パーカーにボサノヴァ、黒酢にかつ節。


 気がつけば5月はとうに終わり、もう6月となっていた。


 身辺が慌ただしく、とはいっても僕個人のことではなく、職場がなのだが、落ち着かなくも日々はどんどんと過ぎてゆくといった感じ。


 先週の日曜日には休日出勤で営業の仕事。東京日比谷の大きなイベント会場で職場の名前のプレートを胸につけ朝から営業を行う。今このプレートをつけているのは、まるでパレスチナの街中に“ドナルド・トランプ”という名札をつけて歩くくらいに危うい行為のなのではないかという不安を抱えながら過ごしたのだが、お客さんたちの方が大人で直接は言わないが「大変ですねえ」という同情(憐れみ?)の表情をたまにのぞかせるだけだった。


 大過なく、自分の担当時間を終えて、昼過ぎにお役御免となる。歩いて銀座へ出る。


 いつもの教文館書店で2冊。

  • 佐藤ジュンコ「佐藤ジュンコのおなか福福日記」(ミシマ社)
  • テリー・イーグルトン「文学という出来事」(平凡社


佐藤ジュンコのおなか福福日記 (手売りブックス)
文学という出来事



 「文学という出来事」は、現在は岩波文庫に入っている「文学とは何か」の続編ということなので、これは読んでおきたいと購入。大学院で当時単行本として岩波書店から出版されたばかりの「文学とは何か」を授業で輪読してからもう30年も経ってしまったのかと思うと感慨深い。


 そして、いつもの山野楽器へ。レコードを2枚。


FINAL TOUR: COPENHAGEN [12 inch Analog]
ワンス・アポン・ア・サマータイム


 マイルスのバンドをコルトレーンが去る直前のツアーを記録したライブ盤。ピアノはウイントン・ケリーでドラムはジミー・コブコルトレーン吹きまくり。
 ブロッサム・ディアリーがピアノを弾きながら歌う。ベースはレイ・ブラウン、ドラムはエド・シグベン。音を敷き詰めるコルトレーンと対照的な、舌足らずで訥々と歌うディアリー。それぞれの味。



 この一週間は太宰治関係の物を色々買った。太宰治没後70周年といことで関係本が色々出ている。

太宰よ! 45人の追悼文集: さよならの言葉にかえて (河出文庫)
太宰治の手紙 返事は必ず必ず要りません (河出文庫) [ 太宰 治 ]
[rakuten:book:19153631:image]



 『東京人』は“特集 今こそ読みたい 太宰治”。木皿泉トカトントン」、岡崎武志「『東京八景』を訪ねて。」などが載っている。
 「太宰よ!45人の追悼文集」には坂口安吾が書いた追悼文「不良少年とキリスト」の収録。安吾のエッセイの中でもこれは好きな文章だ。

 


 今日は、日曜出勤で職場で屋内仕事。雨の降り出した午後に仕事を終え、退勤。

 大戸屋で遅めの昼食。鶏と野菜の黒酢あん単品と手作り豆腐。ご飯を豆腐にして炭水化物を減らす。豆腐が好きなので苦にはならない。手作り豆腐にはカップに入った花かつおの削り節が付いてくるのだが、これを豆腐ではなく、鶏と野菜の黒酢あんの上にドバッとかける。最近この食べ方が気に入っている。黒酢あんにかつ節が絡むとなんとも言えずいい味わいになるのだ。こんな食べ方を大戸屋でしている人が他にいるとは思えないが。


 帰宅して、先日買った『文學界』7月号に載っている村上春樹「三つの短い話」を読む。その名の通り三つの短い話が入っている。〈石のまくら〉、〈クリーム〉、〈チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ〉の三つだ。〈石のまくら〉の冒頭はこんな感じ。


 《ここで語ろうとしているのは、一人の女性のことだ。とはいえ、彼女についての知識を、僕はまったくと言っていいくらい持ち合わせてはいない。名前だって顔だって思い出せない。また向こうだっておそらく、僕の名前も顔も覚えていないはずだ。》


 ああ、いつもの村上春樹だなあと思わず顔が笑ってしまう。登場人物の女性の短歌が何首か引用されるのだが、もちろん村上春樹の創作だと思われる。村上春樹の短歌かと思うと面白い。〈チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ〉は題の通り、もし、パーカーにボサノバを演奏したレコードがあったらという幻想譚。パーカーとボサノバというありそうでなさそうな取り合せが個人的にはツボだった。


 ということでBGMはジャズのレコード。

ザ・サイドワインダー+1
フォー・ジャンゴ



 夕食後のデザートに、マンゴー入りヨーグルトを食べる。これはブルガリアヨーグルのプレーンに乾燥マンゴーを入れて一日置いたもの。ネットで知って試したら美味しかったのでここ一週間ほど続けている。乾燥リンゴでもやってみたが、マンゴーの方がよかった。他にもキウイやラズベリーなどのドライフルーツも買ってあるので、しばらく自分好みの取り合せを色々と探ってみるつもり。