに事実なのではと思わないこともない。
冷やし中華はさておいても、この「合言葉はオヨヨ」は小林氏が書いた冒険活劇の傑作である。舞台も転々とし、日活アクションなどの映画や多くの活劇小説から得たエキスを惜しげもなく注入した作品だ。人に勧めたくても、親本も角川文庫もちくま文庫までも絶版とは情けない。いっそ、新潮文庫か文春文庫でオヨヨシリーズを新刊で出してみないものか。
仕事を終えて、閉店間際のデパートに寄り、明日のホワイトデイの買い物をする。菓子売り場は同じ目的の客で賑わっていた。ウチの職場では、部署の女性が連名で部署の男性に義理チョコを配るのだが、男性の方には連名で返すというシステムがない。その結果、部署の女性からは1個のチョコをもらうだけなのだが、お返しは部署の女性の人数分用意しなければならないという不条理な状況なのである。なのに、だれも連名でお返しをしようと言い出さない。そう言う自分も言い出さない。その結果、いくらなんでも、飴やマシュマロ1個という訳にもいかず、気がつけば結構な散財。他の職場ではどうなっているのだろうか。
今日の読売新聞の読書欄で角田光代さんがパトリシア・ハイスミス「回転する世界の静止点」(河出書房新社)を書評していた。角田さんは《恥ずかしながらこの作家を知らなかった。》と素直に認めた上で(ここら辺の潔さにいつも好感を持つ)、《そうなのだ、全著作読破したいと願うほど、私はすでにこの作者のとりこになってしまっている。》と結んでいる。編集者が書いたと思われる作者紹介には《米国の女性作家。サスペンス小説の名手。》とある。ハイスミスの作品はサスペンス小説なのだろうか。その面があることは否定しないが、もっととらえどころのない、なにか変なものとでも言えばいいのだろうか。またもや登場の小林信彦氏が「週刊文春」のエッセイなどで、繰り返しハイスミスの面白さを喧伝したため河出文庫や扶桑社ミステリー文庫などがハイスミスの長編のほとんどを翻訳して出した(これが狙いであったことは小林氏自身も認めている)。僕も「ふくろうの叫び」(河出文庫)や「変身の恐怖」(ちくま文庫)を読んでいる。特に吉田健一氏の訳による後者は、なんと言ってよいのかわからない小説である。この作品から読者は何を感じればよいのだろう。恐怖なのか、一人の男の破滅への物語なのか、それともカミュ「異邦人」のような不条理なのか。読み終わって残るのは、漠然とした戸惑いのようなものだ。だが、読後になんだがじわじわと効いてくる。何か知らないものが、小骨のように引っかかってくる。うまく言えないが、そんな不思議な小説なのだ。
残念ながら、一部を除いてハイスミスの文庫は絶版状態である。そのため、ブックオフに行ったときに、こまめにチェックしてそれらを集めるのを楽しみにしている。上下2冊本があり、それが収集のポイントになりそうだ。
回転する世界の静止点──初期短篇集1938-1949