今夜のカレー、明日のパン。

 お盆休みなので墓参りに行くことにする。


 父母の眠る霊園の最寄り駅までは電車で約1時間40分ほどだ。誰にも邪魔されずに読書に浸れる貴重な時間。何を読もうか少し考えてこれにする。


さざなみのよる


 2016年の正月と2017年の正月にNHKで新春スペシャルドラマとして2回放送された「富士ファミリー」の番外編というような設定になっている小説。木皿泉脚本のドラマは原則観ることにしているので、当然両方とも観ている。山梨県にあるコンビニとは呼べない何でも屋「富士ファミリー」が舞台。その家の娘が、鷹子(薬師丸ひろ子)、ナスミ(小泉今日子)、月美(ミムラ)。そこに父方の叔母である笑子バアさん(片桐はいり)やナスミの夫の日出夫(吉岡秀隆)が絡んでくるという役者陣。次女のナスミはすでに癌で他界しており、実家に幽霊となって現れるが、その姿は笑子バアさんにしか見えないという設定だった。

 「さざなみのよる」に戻ると、そのナスミの生前の話がメインになっている。余命を宣告されたナスミと彼女に関わっていた人たちの物語。死んだナスミが生きている者たちに何を残していったかが語られる。墓参りの道中で読むのにはちょうどいい本だと思う。



 八月も半ばを過ぎたというのにまだ猛暑日が続いている。最寄り駅から霊園まで歩くこちらに容赦なく強烈な日差しがぶつかってくる。途中、古利根川を渡る。最近の大雨のせいか、川の水は溢れんばかりに多い。それが川の流れをゆったりしたものに見せてくれ、気持ちがちょっと落ち着く感じ。さざなみも立たない。


 花を買い、持って来た雑巾で墓を水拭きする。弟一家が来た後なので、ほとんど汚れていない。軍手をして墓の周りの雑草を抜き、線香をたてて花と飲み物を供えて墓参りは終了。昨年の4月に野外仕事から屋内仕事に変わったため、仕事で日焼けすることはほとんどなくなったのに、この1週間の京都、尾道、墓参りで久方ぶりに日焼けしてしまった。



 墓参りの後は恒例のパン祭り。数駅先にある知人のパン屋に行く。店内では子どもたちにミニパン作りを教えるイベントをやっていた。昼食として店内で食べる惣菜パンの他に明日の朝食用の食パン、今夜の夕食用のバゲット、お菓子のラスクなどを山のように買い込む。普段は炭水化物の量をコントロールしているのだが、この店に来た時はリミッターを外してもいいことにしているので我慢はしない。イートインコーナーに座り、買ったばかりのコロッケパンにかぶりつく。無料のコーヒーも美味しい。店長である知人とあれこれ話す。店内にはBGM用にプレゼントしたJAZZのCDが流れている。子供たちの声がする光溢れる午後の店にマイルス・デイビスのミュートプレイが光るバラードがナイトムードを醸し出しているのがなんだか申し訳ないような気がしてくる。猛暑の墓参りのダメージと腹一杯の炭水化物による血糖値の上昇で頭がぼうっとして来た。帰りの車内は爆睡してしまうかもしれないと思いながら、店を出る。今夜は、買い置きのレトルトカレーを温めて、カリカリに焼いたバゲットにバターを塗り、カレーをつけて食べようと思う。

尾道での足跡。

 倉敷で1泊して朝を迎える。ホテルの朝食では味気ないので、昨日アーケード街で見つけた午前中だけ営業しているモーニング中心のパン屋まで行ってみるが、盆休みの張り紙が。昨日よく見ておくんだったと後悔する。


 美観地区近くの明るい雰囲気のカフェが開店していたのでそこに入る。地卵を使ったオムレツのモーニングを食べる。スマホ倉敷駅から尾道駅までの列車の時刻をチェック。山陽本線で1時間で行けるようだ。9時過ぎの列車で行くことにする。


 ホテルをチェックアウトして、倉敷駅へ。列車は空いていた。ボックス席を独り占め状態なので、iPadを出して、小津安二郎東京物語」の冒頭のとラストの尾道シーンを観る。母親(東山千栄子)が亡くなってからすぐ終わったような気がしていたのだが、葬儀を終えて最後まで残った紀子(原節子)が東京へ戻って行くラストまで結構な長さがあり、ほとんど車中の時間はそれで過ぎていった。葬儀の後の料理屋での長女(杉村春子)のいやな感じの演技の旨さはやはり絶品。トボけた味の三男(大坂志郎)もいい感じ。末っ子の次女(香川京子)のまっすぐな透明感。そして、浄土寺で夜明けの空を見つめる父親(笠智衆)と紀子のツーショット。ラストの列車に乗る原節子の姿はこの映画はやはり彼女の映画であることを告げていた。


東京物語  小津安二郎生誕110年・ニューデジタルリマスター [Blu-ray]


