毬のようなアントワネット。

仕事を終えて、職場を後に池袋に向かう。
今日は岡町高弥さんから譲っていただいた立川談春独演会を東京芸術劇場に聴きにいくのだ。


携帯本は、出がけに手元にあったのでなにげなくカバンに入れた谷崎潤一郎痴人の愛」。この有名作品を初めて読む。ナオミという少女を自分の思うように育てていこうとする河合譲治という男の一人称小説。その思わせぶりな語りと大正モダニズムの雰囲気がいい。譲治という男が情けない小男であり、語られる世界が滑稽で含み笑いを感じさせ、思ったよりシリアスな感じがしない作品だ。面白い。


池袋についてすぐに腹ごしらえ。前にも一度入ったらーめん弁慶で味噌ラーメンと半チャーハンのセット。午後6時過ぎだというのに客は僕1人。大丈夫なのだろうかと心配になる。

食後、古書往来座へ。

レジで瀬戸さんが、「『あの日この日』は続が出ていてこれには入っていないけれどもいいですか」と聞いてくださる。手頃な値段といい、この心遣いといい、とても気持ちのいいお店だと再確認する。
三國本は署名入り。単行本を持っていなかったので。
時間がないのが残念。今度はゆっくり来よう。


駅へ戻る途中、ジュンク堂をサッと覗いて探していたこの本を買う。

あいうえお順の棚のサ行になかったのでがっかりしていたら、下のナ行の本の中に挟まっていたのを発見する。誰だよ、間違えて戻したのは。


池袋駅構内の地下道を歩いていると人波の中から突然マリー・アントワネットかと思うような姿をした若い女性が登場してきて驚く。アップにした髪の毛もふっくらとした顔のかたちも体型もすべて毬のようであった。


東京芸術劇場中ホールへ。開演10分前に到着。客席に入ろうとすると僕の前を行くのは福田和也氏。皆勤賞ものですね。自分の席に既に人が座っているのでびっくり。何度もチケットの座席番号を確認する。結局座っていた人の勘違いで無事席におさまった。
思ったより会場が大きいので、舞台の談春さんの表情や仕草が見えるのかと不安がよぎるが、幕が開いてみると思ったよりも近くに見え、別に問題はなかった。
演目は前半が「お見立て」。しかし、そこに到るまでのマクラが圧巻だった。話の内容とその長さともどもたっぷり楽しんだ。先代の小さん師匠の命日である今朝、墓参りに行ったということから始まる。その後の小さん師匠との想いで話は背景に談志家元と小さん師匠の喧嘩別れがあるだけに人情の機微がビリビリと伝わってくるようないい話だ。談春さんが小さん師匠から偶然稽古をつけてもらう状況になった時の、「イチローに憧れて野球を始めた少年が長島のノックを受けているようなもの」という例えに笑ってしまう。なるほど、そんな感じだろうなと思う。おやおや、どこまでマクラが続くのだろうと思い始めた頃に「お見立て」に入る。命日のお墓参りはここに繋がるわけだ。噺自体がそれほど長くないため、その分をマクラで調整していたのだということもわかる。噺もうまく演じられていたのだが、あれだけ濃いマクラを聴いたあとではデザートと言った感じを受けてしまうな。
後半は「遊女夕霧」。恥ずかしながら初めて聴く噺だ。講談の速記をしている円玉さんが、講談師から講談を聴くというシチュエーションが演じられ、そこからスッと講談の世界に移っていくここでの語りの巧みさ滑らかさはすばらしい。その錦絵のような世界を奥さんの声が一瞬でもとの世界に連れ戻すその切り返しの妙。入れ子型構造とでもいうのだろうか、まずこの構成に魅せられる。そして、円玉をだましたよのすけの恋人である夕霧の登場となり、二人の思いのぶつかり合いと、それを仲立ちしようとする奥さんの思いが巴となって交差する人情話が盛り上がったところで、ぷっつんと切れるように「あたしの名前が夕霧ですから」でサゲになる。死ぬほど思っている男をその将来のために泣く泣く諦めて消えていこうとする女の哀れな決断が“夕霧”という名前を理由に正当化されるあまりにあっけない幕切れに、初めての僕はフッと突き放されて、ゾクッときた。何度も聴き知った人とは感じ方が異なるのだろうが、その切り上げの見事さに思わず声をのんだ。満足な一夜だった。岡町さんに感謝。


痴人の愛」を読みながら帰宅する。


今日は新刊を1冊買ってしまったので、買える本がなくなった。

【購入できる新刊数=0】