惰性『文學界』。

仕事帰りの本屋でいつものやつを買う。

今号は“文學界新人賞発表”のため特集もなく、つまらない。それなら買わなければいいようなものだが、習慣のようなものなので惰性で買ってしまうのだ。相変わらず、立ち読みで混んでいる雑誌棚の前には誰も文芸雑誌を手にするものはない。買う人間などこの世に存在しないかのようだ。ただ僕を除いて。
帰宅して、『文學界』を眺める。とりあえずいつも読んでいる連載に目を通す。小谷野敦「上機嫌な私」は天皇制に関する転向について。若い頃反天皇制を標榜していた識者が年とともに天皇制容認の態度に変化していくことを難じ、戦前の社会主義者の転向に対し、《戦後転向》と呼ぶべきものではないかと指摘する。そして、最後に《私は非転向だ。》と言い切っている。どちらにしても、天皇や皇室のことを自由に論じることのできない日本の社会というのはやはりおかしいと思う。
狐「文庫本を求めて」は室生犀星「我が愛する詩人の伝記」(中公文庫)と河野多惠子「小説の秘密をめぐる十二章」(文春文庫)を書評する。この一文を読んで俄然「我が愛する詩人の伝記」を読みたくなった。さすが狐の書評ですね。抜群の煽りにやられました。
書店を取り上げる「書店での現象」は、往来堂書店が登場。また「私の読書遍歴」では俳優の長塚京三さんがバルザック「ペール・ゴリオ」やセリーヌ「夜の果てへの旅」などを挙げている。そう言えば、以前に長塚さんに似ていると言われたことが何度かあった。あんなにシブくもいい男でもないのだが、眉毛が似ているらしい。
ふと最後のページに吾八「文學界 百年前の今月今夜」が載っていないことに気付く。慌てて11月号を引っ張り出してみたら目次にだけ小さく《最終回》と書いてあった。本文ページには何も記載がなく、それらしい文言もなかったので分からなかったのだ。それほど熱心に追ってきたページではなかったがそこに連載されているということで満足感が得られる存在であった。この坪内祐三さんの隠れ連載(だと思う)はいずれ本になるのだろうか。
「随筆 本が崩れる」も読了。このとらえどころのなさはなんだろう。本もあまり出てこず、崩れさえもしない最終章「喫煙夜話」を読みながら、挿入されている若き日の草森さんと現在の草森さんの写真にしばし目を奪われる。
「悪漢と密偵」でBOOKCLIPが更新され12月の近刊文庫が紹介されいるのを知る。相変わらず講談社文芸文庫がシブい。久坂葉子作品集、佐藤春夫「維納の殺人容疑者」に正宗白鳥「世界漫遊随筆抄」だ。白鳥本はまったく知らないのだが、その書名にズキンとくる。今月の小林信彦作品集と小山清作品集の2冊とともにまた楽しみが増えた。10日が待ち遠しい。