 尾道は真夏の太陽に照らされてどこまでも明るかった。昨日の倉敷の雨が嘘のようだ。先ほど見た浄土寺へバスで向かう。浄土寺下というバス停で降りて、山陽本線の下を潜って階段を登り、浄土寺へ。「東京物語」で何度も出て来る線路なめの海という光景が目の前に広がっている。映画撮影時とは境内の様子(石灯籠の位置など)は変わっているらしく、映画と同じ光景を写真に撮ることはできない。それでも、ここに「東京物語」の尾道があるということは充分に感じられる。満足。


 せっかくなので、千光寺ロープウェイに乗って千光寺の展望台へ。暑いがよく晴れているので、尾道水道がよく見える。帰りは歩いて山を下る。文学のこみちを歩き、志賀直哉旧居跡へ。管理をしているおじさんがなかなかの話好きで、「志賀直哉先生の本は読みましたか?」「短編を読みました」「『暗夜行路』は読みましたか?」「いえ、まだ」「素晴らしい作品なので是非読んでください」「一度、読んでみたいとは思っているので今度買って読んでみます」「ここでも売っていますよ」という会話の後、新潮文庫の「暗夜行路」を一冊買っていた。ここら辺は猫が多く、歩いているとそこここに猫の姿が。写真に撮りたいと思ってスマホを構えると猫は画面から消えてしまい一枚も撮れなかった。


暗夜行路 (新潮文庫)


 尾道に来た理由の一つは最近見た和氣正幸「日本の小さな本屋さん」(エクスナーレッジ)に載っていた二軒の古本屋に行ってみたいということだった。“弐拾db”と“紙片”の二軒。ところが、場所は確認していたのだが、営業時間を確認し忘れていて“弐拾db”は開いておらず(23時から27時では無理)、“紙片”の営業時間はあっていたのだが、盆休みであることを見落としていてこちらもダメ。


日本の小さな本屋さん


 古本屋巡りに挫折したので、尾道ラーメンを食べることに目的を変更。ガイドに載っていた店は軒並み長い行列を作っていたので却下。通りを挟んだ斜め向かいに空席のある店を見つける。“尾道ラーメン 雑兵”という名前も気に入った。普通の店で普通の尾道ラーメンが食べられればそれでいい。醤油ラーメンと餃子を食べたが、普通に美味しかった。行列店などにとらわれない己を少し誇らしく思いながら会計して外へ出たら店の前に短いながらも行列ができていてなぜか少しヘコむ。



 尾道駅へ向かうアーケードにあった土産屋で職場への土産を買い、その隣にあった昔ながら喫茶店でコーヒーを飲み、のんびり過ごして、駅へ向かう途中に“尾道書房”という古本屋が開いているのを見つける。文庫、新書中心の店であるが、品数は多い。新書も多くが150円と値段も安い。仕事関係の文庫・新書を3冊買った。

 尾道駅近くの歩道脇に有名人の足形が点々と置かれているのに気づく。特に尾道出身者という縛りがあるわけでもないようだ(外国人のものもあった)。とりあえず、赤瀬川源平の足形を写真に撮る。将来この足形たちがプレートがなくなり、謎の足跡としてトマソン物件のようなものにならなければいいなと思う。


 尾道駅から新幹線の乗車駅である新倉敷駅へ。ネット予約してある新幹線を待ちながら駅のベンチで梯久美子原民喜」を読了。広島の原爆を意識したので久しぶりに片渕須直監督の「この世界の片隅に」を観直したくなる。今年末には30分ほどのシーンを加えた長尺版が公開されると聞いたので、その前に現行版をもう一度観ておきたいという気もあった。


 新幹線に乗り込み、テーブルを出し、その上にiPadを立て、イヤフォンをして視聴開始。いい歳したおっさんがiPadでアニメを観ているなんて人が見たらなんて思うかとも思ったのだが、始まってしまうとそんなことどうでもよくなりこれまで同様にその世界に惹き込まれた。ただ、すずさんと晴美さんのシーンや玉音放送後のシーンは人前で観たことを後悔するくらいまた心揺さぶられる。新横浜まであっという間だった。


この世界の片隅に

本の蟲の店−苔と亀と星の蔵書。


 せっかくの盆休みを京都一泊だけで終わらせてしまうのはもったいないと思い、ネットで新幹線のチケットとホテルの予約を入れて新横浜8:29発のぞみ15号とこだま739号を乗り継いで新倉敷へと向かう。



 今回は三人掛けの通路側。キーボードをパタパタ叩く人はいなかった。車中の読書はこれを。


原民喜 死と愛と孤独の肖像 (岩波新書)


 この7月に出た新刊で、広島の原爆を描いた「夏の花」で知られる作家だけにこの夏に合わせての出版なのだろう。岩波書店の力の入れ方が、珍しい二重カバー仕立てであることからもわかる。原民喜の写真を使った外カバーが目を惹く。ちょっと長めの髪をアップにした鼻筋の通った顔立ちはなかなか魅力的であると思う。

