海辺の小さい本屋を抜けるとそこは雪国だった。


 今日は朝から出張野外仕事。


 仕事場は海辺の公園。ありがたいことに毎年ここでこの時期にあるこの仕事は雨に降られたことがない。今日もいい天気だ。というより10月も半ばだというのに暑すぎないか、ちょっと。仕事前のミーティングでも「気温が30度近くなるので各自健康には留意するように」との注意さえあった。正直、週の半ばに風邪をひいてしまい、今日も風邪薬服用で咳と熱を押さえている状況なので身体にはこたえる気温だ。


 直射日光を浴びながら、派手な蛍光色のベストを着させられ、手には旗を持たされ、イベントに来た客やイベント参加者の安全を確保しながら動きを止めたり、流したりという作業を旗を振りつつおこなう。昼近くなり、やっと公園の樹木の影が僕の立ち位置にも伸びてきて一息つけるようになった。



 午後2時過ぎに本日の業務終了。ベストと旗を返して近くの私鉄の駅に向かう。ここの仕事の楽しみはこの駅前にある小さな本屋に寄ることなのだ。老夫婦2人でやっているらしいこの店は普通の町の本屋なのだが、文庫の棚を見ているとちょっとしたセレクト感がうかがえてなかなかあなどれない店だ。ただそれが意図的なものなのか、たまたま売れ残りをそのまま放置した結果なのかが微妙なところもまた味になっている。棚の上の方にある単行本はすでに陽に焼けて白っぽくなっており、古本屋テイストさえも感じさせる。この店が来年も続いていますようにと毎年必ず本を買って帰ることを自分に課しているため真剣に店内を回り、文庫を1冊購入。


民宿雪国 (祥伝社文庫)

民宿雪国 (祥伝社文庫)



 単行本発売時に水道橋博士が激賞していた作品として記憶に残っていた。その時は読み逃したので文庫で読もうと手に取った。普段買うことの少ない祥伝社文庫だったというのもちょっと興味をそそった。この前かったこの文庫の本が何だったのかは思い出せない。




 例年ならこのまま私鉄に東京まで乗って、神保町か、早稲田か、中央線沿線の古本屋にでも行くところなのだが、今夜は小学校のクラス会が実家近くの駅であるため、一旦部屋に戻り、仕事着を着替えて埼玉に向かう。



 地下鉄と私鉄を乗り継いで2時間弱の旅。車中の読書は小谷野敦「面白いほど詰め込める勉強法」(幻冬舎新書)。勉強法のハウツー本かと思って読み出すと第一章は「私の知的生活の系譜」という題で、小谷野氏の本ではおなじみの「自分語り」となっている。もちろん、それが結構好きで氏の新書はほとんど逃さず買っているのだから、文句はない。第二章からはハウツー本ぽくなっているようだ。






 自分が生まれた町に降り立つ。実家は20年以上前に隣の市に引っ越してしまっているため、この町に来たのは前のクラス会以来だから3年ぶりだ。恩師を含め20人弱が顔を揃えていた。3年前には来られなかった者も数名来ていて、中にはアメリカ在住でこの時期に合わせて里帰りをしていたクラスメイトもいた。まあ、もうみんなおじさんとおばさんで、そろそろ定期健康診断で再検査になったといった話題が中心になろうとしている。中学で地元を離れて東京の高校に行き、学生を終えた後は就職で横浜住まいとなった僕にとってクラスメイトたちの姿は中学生で止まってしまっている。今目の前にいる男女がすでに孫さえいる年齢になってしまったとしても気分はその頃のままなのだから何だか変な感じである。でも、ただ彼らが酒を飲み、話し、笑っている姿をただ眺めているだけで楽しい。彼らがまだこうして生きて生活しているというだけでどこかうれしい。会の締めに白髪も見えない(染めていないらしい)若々しい恩師が熱く語るのをみんなが小学生みたいにキラキラした目で(ただ酔っぱらっていただけかも知れないが)見ているのがなんだかおかしくてしょうがなかった。



 二次会に行くという地元民たちと別れて帰る。風邪をひいた身体でこれから2時間近くかけて帰ることを考えると潮時だった。


 帰りは本を読む気力なく、iPodで落語などを聴きながら帰宅。