バビロン再訪。


 昼食時にレッドハーブ入り烏龍茶をいれる。花粉症の時はこういったハーブティがいいのだ。いつも僕のいれるお茶を飲んでいる同僚の女の子が席まで来て、「これって生姜を噛みながらほうじ茶を飲んでいるような味がしますね」と言う。なんだかソッチの方が花粉症に効きそうだなあ。


 退勤後、本屋へ。

 「ロング・グッドバイ」は思ったより分厚い本になっていた。黄色い背表紙と表の赤、それにリボルバーのラフな絵が描かれたチープな感じの装幀。ペーパーバックの世界だ。
 『文學界』は小林信彦日本橋バビロン」330枚一挙掲載。《東京の戦前から戦後にまたがる歴史を凝視しながら、生家の盛衰を記し尽くす、無類の刺激に満ちた長編小説》と目次にある。これは読まなくてはなるまい。

ロング・グッドバイ

ロング・グッドバイ



 帰りのバスでは桂米朝「地獄八景亡者戯」を聴く。


 帰宅するとポストに古書現世目録『逍遥』76号が入っていた。いつものように裏表紙の「店番日記」に目を通してから、目録チェック。3冊選んでメールで注文。1勝2敗か、2勝1敗かな。1冊はエース級なので勝ち目はなさそうだ。


 『文學界』から小林信彦日本橋バビロン」を40ページほど読む。読み始めてどこかで読んだような気がしたのだが、これは『en-taxi』vol.14に「日本橋あたりのこと(仮題)」として冒頭部分が発表されていたものの完成版である。この作品はてっきり『en-taxi』に連載されるのかと思っていたのだが、そうではなかったのか。父方の祖父から語り起こし、父へそして自分たち子供へとつながっていく小林家の歴史(それは和菓子の老舗立花屋の歴史でもある)を昭和の両国・日本橋の姿とともに記録しようとする試み。小説となっているが、少なくともこれまで読んだところでは、特に小説でなければいけないような展開は感じられない。たぶん、“小説”と名乗ることで記録に縛られるのではなく、記憶に戯れる自由さを確保したかったのではないかと思う。作品そのものについては全体を読んでからでないと何とも言えないが、「和菓子屋の息子」に代表される自伝的エッセイの総決算をしようとしているらしいので、これまでのところは既視感が強い文章になっている。


 昨日読みかけであった西村賢太「墓前生活」を読了。ちょうど『文學界』所収の小谷野敦「上機嫌の私」が“西村賢太の作品”という題だったので目を通す。小谷野氏は女にもてない男の姿を描く最近にない作家として西村氏を評価している。ただ最新作「暗渠の宿」は「どうで死ぬ身の一踊り」の二番煎じの部分があると欠点も指摘しつつ、今後に期待を表明している。
 僕の方も他の作品を読んでみたくなった。それから西村氏が入れ込んでいる藤澤清造の作品も手にとってみたいと思う。