 序章は、昭和26年3月13日に中央線西荻窪−吉祥寺間で起こった原民喜の鉄道自殺から始まる。“原民喜=広島”というイメージしか持っていなかったので、彼が中央線沿線の文士の一人であったことに驚く。自分がいかにこの作家に関して無知であったかを思い知らされる話が次々と出てきて引き込まれた。広島の裕福な繊維商の子供として生まれ、コミュニケーションが極端に苦手な少年は文学に生きる道を見出し、慶應大学へ進学。同じクラスには山本健吉・蘆原英了・瀧口修造・北原武夫などがいた。特にのちの文芸評論家・山本健吉とは関係が深かった。そして、人と関わることが苦手であった原民喜が信頼し、その身を投げ出すように頼った妻・貞恵と結婚。その貞恵の弟がこちらも文芸評論家の佐々木基一であることも初めて知った。その妻に先立たれ、戦時中に広島に戻った昭和20年8月6日に被爆。被災した家を離れ、避難する中で見た惨状をメモにとり、それが「夏の花」に結実して行く。妻を失い、小説家としての自分をも見失おうとしていた彼は、この体験を作品として残すことを自分の生きる目的とすることで戦後を生き延びて行く。そして、後輩にあたる遠藤周作との交流。遠藤周作原民喜にこのような交わりがあるとは知らなかった。原民喜遠藤周作宛の遺書は、遠藤が留学中のフランスに届けられることになる。晩年の原と遠藤との間に不思議な友情関係を結んだ若い女性の存在など興味深い内容が詰まった本だ。


 新倉敷で新幹線を降り、山陽本線に乗り換えて10分程で倉敷駅に着く。時間は12時過ぎ、小雨が降り、湿度が高い。駅からしばらく歩き、美観地区の入り口近くにあるコートホテル倉敷が今日の宿だ。フロントに大きな荷物を預けて美観地区の中へ。倉敷には前に一度来たことがある。もう20年以上前だ。仕事で来て、午後遅くに着き、倉敷駅前で関係者を待ち受け、そのままホテルに入って翌朝早くに次の目的地広島に向かったためほとんど街を歩いた記憶がない。ただ、美観地区を流れる倉敷川沿いの道には多少の見覚えがあった。しかし、その周辺の昔の風情を残した街並みの記憶はまったくない。たぶん現在ほどは整備されてはいなかったんだろうな。


 この倉敷川沿いから一本奥に入った本町通りへ。この通りに今回の旅の目的とも言える古本屋・蟲文庫があるのだ。以前から一度は行ってみたいと思っていた本屋のひとつ。店主の田中美穂さんにはずいぶん前になるが古書往来座外市の時にお会いしたことがある。田中さんの書いた「わたしの小さな古本屋」(洋泉社)を読み(その後ちくま文庫に入り、それも持っている)、倉敷でコケと亀と星と本に囲まれたその店に行くのを楽しみにしていたのだ。店に入ったらそれなりの時間を棚の前で過ごすだろうことは分かっていたので、まずは腹ごしらえ。


 蟲文庫の並びにジャズ喫茶を発見する。“アヴェニュウ”という店で、ドラムセットやピアノが置いてあり、夜はライブもやる店らしい。開店間際らしく僕以外の客はおらず、声を掛けたら女性がカウンターの奥から出て来て、店内にジャズがかかる。ジャズ喫茶らしくいい音でジャズが鳴っている。カルボナーラとコーヒーを注文。カルボナーラは喫茶店王道の味でうまい。パスタではなくスパゲッティーと呼びたくなる。


 腹を落ち着けて、蟲文庫へ。まず、田中さんへご挨拶をしてから、店内の棚を何回も見て回る。コケと亀と星の本を出されている田中さんの店らしく、人文書メインではあるが、自然科学の本もしっかりと場所を占めている。仕事関係の本の他に、次のようなものを購入。


ときめくコケ図鑑 (Book for Discovery)
原民喜童話集 [ 原民喜 ]




 「ときめくコケ図鑑」は、出ていることを知らなかった田中さんの本。これまで出た「苔とあるく」「亀のひみつ」「星とくらす」の三部作(?)は持っているのだが、これは未見。


苔とあるく
亀のひみつ
星とくらす



 「原民喜童話集」はケースの中に2冊本が入っていて、1冊は童話集、もう1冊は別巻として原民喜に関する5人のエッセイが収められている。その中に田中美穂さんの文章も入っている。さっきまで「原民喜」を読んでいたのでこれは手に入れておきたい。



 本を選んでいる最中に入って来た客が田中さんに「どこに行けばコケが見られるか」、「コケを見るルーペはどこのメーカーのものが良いか」などを聞いている。他の古本屋ではまず見られない光景だろうなあとそのやり取りを楽しく聞く。夏休みになると自由研究の課題に悩む子供たちが来て田中さんのコケの本を買って行くらしい。コケならこの周りで簡単に見つけることができるため、手頃な研究対象なのだろう。


