よその子と古本屋は……。

 

 昨日は母方の叔父の告別式があったため仕事を休み、千代田線に乗って綾瀬まで行く。

 

 本を持たずに出てきたので、車内ではポッドキャストで博多大吉とカンニング竹山福岡吉本時代の話を聞く。現在のコンプライアンスではあり得ない話だが、昭和ではなく平成の話だから感覚的にはつい最近のことなんだよな。時代は変わった。

 

 綾瀬といえば“デカダン文庫”という魅力的な古本屋があった街。その店を訪ねた時以来の綾瀬である。この日記を検索してみると2005年4月24日にデカダン文庫を訪れているので、それ以来の綾瀬だと分かる。この日はその後に東武線の五反野駅近くにあった“四季書房”にも寄っている。これらの古本屋は今はもうない。いつものことだけれどももっと行っておくべきだったと思う。

 

 人と交わることが得意ではないため親類と会うことも滅多になく、10年以上ぶりに会う人たちばかりだ。姪や甥が大きくなっていることに驚く(年齢だけでなく身長も)。母方が神道の家のため榊を捧げ、2礼2拍手1礼で故人を送る。

 

 

 千代田線を大手町で乗り換え、神保町に寄る。東京堂で本を2冊。

 

-岡崎武志「古本大全」(ちくま文庫

-中央公論新社編「50歳からの読書案内」(中央公論新社

 

古本大全 (ちくま文庫 お-34-11)

50歳からの読書案内 (単行本)

 

 

 前者は既に地元の本屋で購入済み。今日の移動中に読むつもりだったのだが、カバンに入れ忘れた。まえがきに「私の古本および古本屋とのつき合いを表す集大成のつもりで世に送り出す」とあるのでもう1冊持っていてもいいと考えて買っておく。

 後者は「50歳以上の書き手50人によるリレー連載」を書籍化したものとのこと。50代のうちに買っておく。三浦雄一郎開高健オーパ!」、川本三郎野口冨士男「わが荷風」、大竹しのぶ井上ひさし「十二人の手紙」などはさもありなんと思う。北村薫夏目漱石硝子戸の中」、平田俊子林芙美子「晩菊」、平松洋子古今亭志ん生「なめくじ艦隊」などが興味深い。

 

 

 地元駅まで「古本大全」を読みながら帰る。駅前で、白菜・鶏ひき肉・焼き豆腐・えのき等を買って帰宅。鶏ひき肉に桃屋の“きざみしょうが”と黒胡椒をたっぷり混ぜて片栗粉で整形して白菜と鶏団子の鍋を作り、夕食。

おのおの方、校閲でござる。

 大事な要件で同僚たちと国立方面に行く。

 

 要件を済ませて、神保町経由で帰る。

 

 東京堂で買い物。

 

 -『日本古書通信』2023年12月号

 -こいしゆうか「くらべて、けみして 校閲部の九重さん」(新潮社)

 

日本古書通信 (2023年12月号)

くらべて、けみして 校閲部の九重さん

 

 

 前者は岡崎武志さんの連載の最終回が載っているのでバックナンバーから購入。高校時代に現代文の授業を受けた宮尾與男先生の連載も載っている。

 

 後者は『小説新潮』連載中の漫画。新潮社校閲部が協力している校閲者を描いた作品。新潮社校閲部をモデルにした漫画が面白くないわけないだろうという確信のもと購入。

 

 三省堂仮店舗まで歩き、東京堂で見つけられなかった仕事関係の本を1冊買って帰る。

 

 

 帰宅して買ってきた『日本古書通信』から岡崎さんの連載「昨日も今日も古本さんぽ」最終回を読む。古本日誌形式の文章で、10月17日の神田古本まつりの日のことも書かれている。それを読みながら、この日喫茶さぼうるの通りで偶然岡崎さんと出会って少し立ち話をしたことを思い出した。久方ぶりに会ったので「君、生きとったんか」と驚かれたのだったけ。この連載は盛林堂書店から単行本『昨日も今日も古本散歩』として限定500部で発売予定だと書かれている。これは忘れずに買わねばと思う。

