アンソロジーの夜。


 今日は昨日と打って変わって気温が下がる。しかし、昨日の置き土産のような風と花粉は相変わらず。たまらず、ストナリニSで鼻水を止める。


 おかげで鼻水は止まったもののいつも以上に頭がぼんやりし、あくびをかみ殺すのに苦労する。退勤時間を待ってとっとと職場を出る。


 鼻水は止められても本屋に行くのは止められない。

短篇小説日和―英国異色傑作選 (ちくま文庫)

短篇小説日和―英国異色傑作選 (ちくま文庫)

60年代日本SFベスト集成 (ちくま文庫)

60年代日本SFベスト集成 (ちくま文庫)

 ともにちくま文庫3月の新刊からアンソロジー物を2冊。このところ面白そうなアンソロジーの文庫が目につく。先月も「厭な物語」(文春文庫)が出ていて購入済み。アガサ・クリスティパトリシア・ハイスミスという大物2人が初っ端に並び、締めはフレドリック・ブラウンとくればもうそれだけで“当たり”と言っていいと思う。



厭な物語 (文春文庫)

厭な物語 (文春文庫)


 帰宅後、今日もみちくさ市に持って行く本探し。いつも寝ている部屋の枕元に積み上げてある本の山を崩してみる。その山の中から山口昌男本が2冊出てきた。「内田魯庵山脈 上」(岩波現代文庫)と「本の狩人 読書年代記」(右文書院)だ。


本の狩人―読書年代記

本の狩人―読書年代記



 昨日ツイッター山口昌男氏の訃報を知った。氏の名前を聞いたのは大学2年の時。近代文学の講義で恩師が「僕の講義を受けるより、これらの本を読んだ方がいい」と言って挙げた本の中にその名前があった。以前にも触れたことがあると思うが、それらの本は以下の通り。


 内容が理解できたかどうかはともかくとして、これらの本を手に入れてとりあえずページをめくった。「文化と両義性」ももちろんめくった。そして他の本にも数冊手を出し、氏が編集同人をしていた岩波書店の雑誌『へるめす』も読んだ。


 今考えると、山口昌男氏の著作は初期は文化人類学現代思想のスターたちの名前や著書が、近年は明治を中心とし、歴史の周縁に押しやられた魅力的な人々の著述が綺羅星のごとくちりばめられたまさにアンソロジーのようなものであったと思う。アンソロジーが好きな僕にとって惜しい人物を亡くしたと今更ながらにしみじみと感じる。



 今日はこれを聴いて寝よう。誕生日の翌日はそういう日だから。