バッド・ライトイヤー。

 5時前に職場を出るなんていつ以来だろう。


 このところの胃の痛くなる日々の中でエアポケットのような一日だ。今年に入ってから続いている耳の不調を診てもらうため5時まで受け付けている耳鼻科に急ぐ。



 待合室のソファーは人々で埋まっていた。空きを探して座り、文庫本を読んで自分の番を待つ。いつのまにか文庫を脇に置いて眠っていた。自分の名を呼ぶ声で起こされる。



 右耳は鼓膜付近まで炎症をおこしており、「あまり耳掃除をしすぎないように。あとよく睡眠をとってください」と医者に言われる。この数週間のへとへとの日々を見透かされたような気分で医院を出る。



 耳鼻科の近くにある普段余り足を踏み入れない新古書店に行ってみる。700円以上買うとレジでサイコロがふれてぞろ目が出ると割引もしくはタダになるという不思議なキャンペーンをやっていた。残念ながら買いたい本も見当たらず店を出た。



 よくいくサブカル系古本屋も今日は見るだけで終わり、新刊書店へ。


21世紀の落語入門 幻冬舎新書 / 小谷野敦 【新書】

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 当今の“私小説”書きであるこの2人の著者のものを同時に買ったのは単なる偶然。でもどこか揃い過ぎているような気恥ずかしさとともにレジへ。




 夕食を食べに入った蕎麦屋で小谷野本の序言を読む。いつもの小谷野節炸裂。あれこれ思うところもあるが、〈「寄席へ行け、そうでなければ落語を聴いたとはいえない」というのも、「落語は古い名人のものを録音で聴けばいい、今の落語など聴いてもしょうがない」というのもいずれも極論だが、私はそのどちらもとらない。古い名人の録音も聴き、もし機会があったら今の落語家のものも聴き、可能なら生で聴いてもよし、というのが私の立場である。〉という箇所には共感を覚える。ただ、〈可能なら生で聴いてもよし〉ではなく〈可能なら生で聴いてみたい〉だけどね。



 帰宅して今日買ってきた廉価版CDを2枚聴く。


ウェスタン組曲

ウェスタン組曲

シェリフ

シェリフ




 偶然こちらも西部劇系の2枚になった。アルバムはなかなかいいのだけれど、今日の僕はカウボーイのウッディというよりはバズ・ライトイヤーの方だろう。



 これから処方された点耳液を耳に垂らして昨日エアチェックした「小西康陽これからの人生」を聴きながら医者の言いつけを守り早寝します。