私の知ってる、港横浜。


 昨日は休日出張の屋内仕事。相鉄線沿線の駅近くの会場で朝から夕方まで過ごす。仕事自体は昼過ぎには終わっているのだが、会場の撤収作業が義務付けられているため、夕方までその場で待っていなければならない。会場内は飲食禁止で、座席も移動収納式のため、クッションなどのない板一枚のようなもの。長時間座っていると尻が痛くなってしまう。大きめのタオルを幾重かに折り、それを座布団がわりにしてなんとか過ごす。午後は、朝日文庫から再刊された小林信彦「名人 志ん生、そして志ん朝」を読む。親本の朝日選書版、最初の文庫の文春文庫版に続いて3度目の読書になる。志ん朝の死を受けて小林氏があちこちに書いた文章と、志ん生について書いた文章をまとめた本なので、重複も多いのだが、小林信彦本によって落語を学び、志ん朝師匠を知り、そのCDを繰り返し聴くことで落語の魅力にハマっていった者としては、己の出自をたどるようなものだから何度読んでも構わない。
 外は季節外れの夏日なのに会場内はそのための冷房によって寒いくらいで、昼食を食べに外に出て、駅前にある時代のついた中華料理屋(“町中華”というやつですね)で酢豚ランチセット(酢豚とミニラーメン)を食べたのが唯一の息抜き。店のおばちゃんが「新米ですよ」と言って出してくれたライスも店もいい味だった。


名人 志ん生、そして志ん朝 (朝日文庫)




 今日は休み。一日グダグダ過ごすことに決めていた。8時過ぎまで寝床でグダグダし、朝風呂で東京FM「山下達郎のサンデーソングブック」をラジオクラウドでぼんやりと聴く。それから遅めの朝食をだらだらと食べる。最近気に入っている“サンジェルマン”の低温熟成の食パンをトーストし、スライスチーズとハムを敷き、その上にポテトサラダやごぼうサラダをのせて食べる。休日の朝だけに許している炭水化物ドカンの朝食。これが背徳感もプラスされたうまさを感じさせてくれるので好きなのだ。


 午前中のあまりのグダグダ、だらだらにちょっと飽きてしまったので、先日行けなかった伊勢佐木町馬車道周辺に行くことにする。昨日より気温が7度近く下がると聞いていたので、先日無印良品で買ったスタンドカラーの長袖ネルシャツを着てみる。襟のないスタンドカラーなので、鏡の前に立つと思わず「伊丹十三が着そうなシャツだな」と呟いてしまう。この感覚を共有できる人は今や何歳以上なのだろう。




 車中の読書用にはこれをカバンに入れた。

文學界 2018年11月号




 特集は“白洲正子須賀敦子”なのだが、今日のお目当ては木村紅美「わたしの拾った男」。58ページほどの長めの短編、もしくは中編。一人暮らしの48歳のOLの家にある日記憶喪失を自称する若い男が転がり込んでくる。その男に昔飼っていた犬の名前“クロ”を付け、自宅に置いておくことにする主人公の女性の一人称で語られる形式のため、前作の「羽衣子」同様に読者は語り手の語る内容が事実そのままなのかどうかを判断できない。語り手自身が自分の記憶に自信がないことを口にすることによって読者はますます不安になる。「雪子さんの足音」「羽衣子」にあったあの“なんとも微妙に嫌な感じ”は今作にも引き継がれており、安易に主人公の女性に共感や同情をすることは難しい。そして、具体的な年月日は示されないが、東日本大震災における原発事故がまだ生々しい時期であることが所々に顔を出してくる。この女性を苛立たせる、職場の同僚や近所の人が迫ってくる善意の圧力もあの時期の雰囲気がその後ろにあるような印象を受けた。職場での疎外感、老後の不安、伯母の死、性犯罪の恐れなど作中に幾重にも折り重なって行く“微妙に嫌な感じ”は、まさに木村紅美ワールドと呼びたくなるくらい見事に感情をつかんでくる。これらの作品が醸し出してくる“違和感”のようなものの正体はなんだろうと読みながら思う。もちろん、明確に単語や一文で言えるようなものであれば、作家が小説作品を書く必要などない。末尾近くで突然語られる事実が、作品の鍵なのか、そうではないのか、もう一度読み直すことを求められているような気持ちで読み終える。


 馬車道で地下鉄を降り、馬車道からイセザキモールへと歩き、有隣堂本店、ドンキホーテを越えて、ガストの近く、青江三奈の「伊勢佐木町ブルース」の歌碑の手前に最近できた古本屋「雲雀洞」があった。店頭の均一台を覗くと、古い本が多いが、中公文庫の渋い肌色本が入っているなど店内に期待が持てる感じ。店内は文庫本が多い印象。単行本はゆるくジャンル分けされていると思えたのは、まだ開店して1週間しか経っていないからかもしれない。これから棚の色味も徐々に出てくるのではないかと思う。いる間にも開店を祝って訪れる人たちが来店していた。これから長く続いていってほしいものだ。以下の2冊を購入。

 イセザキモールを戻り、有隣堂本店へ。ここで地元で買えなかった新刊を1冊。

古本的思考: 講演敗者学



 単行本未収録の講演を集めた1冊。“山口昌男”や“晶文社”というタームにはやはり反応してしまう。講演の他にインタビュー「雑本から始まる長い旅」が収録されており、掲載誌は『古書月報』で、インタビュアーは内堀弘さんとのこと。まずこれから読みたくなる。



 このところジャズのアナログレコードを買えていないので、馬車道ディスクユニオンに寄る。

  • 「LULLABY OF BIRDLAND」(RCA
  • clifford brown new star on the horizon」(BLUE NOTE)
  • 「introducing the kenny drew trio」(BLUE NOTE)

Lullaby of Birdland バードランドの子守唄 [12
ASIN:B00Y1U7RAQ
イントロデューシング・ザ・ケニー・ドリュー・トリオ



 「LULLABY OF BIRDLAND」は、このスタンダードナンバーの演奏だけを集めたオムニバス。何かのシリーズの特典として作られたものらしく“非売品”となっている。

 残りの2枚は、ブルーノートレコードの初期を彩る“5000番台”。CDで持っているのだが、ジャケットも美品で盤面状態もA、そして値段も手頃とくれば欲しくなる。3枚買ってCD一枚ぶんの値段だからつい買ってしまう。



 野外仕事から屋内仕事に変わって、横浜駅周辺は仕事をする場所ではなく、通過駅や乗り換え駅になった。自分にとっての横浜はこの馬車道周辺だと思う。野外仕事をやっている昔から、休日に出かける横浜はここだった。イセザキモール周辺の古本屋(当時通っていた古本屋はほとんどもうその場所にはない)と有隣堂を巡り、ディスクユニオンでジャズのCDを買い、その下にあるスターバックスでカフェラテを飲みながら本を読んで時間を過ごした。そんなことをしていれば独りでいても寂しいとは思わなかった。今も全く同じ休日の過ごし方をして飽きないのだから我ながら呆れるしかない。今日は、スタバは満席。諦めて地下鉄馬車道駅へ向かう。中村雅俊の歌う「恋人も濡れる街角」のように雨に降られる心配はなさそうだ。