極楽までに何買える。

 

 

 

 

 先日、職場の同僚が亡くなった。病気療養で休職をしていたのだが、体調もよくなり、この春から復帰するつもりであると正月に届いた年賀状にも書いてあった。ああ、元気なんだなあとホッとしていたのだが、病気とはまったく関係のない事故で復帰の夢はかなわなかった。

 

 

 ただ、その事故は彼が学生時代からずうっと続けていた大好きな趣味の最中に起こったことだった。行きたくもない場所でやりたくもないことをやって命を落としたのではなかった。誰かのミスに巻き込まれたのではなかった。自分の好きなことに熱中している時のアクシデントだった。それが不幸中の幸いだと思う。通夜で彼の安らかな顔を見ながら、あと何年生きるか分からないが、自分も好きなことをやりながら死にたいものだと思った。

 

 

 

 そうは言っても、彼のようなスポーツをやる趣味のない僕にとって、好きなことをやりながらの最期とは、本屋か自宅で本の下敷きになっている自分の姿くらいしか想像はできないが。

 

 

 

 ということで、今日も好きな本を買いに行く。

 

 

 車中は、橋本倫史「ドライブイン探訪」(筑摩書房)を読みながら。橋本さんが個人で出していたミニコミ『月刊ドライブイン』全12冊を加筆修正して単行本にしたもの。『月刊ドライブイン』は、行きつけの古本屋や新刊書店に置いてあるのを見かけると買っていたのだが、全てを買い揃えることができなかったので、1冊にまとめられたのはありがたい。1982年生まれの著者が物心ついた時にはすでにドライブインの時代は終わっており、車で出かけても寄るのはファミレスやマクドナルドだったという。著者より20年近く前に生まれたこちらは、子供の頃に車に乗せられて街道を走れば、道の左右には数え切れないほどのドライブインがあった。車で出かけてチェーン店のファミレスに初めて入った時には大学生になっていた。その後、院生の時に女友達とディズニーランドに車で行った帰りに食事をしたのは、ファミレスの藍屋だったから、もうその頃にはドライブインは姿をずいぶんと減らしていたのだろう。そして、今や絶滅危惧種となったドライブインを全国200軒近くまわり、その中から再訪して店主に話を聞いた20軒ほどの記録がこの本に収められている。読み始めてすぐに気づくのは、これはそのドライブインを経営していた人々の記録だけではなく、その店があった町の歴史であり、ドライブインの時代を築き、そしてそれを失っていった日本という国の歴史の記録でもあるということだ。著者は古い雑誌やその地方の記録などにも目を通し、1軒のドライブインが存在する(した)というドラマを奥行き深く、丹念に描き出している。

 

ドライブイン探訪 (単行本)

 

 

 本を買う前に寄りたい場所があるので、地下鉄を乗り継いで日本橋駅で下車。B8出口を出てすぐのビルの2階にあるレストランへ入る。近江牛が売りのこのレストランの店長が知り合いなのだ。実はそのことを知ったのは今年に入ってから。知人たちとの新年会で、久しぶりに会って「じゃあ、そのうち食べに行くよ」と約束したのを思い出したというわけ。カウンターとテーブル席が5席ほどという小さい店のため、満席だったら場所だけ確認しておこうと思ったのだが、ビジネス街の日本橋の日曜はそれほど人も多くなく、席も空いていた。店内に知人の姿はなく、奥にいるのかもしれないが、海原雄山じゃないんだから「店長を呼べ」と言うのも迷惑なので、黙ってカウンターに座る。せっかく近江牛専門店に来たのだから1日限定10名のランチメニューを頼む。近江牛づくしの料理で、ポン酢のジュレがかかったローストビーフが前菜で、メインが近江牛三種の食べ比べ。醤油や味噌など違う味付けと部位になっており、3種類ともに美味い。4、5人の男性たちがキッチンやホールを小気味よく動いている。まだ20代の彼女が彼らを束ねているのかと感心する。落し物をして泣きべそをかいていた中学生の頃から知っているので、感慨深い。店を出てから、美味しかったとメールを送る。

 

 

 

 せっかく日本橋に来たのだからと、銀座に出て教文館へ。

 

 

 今日の目的は、先日亡くなった橋本治の未所持本の購入である。彼が『芸術新潮』に連載していた「ひらがな日本美術史」は全7巻で新潮社から出版されている。大判の本で、カラー図版も美しく、その作品や作者について著者が独特の視点とわかりやすい文章とで説明してくれるこのシリーズは、美術に疎い僕にはとてもありがたいのだ。しかし、訃報を受けて家の本棚を探してみると全7巻のうち1~4巻までしか持っていないことが判明した。全部持っているつもりだったので驚き、これはこの機会に揃えておかなくてはと今日の買い物となった。店内に橋本作品はいくつかあったが、肝心の「ひらがな日本美術史」は見当たらず。その代わり、この本を見つけて購入。

