慰撫のすべて。


 今日は休日出勤で午前中から野外仕事。昼過ぎに屋内に戻り、机周りや資料室の整理などをして過ごす。年末の山場は去り、忘年会も終わり、冬の昼下がりにほんのつかの間陽が当たってホッとできるような時期に入った。ただ、北風が冷たい外の仕事は30日まで続くが。


 仕事を終えて知人のやっているパン屋まで歩く。ドイツでクリスマスケーキとして食べる焼き菓子を買いにきたのだ。ケーキはもう最後のひとつだった。そうだ今日はクリスマスイブだったな。



 パン屋の後は定番になったあゆみbooksへ。

 まずは2階のコミックス売り場へ行き、探していたこのマンガを見つける。

戦争と一人の女


 この作品を褒めている人が何人かいたので、坂口安吾を卒論とした者としてやはり読んでみたくなった。



 一階に戻るとエッセイの棚からこれを手に取る。

[rakuten:neowing-r:10911768:image]


 年末恒例の中野翠コラム本。『サンデー毎日』の連載1年分だ。これを見るとああ今年も終わるのだなと実感する。あと1週間もすればこの本を持って実家に帰省することになる。



 地元に戻り、CDショップで“完全限定生産”を謳う「ベツレヘム・オリジナル・アルバム・コレクション」からカーメン・マクレエメル・トーメの持っていないヴォーカルアルバムを買う。1枚1000円はうれしいな。



 家までのバスを途中下車して床屋へ寄る。新年を迎えるにあたって頭もさっぱりしておく。


 帰宅して買ってきたCDを聴きながら「戦争と一人の女」を読む。これは太平洋戦争中、東京で暮す男女の姿を描いた坂口安吾の「戦争と一人の女」と「続戦争と一人の女」を原作として漫画化したもの。原作をほぼ忠実に再現しながら、原作に従属しない自立した見事な作品になっている。安吾は戦後、無頼派と呼ばれ“肉体”という言葉をよく使い、頭でっかちな思想よりも生身の肉体による思考を描いたと目されている作家であるが、戦前の初期作品に顕著なようにもともと観念的な作家であり、その傾向は戦後の作品においても基本的に変っていないように思われる。だから、むかし、「戦争と一人の女」と「続」を読んだ時にもここに出てくる「女」も何か観念的な存在としてしか感じられなかった。しかし、この漫画の「女」は確かな存在感を持って描かれており、特にその顔の表情には何度もゾクッとさせられた。むしろ、この作品を読むことによって安吾の「戦争と一人の女」連作のよさが初めて分かったような気さえした。いい作品だな。近藤ようこ、すごいよ。
 近藤さんは原作に2000年に出た最新版坂口安吾全集に初めて収録されたGHQの検閲による削除を復元した“無削除版”を使っており、これは文庫では「桜の森の満開の下・白痴他十二篇」(岩波文庫)で読むことができる(その他、 講談社文芸文庫の「戦後短篇小説再発見2 性の根源へ」にも収録されている)。僕が学生だった頃使っていた冬樹社版全集やちくま文庫版全集にはまだ入っていなかったのでこの“無削除版”を実はまだ読んでいないのだ。岩波文庫講談社文芸文庫も持っているはずなので探して読んでみることにしよう。


桜の森の満開の下・白痴 他十二篇 (岩波文庫)


 この連休はなんだかんだと仕事をしていたので、今度の木曜日に取れる休みには映画でも見ようと「007 スカイフォール」のIMAX劇場チケットのネット予約をする。午前中に映画を見て、午後は世田谷美術館松本竣介展を見に行くつもりなのだ。これが年末の仕事をなんとかこなした自分自身へのささやかな慰撫だ。