師走の丹下左膳。

 暮れも押し迫って、なぜか対の物の片方がなくなるということが連続した。


 風の強い日の野外仕事中に目にゴミが入り、ハードコンタクトをした眼球に走る激痛に我慢できず、その場で右目のレンズを外した途端に強風は薄いプラスチック片をいとも簡単にどこかへ吹き飛ばして行った。


 23日に恵比寿ガーデンホールにアン・サリー畠山美由紀の「ふたりのルーツ・ショー」を聴きに行った。たまたまネットで当日券が何枚か出ることを知り、受付時間丁度に申し込んだら運良く一枚チケットが取れたのだ。会場のある恵比寿に着いた時にコートのポケットに入れておいたマーガレット・ハウエルの手袋の左手だけがなくなっていた。地元の駅で電車に乗る時は確かに両手が揃っていたのだが、どこで落としたのか。これまでの人生で買った手袋の中で一番高価なものだったのでちょっとショックだった。ショーの方は、無事に2人揃って登場し、アン嬢の歌う「sweet memories」にしびれた。ただ、アン・サリー信者の僕からみても、ショーの最高潮は畠山美由紀の歌う「歌で逢いましょう」だったと思う。2人が好きな歌をひたすら歌うというこのショーの主旨にこれほど合致した歌もあるまい。




 2つあるものが喪失するというと村上春樹を思い出す。例えば彼の作品における「双子」や「消える女性」といった道具立てが頭に浮かぶからだ。最近、第何次かの村上春樹ブームが自分の中に来ていると感じる。そのきっかけは先月末にkindleで読んだ「村上さんのところ」(新潮社)。単行本が出た時に買おうか迷ったのだが、カバー絵を見る度に安西水丸画伯の不在を強く意識させられるためなんだか手が伸びなかった(まさかフジモトマサルさんまでが鬼籍に入るとは思いもよらなかった)。そのため、カバーをあまり意識しない上に紙の本より収録量が多いというkindle版を選択した。kindle版では、「掲載日順」と「テーマ別」の両方の並びを選んで読めるため、興味のある「音楽について語る時」を何度も読み返した。僕の嗜好で主にジャズに関わるものを舌なめずりするように熟読玩味した。その結果、久しぶりにジャズのアナログレコードを何枚も買い込むことになった。神保町のDISK UNIONでも何枚か購入した。おかげで神保町に行く回数が今後も減ることはなさそうだ。


村上さんのところ コンプリート版
ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集

 また、今月初めにあった海外出張には村上春樹ラオスにいったい何があるというんですか?」(文藝春秋)を持って行った。旅先で旅行記を読むのが好きで「旅の中の旅」と呼んで楽しんでいる。その面白さを覚えたのは20年程前にエジンバラB&Bで読んだ辺見庸「もの食う人びと」(角川文庫)だったな。



 先週は、2日続けて銀座に映画を観に行った。初日は「007 スペクター」。2日目は「スター・ウォーズ フォースの覚醒」。ともに過去の作品をスパイスとしてうまく利用している点とヒロインが魅力的であるという点がよく似ていた。ともに優れた娯楽作品だった。


 映画を観に行く車中と待ち時間に北村薫太宰治の辞書」(新潮社)を読んだ。この本にたどり着くために「空飛ぶ馬」から「朝霧」までを読んできた。とうとうここまで来たかと心高ぶる。「私」はもう結婚もして中学生の子供もいる出版社勤務の大人の女性になっている。しかし、夫と子供にフォーカスが合うことはない。ピントは「私」とこれまでのシリーズに登場した人物たちに合わされており、「私」の家族の姿は背景としてボカされている。「花火」「女生徒」「太宰治の辞書」の3編が収められているのだが、「私」が興味を感じる芥川龍之介太宰治の作品に関わる話が進み、円紫師匠がなかなか登場しない。「太宰治の辞書」に至ってやっと登場。ただ、これまでの師匠とはちょっと違う役割のような気がする。「謎解き=ミステリー」という枠組みで考える人からするとこの作品はミステリーではないということになるかもしれない。だが、文学を題材としてこのような作品を書く作家がいてくれること、このような作品が読めることの喜びの方が僕には強い。



太宰治の辞書



 この前の日曜で年内の仕事は一段落ついたので月曜日に埼玉へ両親の墓参りに行った。火曜日には茨城へ友人の墓参りに行った。両日とも冬晴れのいい日だった。ともに車中の移動が長いため読書がはかどる。読んでいたのは坪内祐三「人声天語2」(文春新書)。2009年から2015年まで『文藝春秋』に連載したものが収録されている。その7年間にあったあれこれを思い出しながら400頁ほどの厚い新書を楽しんで読んだ。各文章には雑誌掲載時につけられた中野翠さんの描く人物画のイラストも載っている。中野さんと言えば年末恒例の『サンデー毎日』連載コラムをまとめた本が出るのだが、今年は中野翠「この素晴らしき世界!?」(毎日新聞社)で、これももちろん読んだ。毎年この季節に中野さんの本を読みながら、「そういえばあの事件も今年だったのだ」とか、「あの人は今年亡くなったのか」とか思いながら回顧モードに入るのが年の瀬の決めごとになっている。これからも続いてほしいもののひとつ。


人声天語2 オンリー・イエスタデイ 2009-2015 (文春新書)
この素晴らしき世界!?


 最近、寝る前に山崎ナオコーラ「かわいい夫」(夏葉社)の文章を数編読むのが日課となっている。これまで彼女の本をまともに読んだことがなかったのだが、最初の表題作(といってもエッセイだが)「かわいい夫」を読んでむうっと唸ってしまった。山崎ナオコーラという作家のみごとさをまざまざと見せつけられた感じがしたのだ。もっと早く読むべきだったと後悔した。

 これは本業の小説も読んでみなければと思い、書店員である“かわいい夫”との馴れ初めにもなったという本屋小説「昼田とハッコウ」(講談社文庫)を昨日地元の本屋に探しに行ったら何故か上巻だけが2冊並んでいて下巻がなかった。仕方がないので片っぽの上巻だけ買って家に帰った。
 

かわいい夫
昼田とハッコウ(上) (講談社文庫)


 例年であれば、大晦日に実家に帰り、母親と一緒に紅白歌合戦を観るのであるが、その母もいないので、今年は久しぶりに自宅でひとり紅白を観ながら新年を迎えようとしている。



 この日記をお読みのみなさま、今年もありがとうございました。来年もまたよろしくお願いいたします。



 では、古今亭志ん朝師匠の「芝浜」を聴きながら今夜は寝ることにします。