 

 「くらべて、けみして」の全10話のうち第1話だけ読んでみた。これは面白いやつだわ。主人公の九重さんの言葉を信じれば、新潮社校閲部には50人の校閲者がいるらしい。赤穂浪士より多いのか、すごいな。

 

 

明日のカレー、昨日のパン。

 

 本日より仕事始め。

 

 まるで体と心が社会生活を営めることを確認するような半日を過ごして退勤。

 

 

 今年初めての本屋へ。

 

 -花田菜々子「モヤ対談」(小学館

 -川上弘美編「精選女性随筆集 武田百合子」(文春文庫)

 -西村賢太「雨滴は続く」(文春文庫)

 

モヤ対談

精選女性随筆集 武田百合子 (文春文庫 編 22-5)

雨滴は続く (文春文庫)

 

 「モヤ対談」は書店員である著者が20名のゲストとの対談をおさめた本。個人的には、山崎ナオコーラブレイディみかこ、岸政彦、ジェーン・スー飯間浩明、ライムスター宇多丸との対談に興味あり。

 

 「精選女性随筆集 武田百合子」は川上弘美がどの文章を選んだのかと解説が阿部公彦であることに惹かれた。精選女性随筆集は全12巻で、編者は川上弘美小池真理子。何故か川上弘美編の作者の方に関心のある人が集まっている(例外は向田邦子が小池編なこと)。これは偶然なのか、それとも何らかの法則があるのだろうか。謎だ。

 

 「雨滴は続く」は単行本も持っているのだが、文庫も買ってしまう。私小説作家の絶筆(遺作)というものに惹かれるのかもしれない。

 

 

 駅の券売機でバスの定期券を半年分購入する。今年の通勤も始まるのだなという気が一層増してくる。

 

 自宅に戻り、買い置きの玉ねぎと豚肉を使ってカレーを作る。実は、大晦日から元日にかけてすき焼きをたっぷりと食べたせいか、2日から軽い腸炎のような症状がでて、2日はほぼ食事をせず、3日も朝食のパンと夕食の2食にしていたため、2日と3日に使うつもりの肉と玉ねぎが残ってしまっており、豚肉の賞味期限もあってとりあえずカレーを作ることで材料を使い切ってしまうことにしたのだ。ただ、今日もまだ万全でないため(食事は朝のウィダーインゼリーのみ)、今夜カレーを食べる状況にはない。そのため作ったカレーはそのまま冷凍庫行きとなった。

 

 昨晩作った玉ねぎと牛肉のオイスターソース炒めの残り(1食分を半分だけ食べてあとは冷蔵庫に入れておいた)を食べて、今日買ってきた本の解説をつまみ読み。

 

 新年早々なのに見るのが辛いニュースが多すぎる。ただ、何の変哲もない日常があることのありがたさを感じる。

大晦日は上を向いて歩こう。

雨の大晦日は久しぶり。

 

 午前中は年賀状の最後の仕上げと家中の空気清浄機(4台)のフィルター掃除。

 

 昼前に雨が上がり、陽が差してくる。年賀状を出しがてら駅ビルに行く。

 

 ポストに年賀状を入れてから駅ビル内のユニクロへ。肩から下げた大きなボストンバッグには大掃除の過程で廃棄処分が決定したユニクロ製のルームウエアがしこたま詰まっている。店内に設置されている箱(再利用するユニクロ製品を回収する箱)にバッグの中身をぶちまける。実はここに来るのは今日で3日目。初日は、はけなくなったパンツ(ズボン)を山ほど、昨日はコートやジャケット等をたっぷり持ってきた。これで少しはクローゼットに余裕ができるはずなのだが、見た目があまり変わらないのは何故だろう。それにしても自分の生活がいかにユニクロに支配されているのかを改めて思い知らされる。それだけ、服装に対する関心が薄れているのだろう。

 

