永遠なる助走。

 目が覚めて洗面所に立つ。磨りガラスはまだ解け切らない隣の庭の雪を写して白で覆われている。まるで雪国で迎えた朝のようだ。


 午前中は寝床の中にいてぼんやりTVを観て過ごす。ちょっと風邪をひきそうな予感があるので、今日は遠出はせずのんびり過ごすつもり。


 風呂にゆっくりつかる。もう昼近いので朝風呂とは呼べそうにない。BGMは自分で作ったアン・サリーのコンピレーションCD。日本語で歌っているものだけのやつを聴きながら、一昨日の夜に掛かってきた電話のことを考える。それは地方に住んでいる大学の同級生からのもので、内容は大学で同じ研究会に所属していた同級生が昨年11月に悪性の腫瘍で亡くなったという知らせだった。それはまったく予期していないことだった。知らせを受けて1日以上経っているが未だにその事実をうまく受け入れることができない。


 彼女は大学生になって最初に好きになった女性だった。推理小説を読んでいるだけで「ガリ勉」と呼ばれた男子校で高校3年間を過ごした僕にとって文学の話ができる同年代の女性はとても新鮮で魅力的であった。また、彼女は病弱であり、入学当初はふっくらとした面立ちだったが、病気をしてしばらく学校を休み、復帰した時は触れたら折れてしまいそうな細い体つきに変っていた。放っておいたらいなくなってしまいそうなその感じも彼女への感情を強めたのだと思う。


 当時彼女には年下の恋人がいて、こちらの気持ちを伝えはしたが、答えは当然「ノウ」だった。それからは同じ研究会に所属する仲間として日々を過ごしていた。その後、彼女は恋人と別れたが、そのときの僕は1つ年上の髪の長い別の女性への片想いに忙しく、ふたりの関係に変化はなかった。


 大学卒業後、研究会の仲間はそれぞれ就職し、僕だけが院生として大学に残った。仲間との関係はその後も続き、飲み会をしたり、旅行に行ったりというような濃い関係が続いていた。そんな中で、僕も彼女も恋人のいない時期が続いていた。その頃、どちらが誘ったのかは覚えていないが、数回2人で食事をしたり、映画を見に行ったりしたことがあった。しかし、僕の中に彼女に対する恋愛感情が戻ってくる様子はなかった。たぶん、当時の僕は結婚してしまった髪の長い女性のことをまだ引きずっていたのだろうと思う。


 30代になった頃、彼女が結婚することになった。ウェディング用のレンタルハウスを貸し切って行われたセレモニーには僕を含めた仲間の男3人が司会としてかり出された。よく通る声と純情を絵に描いたような姿を持つ仲間は結婚式を、仲間随一のギャグセンスとユーモアの持ち主は二次会を、その2人の中間に位置する僕は披露宴の司会をまかされた。男友達3人を贅沢に使ったセレモニーはとても心地の良いものであった。彼女も幸せそうだった。



 40代になった頃、彼女が離婚をしたという話を聞いた。仲間たちの多くは既に家庭を持ち、仲間と集まることもめっきり少なくなった。それでも年に1度は顔を合わせる機会はあった。離婚前の時期、彼女はどこか辛そうだった。離婚後の方が、顔に明るさが戻ったように見えた。仲間の中で独身は僕と、カメラと鉄道と猫を愛する男と彼女の3人だった。その気楽さで3人だけで集まることが何度かあった。ある時、自由が丘で集まって、その日行く予定の店が開くまでの時間つぶしに九品仏まで3人で歩いたことがあった。木々が多く、上品な家々が建ち並ぶ住宅街をただぶらぶらするのはとても気持ちよかった。彼女も猫好きだったので、もうひとりの猫好きと通りにいる猫を見つけては喜んでいた。そんな2人を見ながらこうして10代から知っている仲間でこうしたなんでもない時間を過ごせることに喜びを感じたことを今でもよく覚えている。これからもこうしてお互い時間を重ねながらずうっとつきあって行ける関係でありたいと思った。


