しじみ少年・小南。

 いつもよりちょっと早く家を出て職場に行く。月曜は朝イチで仕事がある日なのだ。

 
 昨日読んでいた「日本語が亡びるとき」に『中央公論』6月号に載った加藤徹明治維新を可能にした日本独自の漢文訓読文化」が紹介されていたので、職場にあったバックナンバーを探して読んでみた。中国古典を読みたい人のために加藤さんがブックガイドを載せていて、それを見ながら中国文学者として誰を評価しているのかを探ってみる。


 ネットで海外出張先の情報などを収集。まだ、情報不足でよくわからない点が多い。


 退勤して本屋へ。


 この書店もごたぶんにもれず手帳フェアを行っているのだが、フェアとは少し離れた場所でモレスキンの都市別手帳の「TOKYO」と「KYOTO」が置かれていた。見本を手に取ってみる。「TOKYO」についている地図の範囲はほぼ山手線内に限られているようだ。それでも範囲が広く地図も大まかな感じがしてしまう。やはり東京という街はロンドンやパリと比べてもいささか広すぎるのだろう。
 それに比べて「KYOTO」はその大きさがちょうどよく、収録された地図で僕の行きたい京都はほとんど網羅されていると思う。買うとしたらこちらかな。今度これを持って京都散策に行ってみたいものだと思いつつ、買わずに帰る。


 帰りのバスでは桂小南「しじみ売り」を聴く。情け深い親方と不幸を抱えたしじみ売りの少年のどちらもいい。小南という噺家の味が初めて理解できた気がする。できうればもっと寒い日に聴きたかった。そうすれば冷たい冬の水の中でしじみをとる少年の辛さと寒空の下を情けの温かさを感じながら家路につく少年の喜びをもっと実感できただろうのに。


 帰宅してメールチェックをしていると『書評のメルマガ』が配信されていた。この号はNEGIさんや北村知之さんをはじめ執筆者が充実している。NEGIさん紹介の佐々木譲氏は一冊も読んだことなし。そういう作家なのだと知る。北村さんの編集工房ノア本を読む連載は今もっとも楽しみにしているものの一つ。