 その後、今年最後の本屋へ。本に対する関心はまだ薄れていないのだ。

 

 -山田太一山田太一未発表シナリオ集 ふぞろいの林檎たちⅴ/男たちの旅路〈オートバイ〉」(国書刊行会

 -カラサキ・アユミ「古本乙女、母になる。」(皓星社

 

ふぞろいの林檎たちV/男たちの旅路〈オートバイ〉: 山田太一未発表シナリオ集

古本乙女、母になる。

 

 

 今年最後に買った本は、先日亡くなった山田太一の未発表シナリオ集。山田太一脚本のドラマを積極的に観てきたわけではないが、「ふぞろいの林檎たち」と「男たちの旅路」はリアルタイムで観ていたドラマだけに手が伸びた。この2作品ならシナリオを読みながら頭の中で俳優たちが動き始めるに違いない。

 もう1冊はやはり“古本”本。前著の「古本乙女の日々是口実」は4コマ漫画がメインのイメージだったが、今回はエッセイがメイン。赤ちゃんを抱いた時に「単行本5冊分くらいの重さだな」と思ってしまう著者に古本好きの業のようなものを感じる。

 

 駅ビルの食料品売り場に行く。大晦日恒例のすき焼きに必要なネギと牛脂を買い忘れていたのを思い出したのだ。ここで問題が生じる。ネギはただ買えばいいのだが、牛脂は精肉コーナーに置いてあり、肉を買ったサービスで無料配布している。昨日ここで牛肉を買っているので、昨日なら何のためらいもなくガゴに入れたのだが、肉を買わない今日のカゴに無料の牛脂だけを入れるのにはちょっと抵抗がある。「こいつ、肉抜きの牛脂とネギですき焼きをやるつもりなのか」とレジの人に思われる可能性を考え、結局また牛肉をひとパック買ってしまった。これで、元日もすき焼きが決定する。

 

 

 自宅に戻り、遅い昼食。年越しそば用に購入しておいたどん兵衛の鴨だしそばと駅ビルで買ってきた築地丸武(テリー伊藤の実家)の厚焼き玉子をいただく。

 

 食後はいつまでも終わらない片付けの続き。サグラダ・ファミリアか、横浜駅かと思うような先の見えない作業をリビングのみの片付けに限定するという力技で無理やり終わらせる。

 

 とりあえず、腰を下ろし、HDの整理と称して録画してあった「未来少年コナン」数話分を観て消化する。あと10話程度でラストというところまで観てから何故か数年そのままになっていた。HDの容量を空けるための作業なのだがやはり面白い。それにしてもコナンはどんな至近距離から拳銃で撃たれても弾はあたらず、爆弾が爆発しても服や顔が黒くなる程度でダメージを受けることがない。現実には銃弾や爆弾で今も多くの命が失われていることを思いながらコナンのようにあちら来る敵意や不幸を上手くすり抜けながら生きていきたいものだなと思う。

 

 隣の家のドアに正月飾りが掛かっているのを見たので、こちらもドアに掛ける。この飾りは一昨年から使っていてこれで3回目の登場となる。一昨年の年末年始に起こった出来事を忘れないためにこの飾りはドアの内側にずうっと掛けてあり、正月だけドアの外に出している。たぶんこれからも使い続けるだろう。

 

 夕食は予定通りスキヤキ。上を向いて歩こうと思う。

 

 

 みなさま、良いお年をお迎えください。

アカと白。

2023年12月21日(木)

 

 振替休日をとる。

 

 神保町のpassageに棚借りをしているため年内最後の補充に行く。12冊ほどを鞄に詰めて家を出る。

 

 車中は、中野翠「何が何だか」(毎日新聞社)を読む。毎年恒例の暮れに出る『サンデー毎日』の連載をまとめた本の最新刊。昨年10月から今年の9月まで。何年か前から雑誌の連載間隔が長くなったので以前の本よりも薄くなり、それを補うために3分の1程は他の媒体に書いた映画評が入っている。メインの日記部分は往復の車内でサクッと読んでしまった。