 この8月末に出る「本の虫の本」(創元社)の見本を見せてもらう。田中さんの他に、林哲夫さん、岡崎武志さん、荻原魚雷さん、能邨陽子さんが本のことについて書いた本。題名は「“本の虫”たちが書いた本」という意味なのだろうが、当然「蟲文庫」が意識されているのだろうなと思う。販売されていたら、この店で買いたかったのだが、残念ながらちょっと早かったようだ。


本の虫の本


 田中さんとゆっくり話をさせてもらい、のんびりとした時間を過ごしてからおいとまする。せっかく倉敷に来たんだから大原美術館には寄っておきたい。「ブラタモリ」の倉敷の回で大原美術館の来歴について少しかじったので興味があった。ここにモネ、エル・グレコゴーギャンドガ、ミレーなどの名画が収蔵されてたため、太平洋戦争中の米軍が空爆の対象から外したということもテレビで知った。それらの西洋の名画もよかったのだが、個人的には日本人画家の絵を収めた分館に松本竣介「都会」があり、それを見られたことがうれしかった。あることを知らずに急に目の前にあの独特な青と白の世界が大きな絵で現れた驚きと喜びで入館料のもとは取れたと思う。


 その他に、知人に勧められた“平翠軒”という日本や外国の名産品を扱う店で、フランスの岩塩や広島呉の鶏皮の缶詰などを購入する。


 夕食をどこで食べようかとあちこちうろついて倉敷駅へ向かうアーケード街の名代とんかつ“かっぱ”という店の前に行列ができているのを発見する。とんかつにはそそられるが蒸し暑いこの気候の中で長時間店の前で待っている気にはならず、美観地区へ引き返し、“レストラン亀遊亭”でカツレツを食べる。もう少し、庶民的な店に入りたかったのだが、この美観地区の店は6時を過ぎるとほとんど閉めてしまうので、選択肢は一握りしかないことになる。本来なら、ディナーコースを頼む客を相手にしたい店なのだろうが、ひとりでコースは間が持たないので単品料理とパンで勘弁してもらう。それなりの値段のするカツレツは美味しかった。


 夜は、スマホでジャズを聴きながら、ホテルのベッドで読書。

COMPLETE STUDIO & LIVE MASTERS

街の中心で銀幕への愛を叫ぶ。


 14日の午後に屋内仕事を終えて、これで今週一杯は盆休みになる。こんなに連続してこの時期に休みが取れるなんて何年ぶりだろうか。



 久しぶりに映画を劇場で見たくなって話題の「カメラを止めるな!」をTOHOシネマズ日比谷へ観に行く。12時過ぎの回の席が予約できた。地下鉄日比谷駅までの車中の読書用に読みさしの宝田明/構成・のむみち「銀幕に愛をこめて」(筑摩書房)をカバンに入れる。


 「銀幕に愛をこめて」は宝田明満州で過ごした幼年期から語り始められる。父親が満鉄に勤めていたのだ。昭和9年(1934年)生まれ。昭和10年に生まれた自分の父親と同年代。宝田家は新潟県村上市の出身。うちの父方は新潟県白根市(現在は新潟市編入合併されている)なのでその点でも親近感のようなものを感じる。外国人が多数いた満州での国際色豊かな生活がソ連侵攻、敗戦によって激変する。そして引き上げへと続く悲惨な体験は読んでいて身が引き締まる思いがする。幼い宝田明はその混乱の中で腹部に銃弾を受けながらも一命をとりとめて日本へと帰ってくる。日本人ではあるが、ほとんどを満州で過ごした引き上げ者である宝田は、疎外感を感じながらも役者、映画俳優の道に目覚めて行く。東宝ニューフェースに合格、映画「ゴジラ」でその名を知られるようになり、その後、2枚目スターとして数々の映画に主演、映画界が凋落して行く中で、舞台へと活躍の場を移して行く様子が、監督、スタッフ、キャストのエピソードを絡めて次々と語られる。ところどころに構成者である“のむみち”による時代背景や監督・映画の基本情報の説明が入る。プロのライターではない彼女がこれだけの事実関係の下調べと文章を書くのは大変だっただろうと思うが、分かりやすくコンパクトによくまとめられているなあと感心してしまった(偉そうだけれど知り合いなのでついこういう風に思ってしまう)。これまでテレビや映画で何度も見ているのだが、ほとんど関心を持って来なかった宝田明という俳優の不思議な魅力を面白く伝えてくれるいい本になっていると思う。とりあえず、「ゴジラ」をもう一度見直してみよう。



銀幕に愛をこめて ―ぼくはゴジラの同期生 (単行本)



