一之輔のいちとに。


 今日は仕事終わりで中華街へ。自分が幹事をしている職場の懇親会が行われるのだ。

 会場へ移動する間も右足の内腿あたりに痛みを感じる。今朝起きると急にこうなっていた。ぶつけたわけでも痣になっているわけでもない。なんだか痛風ってこんな痛みなんじゃないかという気になってくる。2年近く前から糖質制限をして体重を10キロほど落とした。今もほぼその体重を維持しているし、体脂肪・内臓脂肪も標準値を堅持しているはずなのだが、それでもやはり痛風にはなるのだろうか。ネットで検索してみると痛風の3分の2は親指の付け根に出るという。そこはなんともない。でも腿はピリピリと痛む。う〜ん、と思いながら中華街で美味しいものをしっかり食べた。もし、痛風だったらこれは不味いよなと思いながらも会費を払って幹事までやっているのだから食べるくらいはやっぱりしたい。


 元から痛んでいるので、食事によって痛いのかどうかはわからない。帰り道の中華大通りで華正楼の月餅売り場の前を通る。月餅好きの母親によくここで土産を送ったことを思い出す。そういえば先日は母の日だったなと思い、ずっしりとした月餅を三種類買って帰る。


 軽くアルコールも入っているので帰りの車内は読書ではなく、iPhoneで落語を聴く。最近出た春風亭一之輔「今んところ、そのに」という2枚組CDだ。噺は全部で4つ。「時そば」「天狗裁き」「館林」「らくだ」。そのうちの「時そば」を聴きながら地元に戻った。


今んところ、そのに



 本屋へ寄る。すると棚にこの本を見つける。

春風亭一之輔の、いちのいちのいち



 毎月の初日の一日の一之輔の姿だけを12ヶ月間写真家のキッチンミノルが追いかけたという不思議な本。基本モノクロのキッチンミノルの写真がいい。もともと味わいのある風貌の一之輔師匠の魅力が一段と濃く感じられる。若手の落語家の中で一番興味のある人だけにその日常の姿にどこか惹かれるものがあるんだよな。


 帰りのバスの中では「らくだ」を聴く。死人にかんかんのうを踊らせるというあれである。師匠の噺は突然破天荒な大声が繰り出される。この大声を「うるさい」と感じる人には一之輔落語はぴったりとはこないかもしれない。僕も大声を出されるのは好きではないが、師匠の破天荒声は嫌じゃない。あの風貌の裏にある過剰な部分があの大音声となって現れ、日常の世界にふと狂気の刃がヒヤリと光る瞬間を見せてくれる。その微妙な日常と狂気のバランス感覚がこの人の味わいだと思っている。


 帰宅して、買ってきた月餅を母親の代わりに一つ食べた。