何が何だか

 

 神保町に着き、passageへ。「ROCA」「みんな彗星を見ていた」「古本食堂」「古本屋の四季」「本屋会議」「最後の角川春樹」「死ぬまでに行きたい海」といった単行本や西村賢太の遺稿が載っている『文學界』などを棚に詰める。ちょうど棚の隙間が埋まったのでちょっと気持ちがいい。

 passage店内から新刊を2冊購入。

 

 -豊崎由美「時評書評」(教育評論社

   -デニス・ボック「オリンピア」(北烏山編集室)

 

時評書評ー忖度なしのブックガイド

オリンピア

 

 ともに地元の書店には並ばないと思われるのでここで買っておく。

 

 

 passageを出て東京堂書店へ。地元では棚に見当たらなかった中公文庫の新刊を2冊。

 

 -浅田彰「構造と力」(中公文庫)

 -佐藤春夫編著「漱石の読書と鑑賞」(中公文庫)

構造と力-記号論を超えて (中公文庫 あ 51-2)

漱石の読書と鑑賞 (中公文庫)

 

 前者は勁草書房の親本の姿をとどめる白い書影。単行本は大学時代に新刊で購入した。僕の大学時代は“ニューアカ”ブームで勁草書房みすず書房の白い本が知識や教養のアイコンだった。同じ時代に同じ勁草書房から出た丸山圭三郎「文化のフェティシズム」は文庫にならないのだろうか。僕がより強い影響を受けたのは丸山本の方なのだが。同時期にせりか書房から出た中沢新一チベットモーツァルト」は講談社学術文庫に20年前に入っている。

 

 電車を乗り継いで、雑司ヶ谷駅へ。歩いて古書往来座に行く。予約しておいた2024年度版「名画座手帳」を入手。今回の帯文は仲代達矢倍賞千恵子。毎回その人選の豪華さに驚く。それだけの手帳に成長したということだろう。瀬戸さんとのむみちさんと他愛のないことを話し、本を何冊か買って帰る。

 

 

 地元の駅ビルで大根・蒟蒻・ゆで卵・竹輪・はんぺんを買って帰宅。冷蔵庫から冷凍してあったさつま揚げを出して鍋いっぱいのおでんを作る。昨年通販で鹿児島の冷凍さつま揚げを買ったら美味しかったので今年もリピート買いした。一度では食べきれず、この冬2度目のおでん。たっぷり作ったからこれで3日間夕食はおでんで決定。

みどりを買って帰る。

 今日は午前中仕事。

 

 退勤時間を待って職場を出る。綿の薄手のコートでも汗ばむくらいに暖かいが、花粉がひどい。薬を飲み、処方されたアレルギー用目薬をしているが、目の周りは赤く腫れ、皮膚はカサカサと乾き、かゆみがとまらず。

 

 本屋へ。

 

・小池陽慈「世界のいまを知り未来をつくる評論文読書案内」(晶文社

・『文學界』4月号

 

 

 前者は同じ著者の「"深読み"の技法」(笠間書院)を読んだら、自分が学生時代に読んだ現代思想系の本が次々と引用されていて懐かしく楽しかったのでこちらも買ってみる。

 後者は西村賢太・遺稿「雨滴は続く」最終回が掲載されている。掲載されている本文の手書き原稿の冒頭が写真で載っていた。推敲の跡が夥しいその原稿用紙が満寿屋製であることがちょっと意外であった。中上健次が若い頃原稿用紙の代わりにコクヨの集計用紙を使っていたように西村賢太も原稿用紙は何でもいいとコンビニでも買えるコクヨの原稿用紙を使っているようなイメージを勝手に抱いていた。拘りの強い作家だったので、原稿用紙にも拘りがあったのかもしれない。それとも藤澤淸造が満寿屋製の原稿用紙を使っていたのか。

 

