正月五日の“雪”。


仕事を終えて馬車道に出る。
誠文堂書店へ。久し振りに奥さんが店番をしていた。
奥さんは近々ロンドンへ行くとのことで僕にチャリングクロス街の場所などを聞いてくる。以前にロンドンに行ったことがあると話したことを覚えていてくれたのだ。とりあえず、僕の知っている5年ほど前のロンドン情報をいろいろと話した。1冊購入。

以前に出た「若き日の坂口安吾」(洋々社)の続編である。


思わず長話をしてしまい時間は6時を過ぎている。余裕があれば伊勢佐木モールの古本屋を覗いておこうと思ったのだが予定を変更して馬車道桜木町方面に折れる。ジャズのライブスポット「エアジン」がある通りだ。すると通りを挟んだ「エアジン」の斜め向かいに「KAMOME」というジャズバーができているのに気づく。ガラスの向こうではリハーサルをしているピアノトリオの姿が見える。やっぱり横浜にジャズはよく似合う。
川を渡る橋の上に出ると夜空に浮かび上がるみなとみらいの夜景が広がった。しばらく見ないうちに建物が増え、夜景を作り出す光の数が倍増している。大観覧車の色が刻々と変化していく姿も目を惹く。


桜木町を野毛方面に折れて横浜にぎわい座の前に出た。今日はここで立川談春独演会があるのだ。開場の6:30にはまだ多少間があるので、近くの天保堂苅部書店を覗く。時間があったらこの近くにできたというブックカフェ「風信」にも寄ってみたかったのだがうまく見つけられなかった。


にぎわい座に戻り、中に入る。今回の独演会は昨年評判をよんだ談春七夜のアンコールとして行われる。テーマは「雪」。エレベーターで3階にあがると談春師匠が『en-taxi』を買った人にサイン&握手をしていた。
席について幕が上がるのを待つ。7時となり開幕かと思ったら幕の前にメイド服姿の男女があらわれる。談春師匠のお弟子さんである。この2人が弟子入りしてうれしかったことと悲しかったことを述べて会場の笑いをとる。つまり前座ですね。これまで数回師匠の独演会に足を運んでいるが前座が出てくるのは初めて。
2人が脇に退いて今度は幕が上がる。背景に大きな白い布が垂れ、そこに“雪”と大書してある。これは談春さん自らが書いたものだという。達筆だ。長めのマクラはいつものように談志師匠を登場させて笑わせてくれる。1月2日の新年会&誕生会に弟子一同で談志師匠に贈り物をする話をしながらある弟子が「値のはるものをやっとけば喜ぶんだから」と言ったとか、お中元にバスタブや湯沸かし器やウォシュレットを要求されたという事実をいろいろと語り重ねていく。師匠と弟子の話の中でさりげなく強欲や物欲というイメージを観客に与えようとしていたことが後の噺2題を聴くことで分かることになる。こういう下ごしらえをわざとらしくなくしっかりとしていくところに談春師匠の腕の確かさを感じる。

まず最初は「除夜の雪」。恥ずかしながら初めて聴く噺だ。除夜の晩に坊主の兄弟子と2人の弟弟子がケチで欲深い和尚の話をしているところから始まる。もうここでマクラがさりげなく効いてくる。この後、弟弟子の1人が和尚が隠している炭や玉露や干しいわしなどを見つけてきてそれを兄弟子が喜ぶという展開。正直、この辺は噺の柄が小さく、少々退屈な印象もあったのだが、商家の若奥さんが傘を返しに来た後に誰もいない本堂で銅鑼が鳴り、弟弟子の1人が雪の上に足跡ひとつないということに気づくあたりでキュッと胸をつかまれる。そのあと商家の番頭が訪ねて来て若奥さんの自殺と姑の非道を語り、除夜の鐘が鳴ってからのサゲまではグッと引き込まれた。坦々とした噺であり、ダイナミックな場面の転換や畳み掛けるような笑い、そして落差をともなうサゲもないが、そこには確かに大晦日の雪に囲まれた寺のしんと冷え込んだ冬の寒さといびり抜かれて死んでいった若奥さんとそれを思う店の者たちの思いが伝わってきた。ああ、この人うまいなと素直に思う。


休憩を挿んで、「夢金」となる。この噺には舞台演出があって、強欲な船頭の熊が怪しげな武士と娘の2人連れを屋根舟に乗せて川へ出ると場内の照明が落ち、演者と背後の“雪”の文字だけがスポットライトで浮かび上がり、不気味な太鼓のリズムが効果音として背後に流れる。どうも、これが僕にはしっくり来なかった。それから、細かいことなのだが、今日の談春師匠は、これまでになく言葉のいい間違えが多く、それからくる不安定な感じがなかなかこちらの気持ちを噺に集中させてくれないのだ。
これは個人的な思い入れなのだが、僕にとっての冬の噺の善し悪しは、聴いていて本当に寒さを感じさせてくれるかということにある。志ん朝師匠の「二番煎じ」、「夢金」、「富久」が好きなのはそこから“寒さ”がリアルに伝わってくるからだ。
今日の「除夜の雪」にはその寒さがあったが、「夢金」にはあまり寒さが感じられなかった。それでも、この師匠の高座は何ともいえない魅力にはあふれている。また、きっと足を運ぶことになるだろうな。



今日の4000番台は休み。