 TOHOシネマズ日比谷は地下鉄日比谷駅から直通のミッドタウン日比谷内にある。六本木のミッドタウンは知っていたが、日比谷にも今年の3月にできていたとは知らなかった。映画は最初30分を超えるワンカットのシーンで始まる。正直、ゾンビ映画には興味がないのと、もたついた展開にちょっとゲンナリし、開演前にトイレに行ったにもかかわらず、冷房のせいかまたぞろ尿意をもよおしたりもして、早く終わらないかなと思っていた。その後1時間余り、トータル90分ほどはあっという間に過ぎた。尿意も席を立たせることはなかった。仕掛けを説明してしまってはいけないタイプの映画なので詳細は省くが、決してスマートな映画ではないながらも、観客を楽しませようという気持ちに満ちた映画であった。こういう娯楽作品に自分の金と時間を費やすことのできる夏休みは贅沢なのではないかと思い、満足な気分で劇場を後にする。



 随分と行っていない煉瓦亭で昼食を思ったが入店待ちの列を見て、並びのグリルスイスでランチメニューをいただく。



 その後は、いつものコース。教文館から山野楽器。


 教文館で2冊。

ニッポン放浪記――ジョン・ネイスン回想録
私の漱石――『漱石全集』月報精選



 「ニッポン放浪記」は出た時に気になっていが買いそびれた本。帯に“戦後日本文壇の貴重な証言でもある”とか“三島、大江から黒澤、勝新太郎まで”と書かれているとやはり気になる。

 「私の漱石」は、近年講談社文芸文庫が得意としている全集月報のコンピ本。1993年から1999年に刊行された全集および2002年から2004年に刊行された全集の月報から48の文章が収録されている。漱石全集ともあって執筆者のメンバーが多士済々で面白そう。



 山野楽器ではレコードを2枚。

  • CHET BAKER「IN NEW YORK」(Riverside)
  • DAVE BAILEY「BASH!」(JAZZ LINE)

In New York (Gatefold Edition) (Photos By William Claxton) [Analog]
バッシュ!


 「IN NEW YORK」はウエストコースのミュージシャンであるチェットが、ニューヨークのリズムセクションアル・ヘイグポール・チェンバースフィリー・ジョー・ジョーンズ)と録音したアルバム。ちょっとアート・ペッパーの「ミーツ・ザ・リズムセクション」を思わせる。ただ、こちらは3曲でテナーのジョニー・グリフィンが参加しているけれども。ジャケットがオリジナルのものではなく、ウイリアム・クラクストンの撮ったチェットの写真のバージョン。この当時のチェットのフォトジェニック振りに対抗できるジャズメンはちょっといないだろう。


 「BASH!」はリーダーのベイリーというよりも、サイドのケニー・ドーハムカーティス・フラートミー・フラナガンという並びに反応して選んだ。



 帰りも「銀幕に愛をこめて」の続きを読み、帰宅して読み終えた。

古書の森へ。


 昨日の休日出張屋内仕事を終えて、今日は休み。そして次の屋内仕事は14日の午後。となれば明日の午前中までは自由である。そこで7:29発ののぞみ9号に乗って京都へ向かう。


 朝食がわりに、新横浜駅で買った崎陽軒の“横濱チャーハン弁当”を食べる。先日亡くなった桂歌丸師匠のお気に入りだったということをそのニュースの中で知った。久しぶりに食べたがチャーハンが美味しい。冷めていてもなんの問題もない。おかずのシウマイを邪魔に感じるくらいチャーハンに夢中の自分に気づく。


 お盆時期なので窓際の席は取れなかった。そこで二人掛けの通路側をとったのだが、隣がラップトップパソコンで何やら作業中の人であった。窓際には電源があるため作業がしやすいのだろう。自分がやっている時は気にならないが隣で他人がキーボードを叩く音がどうしても耳についてしまう。身勝手なものである。そこでイヤフォンをつけて音楽を聞きながら本を読むことにする。音楽は山下達郎がコンサートの開始前に会場でかけていた自身で編集したドゥーワップのコンピレーション音源をCD化した「Doo Wop Nuggets vol.1」。本は、今年新潮文庫で復刊された高田宏「言葉の海へ」。日本で初めての近代国語辞典「言海」を編纂した大槻文彦の伝記。


言葉の海へ (新潮文庫)
デザリー~ドゥー・ワップ・ナゲッツ VOL.1
 



 昼前に京都着。地下鉄で四条に行き、ネット予約をしておいた三井ガーデンホテル京都四条に大きな荷物を預ける。もう10年間以上前になるが仕事で一度泊まったことがあるホテル。今回偶然ここに空室を見つけることができたのだ。



 身軽になって地下鉄と京阪電車を乗り継いで出町柳に。猛暑・酷暑と呼ばれた今年の夏に恥じない陽射しが照りつけてくる。しかし、それが苦にならない場所が視線の先にある。下鴨神社糺の森。そこで行われている下鴨古本祭の会場へとずんずん歩く。この時期に京都に来れるなんて何年振りだろうか。森を流れる小川を渡り、古書で溢れるテントの群れの中へ身を投じる。古書店主には申し訳ないが、何かを買うということよりもこの空間に身を置き、他のことを考えずひたすら棚の本を眺めているこの時間が楽しいのだ。それでもここまで来て何も買わないのもつまらない。2時間近くかけてすべてのテントを見てこの2冊を購入。

