損して得とれ新潮社。

本日、休日出勤。
昼過ぎに職場へ。
幾つものやらなければならないことが、同時多発的に襲いかかってきている状況である。
これも、物事を先送りにし、締め切り間際にならないと集中力とやる気が出ないという己の宿痾によるもの。
どれかひとつにかかりきりになれない状態なので、机にへばり付いていても仕事が片付いている気がしない。
飽和状態となった頭を冷やすために、ブログ散歩を試みる。
「店番日記」を読むと、昨日「読む人」展の会場を立ち去った僕と入れ違いに、向井さんが来場したことが書いてあった。しかも、林さんから僕が来たことを聞き、会えなかった事を残念がってくれている。こちらこそ、残念至極である。
この同時多発的多忙がひと段落ついたら、早稲田へ行ってみようと思う。
向井さんも書いているように、林さんの「歸らざる風景」(みずのわ出版)は、本が大好きな人間が作ったことが伝わってくるすばらしい本。題名は洲之内徹さんの「帰りたい風景」からとられていると思われる。あとがきでも洲之内さんのことに触れているから、たぶんそうだろう。昨日直接林さんに確認すればよかったのだが。それにしても、新潮社の洲之内本がすべて絶版とは信じられない。林さんもこれだけ読者がいるのに、どうして新潮社は継続していかないのかと疑問を呈されていた。僕も、「帰りたい風景」以降の単行本がなぜ文庫にならないのかが理解できない。日本の古本屋やアマゾン、ヤフオクなどを見ても洲之内本は軒並み定価以上の値がついている。出版不況のなせる業か、各出版社が毎月出す文庫の点数は膨大な数に及ぶ。その中には、数合わせとしか思えないような本もちらほら目に付く。そんな本出すくらいなら、「セザンヌの塗り残し」、「人魚を見た人」、「さらば気まぐれ美術館」を文庫化して欲しい。ついでに「絵の中の散歩」と「気まぐれ美術館」と「帰りたい風景」も復刊し、洲之内コレクションの絵をちりばめたケースに詰めてボックスセットにして売り出して欲しい。きっと買ってあげるから。それに、先見の明ある古本屋さんだったら、何セットも買い込んで、しまっておくはずだ。
こんなことを言うと、やっぱりまた絶版になると思っているのだろうと指摘されそうだ。ほんとのことを言えば、洲之内ボックスは出たら早晩絶版になると思う。それだけ、洲之内さんの文章は、本好き、読書好きの人間に訴えるものを持っているからだ。つまり、ベストセラーの恋愛小説や自己啓発書、ハウツー本の読者とは相容れないタイプの作家だということである。だけども、文庫化され、書店の棚に並ぶことによって、必ず新たな読者を獲得することになる。時代は変わっても、各世代にはそれぞれある程度の本好き、読書好きが必ずいるのだから。その新たな読者たちが、以前からの読者と相俟って、絶版になった何年後かに次の洲之内ブームをじわじわと盛り上げていくはずだ。その時こそ、新潮社は洲之内全集に向けて立ち上がる時であろう。立て、新潮社。文芸出版社の老舗としての矜持を見せろ。「海辺のカフカ」の利益はそのためにあるのだ。落語の「火焔太鼓」のお侍も言っている「商売はもうけることも大切だ。そうじゃないと損ができん」と。商売には損を覚悟で踏み切らなければならない時がある。そして、その損こそ商売人が真に売りたいものを売る時にするものだ。さあ、新潮社のお手並み拝見といきましょう。