「遅日小品展」と現代画廊。

朝、職場へ向かうバスの中にカチャ、カチャ、カチャ、ダンという音が響き渡る。びっくりして目を向けると、30代らしきビジネスマンが一心不乱にパソコンのキーボードを叩いている。その傍らに置いてある紙の資料を時折切れるのではと心配になるほど、パシーッと捲り上げる音もする。時間に追われて一生懸命に仕事に取り組んでいるのだろうとは思うが、周囲の人間の存在をまったく視野に入れていないように見えるその姿は、国際線旅客機のビジネスクラスのシート上では様になっても、公団マンションから駅まで通勤通学客をぎっしり詰め込んだ路線バスの中ではどこか滑稽な気がしてならなかった。前の座席には、タイプ音に反応することなく、悠然と楽器の教則本を読んでいるこれも30代と思われる男性がいて、ゆったりとした佇まいになにやらホッとするものを感じる。


仕事を終えて、銀座へ出る。
松坂屋の横の道を築地方面に入り二つ目の十字路を右に折れて岸本画廊(銀座6−12−15 西山ビル3階)へ。ここで林哲夫さんの「遅日小品展」が行われているのだ。
ドアを開けるとすぐ目の前に林さんが立っていた。ご挨拶をして作品を見せてもらう。これまで「デイリースムース」のHPで目にしたものも何点かあった。やはり、本を描いた作品に惹かれる。ぐるりと一周した後、林さんとお話をさせてもらう。久し振りであったので、くだらないことを色々とお聞かせしてしまった。
以前に、林さんの「古本デッサン帳」がゾッキ本として神保町の書店で売られていたという件に関して、僕が勘違いから850円で売られていたのに400円で出ていたと書いてしまったことがあり、そのことを林さんにお詫びする。
今回は絵画の展示会のみということなので、ただ観るだけの冷やかしの客にしかならず、なんとも申し訳ない気がする。林さんの絵は大好きなのだが、絵を買うということが経験のない自分にとっては何やら高いハードルに感じられてしまうのだ。もし買わせていただいたとしても、残念ながら飾れるような場所も環境もわが部屋にはない。将来、結婚してマンションでも購入した暁には、自分の書斎部屋の壁に是非1枚飾らせていただきたいものだと思う。思うだけなら本当に簡単にできるのだが。


画廊を辞して、通りに出る。先程林さんから教えていただいた洲之内徹さんの現代画廊があったビルに向かって歩き出す。岸本画廊がある西山ビルのすぐ左斜め向いにひときわ古びたビルがすぐ目に入る。「樽」という名前の店の看板が目をひく。存在感のある古い両開きのドアを開けてちょっとだけ中をのぞいてみる。「気まぐれ美術館」シリーズで読んだ古い危なげなエレベーターがある。“手動式”と扉に紙が張ってあるのがいい。とてもいい具合に廃れている。たぶんあと数年もすれば取り壊されてしまいそうな枯れようなので、まだ見ていない洲之内ファンは、「遅日小品展」(4月5日まで)を見がてら来てみるといいですよ。


伊東屋裏の奥村書店から教文館を回って銀座プランタンへ。この前で小さな古本市が行われている。やたらと風が強くなり、寒い。サッと見て1冊選ぶ。

小津安二郎映画でおなじみの俳優・中村伸郎氏の遺稿集。
その後、旭屋に寄る。レジ前に「波」、「一冊の本」、「本の旅人」といったPR誌が並んでおり、それ欲しさに買い控えていたこの本をレジに持っていってしまう。

先程林さんとこれからは買うから読む方向に移行するつもりなんて話をしていたばかりなのにこの体たらく。やれやれ。

そこで、帰りの電車の中で以下のことを自分に課すことに決める。


・本を1冊読まないと新刊を1冊買わない(ただし、古本はこの限りではない)。


・月に中公文庫の肌色本と講談社文芸文庫を最低1冊ずつ読む。


前者で古本を除外したのは、そうしないとブックオフなどで掘り出し物を見つけたときに買えなくなってしまうから。
後者は先日の「落穂拾い」(id:ochibo)で中公文庫の肌色本を読み出すという宣言を見て刺激されたため。ついでに講談社文芸文庫もまとめて面倒見ようというわけなんですが、できるのかな。
今日、林さんから「自分で決めたことはきっちり守るタイプ」という有り難い誤解の言葉をいただいたこともあり、前向きにやっていこうと思う。

帰宅後、銀座への行き帰りでも読んでいた出久根達郎「風がページをめくると」を読了。その影響で積ん読本となっている大村彦次郎「文壇栄華物語」(筑摩書房)、高橋英夫「京都で、本さがし」(講談社)、青木一雄「『とんち教室』の時代」(展望社)を読みたくなる。
やった、1冊読んだので明日も本が買えるぞ、ってそれでいいのだろうか。

今日聴いたアルバム。

ブルー・マイナー

ブルー・マイナー

Conversations With Myself

Conversations With Myself

前者の5曲目「No More Clark Bars」と後者の7曲目「N.Y.C.'S NO LARK」はともに若くして死んだソニー・クラークに捧げた自作曲(後者はsonny clarkアナグラムになっている)。
イリアムソンのものはバッハに、エバンスのものはサティに聴こえる瞬間がある。