ぼくが電話を受けている場所。

 しばらく前に職場に電話がかかってきた。初めての人からだった。仕事に関する営業の電話だ。営業の内容はこの時期には他社からも繰り返しかかってくるようなごく普通のものであったのだが、突然電話の向こうから「古本はお好きですか?」と質問が飛んできた。当然のことだが、この手の仕事関係の電話でいきなり「古本」の話がでることなどまず考えられない。その後のやりとりから察するにこのブログの存在を念頭に置いての質問だと思われた。



 しかし、僕は仕事とプライベートは明確に分けたいと考えている人間なのでこのブログで仕事に関してその内容を具体的に述べることは極力していない。また、仕事の世界にプライベートであるブログの世界を持ち込むこともしていない。それがこのブログを始めるにあたって自分に課したことのひとつであった。そのため、電話の質問にも言葉を濁して仕事の話を続けた。




 不思議な思いを抱きながら面会の約束をして電話を切った。





 今日、その営業の人と職場で会った。見本となる製品を僕に見せにきたのだ。もちろん、初めて会う人で面識はなかった。今日はその仕事の話のみだった。「古本」はなし。



 その人が去った後、置いて行った製品見本を手に取り、何度も眺めているうちにすべてが分かった気がした。そうか、これは僕が愛読しているあるブログを書いているあの方が作ったものなのではないか。僕のブログを読んでくれているあの方であるならば、僕がこの職場にいる可能性が高いと考えて営業の人に「もしかしたら古本好きのこういう人がいるかもしれませんよ」と話したとしても不思議ではない。そう思ったらなんだかその想像が楽しくなってしまった。


 一度そう考えたら、この見本があの方の手になるものであることは疑いようのない事実であるとしか考えられなくなった。そのデザインも、製品に書かれている文字もあのブログで読んだあれこれにすべて合致する。


 そう思ってもう一度手に取って繰り返し眺めてみる。僕もこの業界の人間なのでこのような製品見本は山のように見ているからその善し悪しに関しては多少目は利くつもりだ。この種の製品の特徴として形や大きさはどれをとってもみな同じである。しかし、この製品見本からは外観にしても中身にしても他社のものとは違うものを作ろうという作り手の思いが手に取るように分かる。神は細部に宿るというが、細部にいろいろな遊びがあって楽しい作りになっている。そして、この製品に遊びを入れることがどれほど大変かは使っている僕たちには充分理解できる。規定はしっかり押さえた上でそこに新しいものを取り入れて周囲を納得させる形にする努力は並大抵ではなかっただろう。立てられた企画をこのような形になるまでに仕上げられたことにまずは拍手をおくりたいと思う。今の僕には拍手をおくることしかできないけれど、この製品が多くの人たちの手に届くようになるといいなと思う。



 もし、この僕の想像が間違っていたらごめんなさい。



 こんな楽しい想像をしているうちに退勤。



 本屋へ。


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 5月の文春文庫の新刊から2冊選ぶ。


 丸谷本は単行本で読んでいるのだが、文庫で再読しようと思い買う。松井本は円朝が出てくる小説とあらば落語ファンとして見逃せない。


 また、前者の解説が鴻巣友季子氏、後者の解説対談が春風亭小朝師匠であるのもお得感あり。

 
 ちくま文庫の新刊はまだ棚になかった。入荷は明日か。


 それを楽しみにまた明日本屋に行くのである。