 偶然買った2冊がともに色合いの違う緑色だった。最近どこかで「緑は何を混ぜても緑だから永遠の色なんだ」と書いてあるのを読んだことをふと思い出す。

 

世界のいまを知り未来をつくる評論文読書案内

 

文學界(2022年4月号) (特集「 アナキズム・ナウ」 西村賢太・遺稿)

 帰宅して、レコードでビリージョエルのアルバムをかけながら夕食に鶏もも肉と新玉ねぎの無水鍋を作る。1時間以上煮た鶏肉は箸で切れるほど柔らかく、塩とバターしか入れていないのにとてもうま味が濃かった。満足。

 

ニューヨーク52番街(完全生産限定盤) [Analog]

 上司から電話があり、明日の弁護士による事情聴取は中止になったので休日出勤の必要はなくなったと告げられる。これで明日は休める。ちょっとほっとした。

2つの月。

 今日は有休をとった。午前中に頼んでおいたラックが届くことになっているので。

 

 コロナ禍で一時期自宅勤務になった2年程前からリビングのテーブルにPCを置いて仕事机として使い始めた。他の部屋の加湿機能付き空気清浄機をリビングに集合させ、エアコン使用もリビングだけとして籠もる生活のかたちを作った。

 

 そうするとリビングのテーブルの周りに平積みとなった本が山となり、いつの間にか広かったはずのテーブルの上も本や書類で肘の置き場もない状態となってしまった。そこで、テーブルの脇に5段のラックを本棚代わりに置き、そこに本や書類を入れ、入らないものはすべて他の部屋に移動させることにしたのだ。

 

 昼に届いたラックを組み立て、そこにテーブルの上の本を移動。久しぶりに広々とした作業スペースを確保できた。

 

 中炒りの豆でいれたコーヒーと昨日の残りのチーズケーキで一息つく。作業スペースを確保できたからといって特に何をするわけでもなく、レコードを聴いたり、本を少し読んだりするだけで時間が過ぎていく。

 

 2時46分になった。職場では同僚たちが黙祷をしているだろうと思いながら、自宅で黙祷。毎年この日は職場にいるので、ひとりでの黙祷は初めてだと思う。その後、アン・サリーのCD(「森の診察所」・「Bon Temps」)で「満月の夕」を2種類のバージョンで聴く。

 

 それから夕方まで曾根博義伊藤整モダニズムの時代ー文学の内包と外延」(花鳥社)から「ジョイス受容史の点と線」という続き物を読む。伊藤整は「フロイト精神分析ならびにジョイスの「意識の流れ」の紹介者、導入者」として文学史に登場した。伊藤整がどのようにジェイムズ・ジョイスを知ったのかを日本におけるジョイス受容史を通して描き出す連作。そして話は伊藤整とともに「ユリシーズ」本邦初訳の難事業に取り組んだ永松定、辻野久憲へと進んでいく。

 

 

 もともと今年「ユリシーズ」を通読しようと思ったのは、この2年延期になっているロンドンとダブリンの海外研修が今年も中止となったことを受けて、行けないのであればせめて小説の中でダブリンを訪ねようというくらいの気持ちであった。曾根先生の遺稿集は一年ほど前に出たもので、少しずつ楽しみながら読んできた。そこにジョイスが出てくるので楽しくなる。本来なら昨年読み終わっているはずのこの本にここまで時間がかかったのは、仕事上のいろいろで本を読む気になれない日が多かったのと、途中で曾根博義「私の文学渉猟」(夏葉社)が出たのでそちらを先に読んでしまったためである。

 

伊藤整とモダニズムの時代 文学の内包と外延

 

 同じ筆者の本を2つ同時に楽しめるのは嬉しい限りだ。空の西と東に月が2つ出ているようなものかなと思ったのは、2つの「満月の夕」を聴いたからかもしれないし、「1Q84」からの連想かもしれない。

 夕食は豆腐のアヒージョとポテトサラダとなめこの味噌汁。

 

 PASSAGEから本が2冊売れたとメールが入る。補充する本を選ばなければと思う。