 

 

-イルメラ・日地谷・キルシュネライト編「〈女流〉放談 昭和を生きた女性作家たち」(岩波書店

 

〈女流〉放談――昭和を生きた女性作家たち

 

 編者が1982年に佐多稲子円地文子河野多恵子石牟礼道子田辺聖子三枝和子、大庭みな子、戸川昌子津島佑子金井美恵子中山千夏といった女流作家たちに行ったインタビュー集。日本では初めて活字化されるものだと言う。この本を選んだのは、その中身以上に編者であるドイツの日本文学研究者・イルメラ・日地谷・キルシュネライトへの興味によるものだ。彼女がドイツ語で書いた日本の私小説研究論文が邦訳され、1981年に「私小説 自己暴露の儀式」として平凡社から出版された。それをたまたま古本屋の棚に見つけて面白く読んだ記憶がある。もう20年以上前のことなので、何が面白かったかははっきりとは覚えていないのだが、それまでの日本人が書いた私小説論とは一味違うアプローチに魅力を感じたのははっきりと覚えている。その彼女の名前を久しぶりに思い出させてくれた。

 

 

 

 当初の目的は橋本治本であるため、ここで終わるわけにはいかない。日比谷まで歩いて三田線で神保町へ。

 

 

 東京堂では、橋本治追悼コーナーができていたが、そこにも美術の棚にも「ひらがな」はなし。その代わりにまだでないのかと気になっていたこの雑誌を見つける。

 

 

-『みすず』2019年1・2月号 “読書アンケート特集”

 

 

 

 毎年この号を楽しみにしている。今年の表紙の写真は美術館でフェルメールの絵画を見る人かと思いながら、サイン本のコーナーを見ていると買い逃していた本を見つける。

 

 

 

-植本一子「フェルメール」(ナナロク社)

 

フェルメール

 

 写真家で文筆家の植本一子が7カ国17の美術館を巡り、そこにあるフェルメールの絵を写真に撮り、その旅を文章で記録した本。カバーの写真が先ほどの『みすず』と同じことに気づく。『みすず』も彼女の写真を使っていたのだ。

 

 

 

 また、別の本に寄り道してしまった。次は三省堂へ。美術の棚で目的の本を発見。

 

 

-橋本治「ひらがな日本美術史5」(新潮社)

-橋本治「ひらがな日本美術史7」(新潮社)

 

 

ひらがな日本美術史5

ひらがな日本美術史 7

 

 

 

 

 残念ながら6巻だけは売れてしまっていた。でも、構わない。また、今度それを探しに本屋を回る楽しみが残るから。

 

 

 

 

 今日は好きなことを思い切りやる日と勝手に決めているので、これで終わらない。今度はディスクユニオンへ。

 

 

-THAD JONES「MAD THAD」

-LOU DONALDSON「LOU TAKES OFF」

 

Mad Thad

Lou Takes Off

 

 中古レコードを2枚。サド・ジョーンズのアルバムは彼の他に、ジミー・ジョーンズ、エディ・ジョーンズ、エルビン・ジョーンズクインシー・ジョーンズとメンバーがジョーンズだらけ。その点が「MAD」なのかもしれない。ルー・ドナルドソンの方は、難しいこと言いっこなしのジャムセッションソニー・クラークの参加もポイント。ジャケット写真は宇宙ロケット。1957年の作品であることを考えるとソ連スプートニク1号だろう。この後、1960年代になるとアメリカもソ連を追ってアポロ計画を進めていく。このアポロ時代はまたドライブインの時代でもあった。

 

 

 

 

 買い物を終えて、神田伯剌西爾へ向かう。ここで買った『みすず』読書アンケート号を読むのが恒例なのである。店の隣の小宮山書店の100均棚に橋本治無花果少年と桃尻娘」(講談社文庫)を見つける。高野文子装画のカバーが魅力的。買ってから、伯剌西爾の階段を降りる。

 

 

無花果少年(ボーイ)と桃尻娘 (講談社文庫)

 

 

 コーヒーを飲みながら、ざっと目を通す。人文系の本では、黒川創鶴見俊輔伝」(新潮社)と三浦雅士「孤独の発明」(講談社)が多く取り上げられていた感じ。2冊とも持っているので、読まなくてはという気持ちが強くなる。そして、また欲しい本が何冊も増える。困るような嬉しいようなこの気持ちを味わうために『みすず』の細かい文字をひたすら追う。

 

 

 

鶴見俊輔伝

孤独の発明 または言語の政治学