方法論論争 (日本近代文学研叢)
オヨヨ大統領の悪夢 (角川文庫 緑 382-12)



 僕が大学の国文科の学生だった時に近代文学研究の世界で話題となっていたことの一つが三好行雄谷沢永一およびその周辺で間で行われていた“方法論論争”であった。その経緯が知りたくて当時大学の図書館で『国文学 解釈と鑑賞』や『國文學 解釈と教材の研究』などのバックナンバーを漁って関連記事を読んだりした。「方法論論争」には谷沢永一の書いた関連文章が集められている。あとがきの代わりに“編集者と著者との雑談”が収録されており、これが歯に衣着せぬ舌鋒で論争相手をメッタ斬りにしている。内容が正しいかどうかはともかく、読み物として面白い。ただ、編集者の当意即妙な受け答えがうますぎて、著者谷沢永一による架空対談なのではないかと思われる。


 「オヨヨ大統領の悪夢」は小林信彦オヨヨシリーズの中でも一番繰り返し読んだ愛読書。絶版になって久しいのですでに5冊以上持っているが見かけるたびに買ってしまう。ちくま文庫でオヨヨシリーズが復刊された時にこの番外編的な短編集は除外されてしまっていた。現在、フリースタイル社がオヨヨシリーズの復刊を進めているが、ぜひこの「オヨヨ大統領の悪夢」も入れてくれないだろうか。ただ、今年春に出る予定だった「大統領の密使/大統領の晩餐」が遅れに遅れて8月31日刊行予定に伸びてしまっていることを考えると望み薄かもしれない(一説によると表紙の江口寿史画が遅れているためだとか。若い頃にもこの漫画家の休筆で残念な思いをしたのだが、この歳になってまだ同じ思いをさせられるとは思わなかった)。


 本の他にも口笛文庫のブースでジャズのCDが並んでいたので、1枚購入。

  • 「MULLIGAN MEETS MONK」(RIVERSIDE)


マリガン・ミーツ・モンク



 容赦なく降り注ぐ太陽光線にモーローとして来たのでここらで退散する。会場近くの生研会館1階のグリルで昼食。ミックスグリルのライスなし(100円ほど安くなる)を頼む。出された水を一気に飲み干してしまい、「すぐ、お代わり持ってきます」と店の人に言われる。



 出町柳に戻る。いつもならここからレンタサイクルで善行堂に向かうのだが、この暑さで自転車は無理と判断し、バスに乗って銀閣寺前へ。バス停のすぐ近くに善行堂がある。
 

 山本善行さんに挨拶をし、棚を見る。まず、念願の『ぽかん』7号を手に入れる。そして、「庄野潤三の本 山の上の家」(夏葉社)も購入。都内の大型書店に行けば手に入るのだが、この本の良さを楽しげに語る善行さんを見ていたらここで買うのがいい本だと思い直した。庄野潤三が住んだ山の上の家の写真が40ページほどあり、その後に佐伯一麦のエッセイを置き、次いで庄野潤三の随筆が五編収められ、親族の回想、庄野潤三に関する文章(上坪裕介・岡崎武志)、単行本未収録作品、庄野潤三全著作案内と続いていく。緑多きカバー写真が清々しい。


 その他にキャメロン・クロウ/宮本高晴訳「ワイルダーならどうする? ビリー・ワイルダーキャメロン・クロウの対話」(キネマ旬報社)などを手に入れる。先ほど、下鴨で買ったマリガンとモンクのCDをかけてもらいながら自分の仕事のことなどを含め2時間近くあれこれをオシャベリする。これが善行堂でのデフォルトになっている。商売のジャマにならないようにと思ってはいるのだが、この時間が楽しくて京都に来ているものだからどうしてもこうなります。



ワイルダーならどうする?―ビリー・ワイルダーとキャメロン・クロウの対話




 今回の目的は下鴨、『ぽかん』、善行堂なので、欲張らず店じまい。ホホホ座、誠光社、三月書房(こちらは盆休み中)などはまた次の機会に。



 ホテルにチェックインして、シャワーを浴び、シャツを着替えて夕食を食べに出る。今回の京都は自分の好きな定番を満喫することを目標としているので、いつもの店、いつもの場所を楽しみたい。新京極の“スタンド”でスタンド定食を食べる。酒を飲む習慣がないので、食事が済んだらそそくさと店を出る。少し暗くなり始めた京都の街を散策する。これもいつものように三条の橋を渡って三条京阪の上にあるブックオフへ。ここで小林信彦の「虚栄の市」「監禁」「冬の神話」などを見つけたのが懐かしい。そんな奇跡はもう起こるわけもなく、仕事関係の新書を数冊見つけて大人しく退散。


