64はどこへ行く。

  勤続30年を祝ってやるから来いと言われて本社に当たる所へ行く。

 

 大広間のような場所で組織の一番偉い人から感謝状をもらう。テレビや雑誌ではよく見かけるのだが、僕のような下々の者には実物を間近で見る機会はあまりないので、「あ、動いている」と素直に驚く。

 

 正直、偉い人にも感謝状にも興味はほとんどない。ただ、平成元年同期入社の人たちと会えるのが楽しみだった。表彰式の後の懇親会で久しぶりに話をする。同期と言っても年齢は僕よりも少し上の人が多い。みんな老けたなあと思うが、あちらもこちらに対してそう思っているのだということに思い至って苦笑するしかない。まあ、クビにもならず、死ぬこともなく今日の日を迎えられたことを喜ぶことにする。

 

 

 昼過ぎに散会し、職場へと戻る。出張扱いなので、これで直帰してもいいのだが、心配事もあるので顔を出しておきたいのだ。この春の人事で給料はほとんど変わらないのに、仕事と責任は倍加する役割を割り振られた。この数年は、責任のあまりない立場で自分の仕事をしていればよかったので、お前も給料もらっているのだからもっと働けよということなのだろう。その仕事を始めてからなかなか物事が思うように進まず、ここ2週間ほどモヤモヤとした時間を過ごしている。職場に戻るのはその余波とも言える。

 

 

 職場までの車中ではこれを読む。

 

-横山秀夫ノースライト」(新潮社)

 

ノースライト

 

 「64」以来6年ぶりの長編ミステリーと帯にある。「64」を面白く読んだという思いがあり、こちらも手に取った。建築士の主人公が設計した信濃追分にある家の施主の一家の姿が消える。その謎を主人公が追っていく。主人公は妻と離婚し、中学生の娘とは決められた日に会うことができるだけ。この設定が先日読んだ宮部みゆき「昨日がなければ明日もない」(文藝春秋)の主人公・杉村三郎を思い出させる。主人公が信濃追分の家を訪れ、謎の椅子を発見するところまで読んだ。これから物語が動き出し、面白くなっていく予感がする。2年前の夏に信濃追分に行き、シャーロック・ホームズ像を見てきたので、その近くにある「Y邸」の場所がイメージしやすいのもうれしい。

 

 

 乗り換え駅の神保町で下車し、東京堂へ寄る。

 

 

-荻原魚雷「古書古書話」(本の雑誌社

 

 

古書古書話

 

 地元の本屋は、雑誌である『本の雑誌』は入荷するのだが、本の雑誌社の単行本は入ってこない。そのためこちらで購入。サイン本が置いてあったので、やはりここで買ってよかった。

 

 

 

 職場へ戻り、貰ってきた賞状を置き、お土産の紅白饅頭を食べ、二つ三つ仕事を片付けて帰る。先程の懇親会では久闊を叙すのに忙しく、サラダぐらいしか口にできなかったので、駅ビルの大戸屋へ。いつもの鶏と野菜の黒酢あん単品と手作り豆腐を頼む。すると、これまでは同じ盆にのってきた豆腐だけ先に持ってこられ、黒酢あんの方を待つことに。僕にとって豆腐はライスの代わりだから、これだけ持ってこられても困るのだ。それにホール係が僕よりも年配と思われる人になっており、これまでの人たちと明らかに違う。何があったのだろう。ここの大戸屋には来るたびに驚かされる。

 

 黒酢あんを待つ間に、「古書古書話」のあとがきを読む。冒頭「人知れず文筆稼業三十年。」とあり、魚雷さんがライターを始めたのと自分が今の職場に勤めはじめたのが同じ年であることを知る。

 

 

 

 帰宅して、身に浴びた花粉を落とすために風呂に入る。湯船に浸かりながら、吉田拓郎全部だきしめて」を聴く。最近、この曲を繰り返し聴いている。きっかけは、ピエール瀧の逮捕だ。彼が木曜日のパートナーをつとめているTBSラジオ赤江珠緒たまむすび」で、逮捕報道のあった翌日の水曜日にパーソナリティー赤江珠緒が涙ながらに彼への思いを語った後に流したのがこの曲だった。通勤のバスの中で「たまむすび」を聴くのを日課にしている者にとって、各曜日の中でも木曜日を一番楽しみにしていた者にとって、このニュースの衝撃は思いがけなく強いものだった。「たまむすび」を聴く気になれず、何日もたった後にやっとradikoのタイムフリーで水曜日の放送を聴いた。そこでかかっていた「全部だきしめて」に込められた番組スタッフの思いを考えつつ、「いい曲だな」と思った。前から知っている曲だったが、その歌詞の意味まで意識して聴いたのは初めてかも知れない。ラジオだけでなく、役者としてのピエール瀧も好きだった。「あまちゃん」の寿司屋も「いだてん」のたび屋も「陸王」の敵役も好きだった。NHKドラマの「64」で原作通りの厳つい顔の報道官もよかった。録画は消さずにとってある。彼の逮捕を受けて、「あまちゃん」の再放送が中止されたとか、「64」が動画配信サービスから姿を消したとか、電気グルーヴ音楽配信が止まったとかいう話を聞くと悲しくなる。彼が罪を犯したことを否定するつもりはないし、その罪を彼が償はなければいけないのは当然だと思うが、彼の参加した映画やドラマや音楽を排除することが彼の罪の償いになることもその更生になることもない。個人的には、「あまちゃん」はDVDで、「いだてん」の放送分と「64」はHDへの録画でこれからも見ることができるのがせめてもの慰めである。

 

 

 僕が勤め始めた平成元年は昭和64年として始まった。平成31年として始まった今年はもうすぐ別のものになろうとしている。64から始まった僕の仕事も残り10年。いったいどこへと向かうのやら。

 


吉田拓郎 全部だきしめて