反映の昭和。

 今日、開店3周年を間近に控えていた知人の店がひとまず幕を下ろした。


 この店がなかったらこの世にドイツパンなるものがあることやクリスマスを彩るシュトーレンなる焼き菓子の官能的な美味さを知ることもなかっただろう。


 最終日の今日は店を訪ねて行きたかったのだが、残念ながら職場の大きなイベントと重なり、それもかなわなかった。ただ、先週の日曜と3日前の2度店に出向き、この閉店にいたるあらましを聞くとともに好きなバケットや焼き菓子のクーヘンを買ってきて、それぞれ職場や家で堪能した。


 店は諸般の事情で関東の北の方へと移転し、現在とは違う形のパン屋として再開するという。いつかまた、この店のパンや焼き菓子を食べられる日を楽しみに、職場のイベントの喧噪の中でこっそりと惜別をする。



 9月13日から始まったウルトラマラソンのような旬間は、休息を入れず今日まで続き、そして来週へと仕事のバトンを渡して行く。休日と呼べる日に巡り会えるのは今度の日曜まで待たなければならないようだ。



 ただ、連日7時には職場を出るように心がけているので、疲労感はあるが体調に支障はない。今日も、夕方仕事が終わり次第そそくさと退勤する。


 本屋へ。


繁栄の昭和


 “迷宮殺人と謎の小人、人工臓器を備えた科学探偵、窃盗団に身をやつした貴公子……江戸川乱歩海野十三にオマージュを捧げる短篇集”と謳われる最新筒井康隆本となればやはり手が出てしまう。昭和ひと桁生まれのベテランが頑張っているなあと思ったら、近くの新刊コーナーに金井美恵子「お勝手太平記」(文藝春秋)が並んでいるじゃないか。おお、こちらもご健在だ。そういえば、『週刊文春』の小林信彦連載で、一年以上かけた長編小説がやっと完成したと書いてあったのを思い出した。昭和生まれで昭和の最後に大学時代を送った僕がその時代に熱心に読んだ作家たちがまだ文章を書き、それが出版される状況が維持されているということはファンのひとりとして慶賀にたえない。


 昭和と言えば、今日職場を訪ねてきた知り合いの女子大生がスーツショップの企画部に就職が決まったという。たまたまそのショップの支店がこの街にも最近出来てスーツを一着買ったばかりだったので、近頃、三つボタンのジャケットやタッグの入ったパンツがないことを嘆くと、「今はもうそういった形ははやらないので作っていない」との返事。植木等が無責任シリーズで着ていた三つボタンのスーツジャケットに憧れて、スーツは三つボタンと決めた昭和の男にとってそこは譲れない一線なので、「ファッションの型というのはジェネレーションと深くつながっているものなのだから、まだ定年前で金銭的な余裕のある中年層を買い手から排除するような商品展開は販路を狭めて将来的に経営を圧迫することになるのではないか」と力説してみたが、彼女は笑ってそれを受け流すだけ。彼女の職場となる企業の製品を偶然身につけた今日の自分が、2つボタンのジャケットとノータッグのパンツ姿であることに思い至り、昭和は遠くなりにけりとちょっと寂しい。



 帰宅して、気分転換に音楽を流す。


 先日買った村上春樹編・訳「セロニアス・モンクのいた風景」(新潮社)に影響され、モンクの入ったCDを選ぶ。


セロニアス・モンクのいた風景

  • 「SOLO MONK」
  • 「BAGS GROOVE」


Solo Monk
バグス・グルーヴ


 モンクをBGMに読書。


ドミトリーともきんす


 この漫画は「マトグロッソ」でのweb連載の時から欠かさず読んでいたもの。本の形になって再読できるのはうれしい。朝永振一郎牧野富太郎中谷宇吉郎湯川秀樹の4人の科学者が書いた文章を基に若き日の彼らが学生寮“ドミトリーともきんす”で過ごす日々がスケッチされている。その切り取り方や構成の仕方はやはり高野ワールドとしか言いようがないですな。たのしい。彼ら4人も大雑把に言えば昭和を生きた男たちだ。この本がもし昭和に出版されていたら「ドミトリーともきんす」ではなく、「ともきんす荘」となっていたのかな。


 
 鏡に映る世界を凝視するトモナガ君の様に、いつの間にか“昭和”という鏡に映して現在を見るようになってきているのかもしれない。