 鴨川周辺にも闇が降りて来ていた。店先に灯りがともり、人で賑わう木屋町先斗町を流して歩く。半分はこの雰囲気が味わいたくて毎年京都に来てしまう。これもいつも通りにシャッターの降りた静かな錦市場のアーケードを通ってホテルに戻る。ホテル前のコンビニで飲み物などを買っていて気づくと僕以外の客はすべて外国人であった。自分がどこにいるのか一瞬分からなくなった。

いま飲んでいるのがバリウムなら。。。

 今年も年に一度の日帰り人間ドックの日が来た。例年通り、神保町近くにある職場の契約機関の健診センターへ。8時過ぎに到着し、これもまた例年通り、発泡剤とバリウムを飲まされ、逆さ吊りにされる非人道的な検査に憤りを感じる。「右手の方から素早く回転して、仰向けになり、思いっきり息を吸い込んだらそこで息を止めて、もう少し体を右に傾けて、いや、もうちょっと右、手は上にあげて、ハイそのまま。」でパチリ。これが何度も繰り返されるのだ。10時半に検診が終わる。


 30度を超える夏日の太陽の下に出て、ペットボトル飲料をがぶ飲みする。暑さだけではなく、バリウム検査のため、朝から食事と水分補給を止められていたので体が水分を求めているのだ。


 12時間以上何も口にしていないので、昼はしっかり食べたい。そこで久しぶりにうどんの丸香に行くことにする。一度店の前まで行って見たが、まだ支度中であった。どうやら11時開店らしい。それまで、本屋へ。



 東京堂書店で欲しかった本をあれこれ。


MONKEY vol.15 アメリカ短篇小説の黄金時代
いま見ているのが夢なら止めろ、止めて写真に撮れ。 小西康陽責任編集・大映映画スチール写真集
春風コンビお手柄帳
お下げ髪の詩人




 雑誌『MONKEY』はこれまで地元の書店で買っていたのだが、何故か今号はいつまで待っても入荷せず。そのため、ここで購入。

 大映映画スチール写真集も、地元に入らず。小西康陽監修とくればやはり欲しくなる。モノクロ写真集で小西さんが黒の色出しにこだわったという通り、黒がすばらしい。拳銃を持った田宮二郎のお茶目な写真を集めた数頁にまず目が行く。特に53頁の田宮二郎のファッション、ポーズ、構図など見事としか言いようがない。巻末には、朝倉史明さんによるスチールカメラマンへのインタビューや小西さんによる解題がついている。解題によるとこの写真集を出したいと思っていた小西さんに朝倉さんを紹介したのは『名画座かんぺ』主筆で『銀幕に愛をこめて』構成の“のむみち”さんだったことを知る。その朝倉さんが企画書を作ってDU BOOKSに持ち込んだことによってこの本が日の目を見たとのこと。「グッジョブ、のむみち」と言いたくなる。後ろに紙が挟まっているので開けて見たら小西さんのサイン本だった。嬉しいおまけ。


 小沼丹の未刊行少年少女小説集は、小沼丹推理小説が入った「春風コンビお手柄帳」に興味があり、ついつい青春編も買ってしまった。いい本を出してくれる幻戯書房への感謝の意味も込めて買いたくなった。



 11時5分前に丸香に行って見るとすでに20人くらい並んでいた。並ぶのは好きではないのだが、久しぶりにここの肉うどんを食べたかったのと、開店すればここにいる人数くらいは店内に一挙に雪崩れ込めるだろうと判断して列に加わる。ただ、目論見は外れて、僕の二人前で店の戸は一度閉められてしまった。腹に爆弾を抱えているので、ちょっと焦るが、すぐに呼ばれて中に入れた。肉うどんはいつも通りうまかったのだが、斜め前に座っている女性が「釜玉カルピスなんとか」という注文をし、店の人が「お待たせしました、釜玉カルピスなんとかです」とうどんを持ってきたのが気になった。聞き間違えかもしれないが、僕には確かに「カルピス」と聞こえた。本当にそんなメニューがあるのだろうか。



 腹中に不安を抱えているため、まっすぐ帰宅の途へ。途中の車内はこちらを読む。


こないだ [ 山田稔(仏文学) ]


 装丁・造本がこれまでの紙カバー付きのものから夏葉社ライクなものに変わったという評判の最新エッセイ集。外見は変わっても中身はいつものように山田稔さんならではの散文たち。この本の題が「こないだ」になった理由は「名付け親になる話」を読めばわかる。新しい雑誌の名前をつけて欲しいと頼まれた山田さんが出した案が「ぽかん」と「こないだ」のふたつ。結局前者が採用され、後者の「こないだ」は選ばれなかったことが書かれている。その「こないだ」をここで使ったということなのだろう。

 その『ぽかん』の最新号が出たという知らせを聞いた。ミニコミなので京都でないとなかなか手に入らない。この夏は『ぽかん』を手に入れるために京都に行ってみようかと思っている。

