私、書いてもすごいんです。


雨。愛用していた特大80センチの傘の骨が折れた。

仕事を終えて本屋へ。


それらを持って大戸屋に入る。鶏肉と大根と玉子が入ったカレー風味のうどんを食べた。


帰りのバスでは小三治「子別れ」を聴く。上と中を聴き終え、下に入ったところで帰宅。まだ、年賀状が届く。


ナボコフ「ロリータ」読了。


その後、昨夜談春師匠が「除夜の雪」を桂米朝師匠から教えてもらった時のことは『en-taxi』に書いたので読んでくださいと言っていたことを思い出し、部屋の中から見つけて「談春のセイシュン」第7回『誰も知らない小さんと談志 小さん、米朝−−二人の人間国宝」を読む。「除夜の雪」という噺を聴いたのは昨日が初めてだったのだが、これは古典落語ではなく、昭和30年代に永滝五郎という人が作り、それを米朝師匠が手直しをした新作落語であったことを知る。そういえば、江戸時代の噺と思って聴いていて寺の小坊主のセリフに「あと2時間」と出てきたことにちょっと違和感を感じていたのだが、新作と聞いてもっと時代が新しい設定なのだなと得心がいった。どうしても“談春七夜”で「除夜の雪」をやりたい談春さんは米朝師匠の前で噺をやって許可を貰おうと米朝邸を訪ねていく。その時の情景を描く談春師匠の筆は冴え、己の心理を巧みに解説し、登場人物となる米朝小米朝といった人々の姿も生き生きと描き出している。月並みな言葉だが、下手な小説よりも数倍面白い。その後に語られる小さん師匠に「蒟蒻問答」の稽古をつけてもらった話は以前に高座で聴いたことがあった。こちらも過去に袂を分かった小さん・談志の両雄がお互いを尊重しながらも距離を詰められない微妙な心の有り様とそれぞれの師匠を思う談春・花縁という2人の弟子の思いも鮮やかに描き出している。これらのエピソードを語る中で自分の師匠である談志家元の現在の苦悩を野球に喩えながら明確に描き切る目の確かさと強さがあっぱれなくらい見事。
このエッセイ自体、落語家の余技ではなく、しっかりと金の取れる仕事になっていると感じる。読後、この人は凄いという思いを新たにする。


今日買ってきた『文學界』を手に取り、短篇小説の中から小谷野敦「なんとなく、リベラル」を読んでみる。題名はもちろん田中康夫「なんとなく、クリスタル」のもじりだ。それをあかすかのように本編の後に45個の注が並んでいる。話はT大(東大でしょうね)の助手である岡村朋という女性(自分でも美人だと思っている)が、専任講師として就職した神保大学(神保町近辺の大学ということでしょうか)での封建的な学内政治に翻弄されて悩んだり、在日韓国人の研究者と結婚したりする中で人文系学者を取り囲む諸々のこと(ポストコロニアル批評の流行、フェミニズム運動、イラク戦争に対する研究者の態度表明等)が盛り込まれていく。実在の人物がモデルとなっているだろうことを容易に想像させるように書かれている。実名で出てくる研究者の人たちも多いが、小森陽一氏のように注で実在する東大教授とは同名異人とされていながら、やっぱり同一人物としか読めないカタチで名前が出てくる場合もある。精神科医でエッセイストの《佐山リカ》(もちろん香山リカ)なんて出し方はまあ作者が遊んでいるんでしょうね。主要な登場人物はもう少し複雑に何人かのモデルとなる人物がブレンドされて作られている印象を受ける。主人公の朋にはこれまでエッセイなどで書いてきた作者自身の経験がいろいろと反映されているようだ。面白く読んだのだが、やっぱりこれって四方田犬彦さん入っているよなとか、北村透って北村透谷からとったんだろうなといったレベルで楽しんでしまった感じ。



今日の4000番台。

アイドル・モーメンツ

アイドル・モーメンツ


グラント・グリーンジョー・ヘンダーソン、ボビー・ハッチャーソン、デューク・ピアソンらと吹き込んだのがこの4154番。なんといっても1曲目のタイトル曲がいい。ものすごくゆっくりしたテンポで始まることにまずびっくり。テンポが遅いだけにただすばやく音を連ねてごまかすことができないからだろうか、いつも以上に一音一音に気持ちを込めて各人がソロをとっている印象を受ける。これぞスローミュージックの効用でしょうか。