 あれはいつ頃だったろうか、彼女が離婚する前か後かははっきりしないが、一度2人だけで自由が丘に飲みに行ったことがあった。それは、僕が懲りずにまた失恋をして落ち込み、彼女に愚痴を聞いてもらうために呼んだのだと思う。諦めきれず、その女性の力になりたいなどと寝ぼけたことを言っている僕に彼女は「迷惑だからなにもしないほうがよい」と大人のアドバイスをしてくれた。しかし、感情的になっている僕は彼女に「なんでそんなこと言うんだ」というような言葉で噛み付いたのだ。その時の寂しいような困ったような悲しいような彼女の顔が忘れられない。「あなたのことを思って言っているのよ」と彼女は言ってくれていたのに。



 離婚後の彼女は仕事をしながら、彼女なりに人生を楽しんでいるようだった。再婚する意志も様子も見せなかった。mixiで日記を始めたというので「友達申請するよ」と言ったら、「食べものとワインの話だけだからつまらないよ」と笑いながらも申請を受けてくれた。断続的につけられるその日記は昨年3月を最後に更新されなくなった。これまでもまったく更新されない月もあったから特に気にも留めてなかった。彼女の言う通り、どこのお店に行ってこういう料理を食べたとかこのワインが美味しいという短い記述があるだけの日記は彼女が書いているということ以外にそれほどの興味を感じていなかったのであまり熱心にチェックしていなかったということもある。まさか、彼女の身の上に生死に関わる問題が起こっていようとは思ってもいなかった。日記を見る限り、彼女は海外旅行などにも行き、人生を楽しんでいている様子で心配もしていなかったのだ。ただ、日記が断続的にしかつけられていなかったのは、辛いことはいっさい書かず、楽しかったことだけを抽出していたからだとも言えるのではないか。そう思うと、彼女と連絡さえ取ろうとしなかったこの1年の自分を悔やむ。


 彼女が参加していたmixiのコミュニティを見ていると「田原総一朗」、「姜尚中」、「佐藤優」など僕が知っている彼女から考えると予想外のものもあって驚く。「なぎら健壱」、「つげ忠男」、「林静一」などは僕の知っている彼女らしいのだが。そして、大学の卒論に選んだ「椎名麟三」のコミュニティにも参加している。彼女の日記の中で珍しく文学に触れているのが、椎名麟三の「美しい女」を再読したという記述。この本を読んだきっかけを〈最近、学生の頃の仲間が集まる機会があり、何かを思い出したのかもしれません。〉と書いている。その仲間のひとりが僕だ。



深夜の酒宴・美しい女 (講談社文芸文庫)



 大学生になった頃、大学で文学好きの女性を見つけて卒業したらすぐに結婚して家庭を築こうという人生設計を立てていた。大学のキャンパスは飛翔のための滑走路のはずだった。その最初のパートナー候補として僕が選んだのが彼女であった。現実の人生はまったく設計図通り行かず、僕はあれから30年近くテイクオフできずに滑走路で助走を続けているよと彼女に言ったらどんなふうに笑うだろうか。それともまた困ったような顔をするだろうか。


 風呂から上がって、彼女の最後につけた月の日記を読み返す。コーヒーを飲みに行ったという記述が目につく。「エチオピア」や「トアルコ・トラジャ」などを飲んでいる。読み返しているうちに、もうコーヒーを飲むことのできない彼女の代わりにこれからおいしいコーヒーをたくさん飲んでやろうかという気になる。酒に強くない僕には彼女の好きなワインはちょっと荷が重い。



 午後、家を出て2駅ほど電車に乗り、愛用している自家焙煎の店で3種類の豆を買ってくる。


 帰宅後、早速電動ミルで豆を挽き、ペーパーフィルターを使った「かなざわ式珈琲」を淹れてみる。お手本はこれ。

  • 金澤政幸「コーノ式かなざわ珈琲」(大和書房)


コーノ式かなざわ珈琲 美味しいコーヒーの約束

コーノ式かなざわ珈琲 美味しいコーヒーの約束


 一杯分の珈琲をそのまま淹れるのではなく、3分の1カップだけ豆から抽出し、その濃縮コーヒーを3分の2のお湯で割って一杯分にするというやり方。初めてやったけどこれはこれでうまい。


 明日もうまいコーヒーを飲もうと思う。