ドア前のコンビニ弁当

今日、自分が関わっていた大きなプロジェクトが終了した。とりあえず、無事に終える事ができたので、ほっとしている。もちろん、これでまったく自分の責任がなくなる訳ではなく、必要があればアフターケアにのりださなければならないだろうが、とりあえずもう直接関わる事はなくなったのだ。疲れが出るとともに、どこか体が軽くなったような気分も。
横浜のホテルで打ち上げのパーティ。これまで色々と苦情やプレッシャーの発信者であった人たちまで、慰労や感謝の言葉を投げかけてくるのが、なんだかよくわからない。終わりよければすべてよしという事か。
疲れていたので、2次会の誘いを断って、帰宅。パーティであまり食べられなかったので、コンビニ弁当を買って家のドアを開けようとすると鍵がない事に気づく。どうやら、職場で服を着替えたときに忘れたらしい。ショックでしばし茫然。コンビニで温めてもらった弁当をドア前に置いたまま、職場へ戻る。
帰宅後、冷めた弁当を食べる(家に電子レンジをもっていないので)。友人から、慰労のメールが。気持ちが暖まる。
先日(3月15日)の「ナンダロウアヤシゲな日々」で南陀楼さんが、小林信彦氏の「夢の街その他の街」を購入したと書いていた。この本は、小林ファンを自認していながら未入手であるためうらやましい気持ちで読んだ。「袋小路の休日」や「ビートルズの優しい夜」などは文庫で手に入れて読んだのだが、この「夢の街その他の街」は文庫化されず、単行本も入手困難な状態となっているため未読のままだ。例えば、「東京のロビンソン・クルーソー」や「虚栄の市」などは希少価値のある人気商品であるため、値段の高い事に目をつむれば入手はさほど難しくないのだが、小林氏の著作の中でもあまり顧みられる事の少ないこのような純文学短編集はネット検索でもあまり出会う事がなく、逆に見つけにくく、入手しにくい本となっている。僕の中での小林本のキキメともいうべき存在なのだ。
この本に収録された作品の一部は「家族漂流」(文春文庫)に収められていたが、すでに絶版となっている。両者に収録されていた「みずすましの街」だけは現在「侵入者」(文春文庫)で読む事ができる。この「みずすましの街」が傑作であるだけに、他の作品も読みたくなってしまう。講談社文芸文庫あたりで文庫にしてくれないかと思う反面単行本を見つけ出して読みたいという思いもある。
古本屋歩きとネット検索の楽しみとしてとりあえず単行本の入手を目指していくことにしましょうか。