女のジョアンと主婦のジェーン

昨日、書店で2冊の雑誌を買った。

  • 笑芸人』vol.16
  • 『別冊國文学No.58 その時、何歳だったのか』

笑芸人』は、こぶ平さんの林家正蔵襲名を記念した落語特集号。僕にとってこぶ平さんは、昔購読していた『スイングジャーナル』で新譜レビューを書いていた海老名泰孝としてのイメージが強い。本職のジャズ評論家に交じり、ジャズの名盤のレビューを書いている姿とテレビで見るなんだか情けないキャラクターとのギャップがとても印象的であった。父・三平ゆずりの滑稽さを売りにした落語家から真面目に古典落語を演じる落語家へと転身しようとしている現在の姿に、「スイングジャーナル」における海老名泰孝の発露を見るような気がする。
掲載されている襲名披露への日々を綴った「正蔵日記」の末尾はこうなっている。
《家に帰って弟と口ゲンカ。ボサノヴァジョアン・ジルベルトは男か女かで口論。すいません私のまちがえ。明日あやまろう。》
もちろん、ジョアン・ジルベルトは男です。頼みますよ正蔵さん。海老名泰孝はどこへいったのですか(笑)。
大学時代、国文学科に在籍していたため学燈社の『國文学』という雑誌はよく手にしていた。この他に至文堂から出ていた『国文学 解釈と鑑賞』という似た名前の雑誌もあったが、雑誌の作りや執筆者の人選から学燈社の方を好んでいた。大学を出てからずいぶんと時間が経ったけれども、今でも特集が面白そうなときはたまに買ってしまう。今回はその別冊シリーズの1冊で、年齢という切り口で著名人たちを論じるというのが興味深かったので購入してみたのだ。取り上げられている人々(中には忠犬ハチ公鉄腕アトムもいる)のジャンルは多岐にわたっており、有名どころから、マイナーな存在までアトランダムに扱われている。これは多少の意図はあるものの、執筆者の得意ジャンルによってそうなってしまったという恣意的な部分も大きいような気がする。ともかく、目を通してみると、10歳単位の章立てとなっているのだが、その人物をどの年齢で取り上げるのかということの必然性があまり感じられない。没年が対象となっているのはまだ分かるのだが、岸田吟香などは息子である岸田劉生が生まれた年齢を対象としていたり、宮本常一にいたっては彼を引き取った祖父が隠居した61歳という年齢で分類されている(常一の年齢でさえない)のだ。
編集意図に首を傾げながら、ページを繰っているとアガサ・クリスティーの項目で次のような記述に目が止まった。
《一九世紀初頭、主婦のジェーン・オースティンが夫に隠れて小説を書き、その後、ブロンテ姉妹が誕生した。》
傑作「高慢と偏見」で知られるこの女流作家は、確か一度も結婚した事はなかったはずだがと思い、大島一彦「ジェイン・オースティン」(中公新書)を引っ張りだしてみたが、やはり生涯独身である。この項目を書いた人物のプロフィールをみると「服飾史研究家/ジョルジュ・サンド研究家」とある。確かに英文学の専門家ではないのだろうが、この間違いはちょっといただけない。筆者だけでなく、編集者も気づかなかったというのではいくら国文学の雑誌だからといってちょっとお粗末ではないか。国文学雑誌のドル箱スターである夏目漱石ジェイン・オースティンを絶賛したのは有名な話であり、代表作「高慢と偏見」は数種類の翻訳が文庫で出ているくらいの作家なのだから。
この件に気付くと同時にこの文章の筆者にも興味を持った。人の文章の上手い下手を言えるような文章を書いていないという事は重々承知の上なのだが、この人の文章がなにかちょっと変なのである。先の引用の一文も少しおかしい気がする(例えば「誕生」が人間としてなのか作家としてなのか曖昧な点など)。この人が担当した他の項目を読んでみたが、やはり同様にしっくりこない感じがつきまとってしまう。僕が思うに自分では分かっている事を省略して書いてしまう傾向があるので、読者にとって分かりにくい文章になってしまっているようだ。それと、知っている事をいろいろと盛り込もうとしすぎるため、全体的なまとまりに欠け、最後まで読んでも何を言いたかったのかというポイントがつかみづらいという点も気になった。お金を払って読んでいる読者としては、もう少し、プロとして読み易い文章を書いてほしいものだと願う。
その点、巻頭を飾る高島俊男さんの「むかしの人の年齢」というエッセイはさすが。満年齢と数え年のことについてその歴史的変遷と問題点を3ページで簡潔にまとめて、楽しく読ませてくれる。巻末のプロフィールも高島さんらしさが横溢している。他の執筆者が○○大学教授や××家としているのに対して、「昭和12年(1937)1月16日生まれ」だけ。肩書きに肩すかしを食らわせて、ニヤリとしている姿が思わす浮かんでしまう。
学生時代から馴染んだ雑誌だけに今回の特集は残念であった。書店で販売している商業雑誌なのだから、読者をもっと納得させる努力をしなければ、国文学科の学生も買わなくなってしまうだろう。自分のエッセイが巻頭に載ったこの雑誌を手にした高島さんは、どのように思ったのか、是非聞いてみたい。「お言葉ですが」ででも取り上げてほしいものだ。

ここ連日、iTunesを使ってipodに音楽を入れている。昨日は家にあるモーツアルトのCDを全部入れた(といっても10枚もないのだが)。今日は、大滝詠一監修の小林旭コンピレーション「アキラ1〜4」と「八代目桂文楽落語全集」を入れる。一昨日はBEGINの「シングル大全集」を入れていたのだから、その脈略のなさに我ながらクラッとする。
アキラ 1 八代目桂文楽落語全集―完全版(CD付き) BEGIN シングル大全集