パーカーにボサノヴァ、黒酢にかつ節。


 気がつけば5月はとうに終わり、もう6月となっていた。


 身辺が慌ただしく、とはいっても僕個人のことではなく、職場がなのだが、落ち着かなくも日々はどんどんと過ぎてゆくといった感じ。


 先週の日曜日には休日出勤で営業の仕事。東京日比谷の大きなイベント会場で職場の名前のプレートを胸につけ朝から営業を行う。今このプレートをつけているのは、まるでパレスチナの街中に“ドナルド・トランプ”という名札をつけて歩くくらいに危うい行為のなのではないかという不安を抱えながら過ごしたのだが、お客さんたちの方が大人で直接は言わないが「大変ですねえ」という同情(憐れみ?)の表情をたまにのぞかせるだけだった。


 大過なく、自分の担当時間を終えて、昼過ぎにお役御免となる。歩いて銀座へ出る。


 いつもの教文館書店で2冊。

  • 佐藤ジュンコ「佐藤ジュンコのおなか福福日記」(ミシマ社)
  • テリー・イーグルトン「文学という出来事」(平凡社


佐藤ジュンコのおなか福福日記 (手売りブックス)
文学という出来事



 「文学という出来事」は、現在は岩波文庫に入っている「文学とは何か」の続編ということなので、これは読んでおきたいと購入。大学院で当時単行本として岩波書店から出版されたばかりの「文学とは何か」を授業で輪読してからもう30年も経ってしまったのかと思うと感慨深い。


 そして、いつもの山野楽器へ。レコードを2枚。


FINAL TOUR: COPENHAGEN [12 inch Analog]
ワンス・アポン・ア・サマータイム


 マイルスのバンドをコルトレーンが去る直前のツアーを記録したライブ盤。ピアノはウイントン・ケリーでドラムはジミー・コブコルトレーン吹きまくり。
 ブロッサム・ディアリーがピアノを弾きながら歌う。ベースはレイ・ブラウン、ドラムはエド・シグベン。音を敷き詰めるコルトレーンと対照的な、舌足らずで訥々と歌うディアリー。それぞれの味。



 この一週間は太宰治関係の物を色々買った。太宰治没後70周年といことで関係本が色々出ている。

太宰よ! 45人の追悼文集: さよならの言葉にかえて (河出文庫)
太宰治の手紙 返事は必ず必ず要りません (河出文庫) [ 太宰 治 ]
[rakuten:book:19153631:image]



 『東京人』は“特集 今こそ読みたい 太宰治”。木皿泉トカトントン」、岡崎武志「『東京八景』を訪ねて。」などが載っている。
 「太宰よ!45人の追悼文集」には坂口安吾が書いた追悼文「不良少年とキリスト」の収録。安吾のエッセイの中でもこれは好きな文章だ。

 


 今日は、日曜出勤で職場で屋内仕事。雨の降り出した午後に仕事を終え、退勤。

 大戸屋で遅めの昼食。鶏と野菜の黒酢あん単品と手作り豆腐。ご飯を豆腐にして炭水化物を減らす。豆腐が好きなので苦にはならない。手作り豆腐にはカップに入った花かつおの削り節が付いてくるのだが、これを豆腐ではなく、鶏と野菜の黒酢あんの上にドバッとかける。最近この食べ方が気に入っている。黒酢あんにかつ節が絡むとなんとも言えずいい味わいになるのだ。こんな食べ方を大戸屋でしている人が他にいるとは思えないが。


 帰宅して、先日買った『文學界』7月号に載っている村上春樹「三つの短い話」を読む。その名の通り三つの短い話が入っている。〈石のまくら〉、〈クリーム〉、〈チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ〉の三つだ。〈石のまくら〉の冒頭はこんな感じ。


 《ここで語ろうとしているのは、一人の女性のことだ。とはいえ、彼女についての知識を、僕はまったくと言っていいくらい持ち合わせてはいない。名前だって顔だって思い出せない。また向こうだっておそらく、僕の名前も顔も覚えていないはずだ。》


 ああ、いつもの村上春樹だなあと思わず顔が笑ってしまう。登場人物の女性の短歌が何首か引用されるのだが、もちろん村上春樹の創作だと思われる。村上春樹の短歌かと思うと面白い。〈チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ〉は題の通り、もし、パーカーにボサノバを演奏したレコードがあったらという幻想譚。パーカーとボサノバというありそうでなさそうな取り合せが個人的にはツボだった。


 ということでBGMはジャズのレコード。

ザ・サイドワインダー+1
フォー・ジャンゴ



 夕食後のデザートに、マンゴー入りヨーグルトを食べる。これはブルガリアヨーグルのプレーンに乾燥マンゴーを入れて一日置いたもの。ネットで知って試したら美味しかったのでここ一週間ほど続けている。乾燥リンゴでもやってみたが、マンゴーの方がよかった。他にもキウイやラズベリーなどのドライフルーツも買ってあるので、しばらく自分好みの取り合せを色々と探ってみるつもり。