暮れの走読。


 いつの間にか師走がスタートし、気がつけば周囲がせわしなく走りはじめており、つられるようにこちらもバタバタと足音を立てながら日々駆けずり回ることになる。


 毎年の恒例行事のようなものだが、この忙しなさにはいつも面食らう。今日も忙しく仕事に追われ、夕方には目も頭も疲れたので退勤する。


 本屋へ。


もの食う本 (ちくま文庫)

もの食う本 (ちくま文庫)

探訪記者松崎天民

探訪記者松崎天民

野蛮な読書

野蛮な読書

 


 欲しい本をごっそり小脇に抱えた快感と共にレジに並ぶ。「8時だョ!全員集合」オープニングのお約束「オイーッス!」のように今日も繰り返される「お客様当店のポイントカードはお持ちですか?」という勧誘をすり抜け、本の気が香ばしく香る4冊を手に店を後にする。



 帰宅するとポストに『Monthly Takamitsu』163号が届いていた。


 この時期にきた『マンスリー』とあればやはり「あのこと」について触れられているのではないかと思いながら読み始める。
 初めに志ん朝ゆかりの大須演芸場で行われた左談次・ブラック二人会のレポートが出てくるが、ゲストが月亭可朝川柳川柳というこの濃さ。演劇、大唐十郎展と続いて最後にやはり先日この世を去った立川流家元・立川談志追悼が。家元のライブを見て聞いて「みな、俺だけの談志、私だけの談志が生まれる」と岡町さんは言う。正直、立川談志という落語家のすごさを僕はよく分からない。すごいことは分かる。あの志の輔談春志らく、談笑をあそこまで心酔させるのだ。だから、興味があるし、もっと知りたい感じたいと思う。僕は生前の家元の高座を一度も生で聴いたことがない。もちろん、CDやDVDなら多少は持っているし、追悼番組なども録画して観てもいる。しかし、ライブでしか感じることのできないアウラを肌で実感することはもう不可能だ。あとは、今ライブで観ることできる立川流の弟子たちの高座を通してその姿の中に家元の姿とそのすごさの意味を求めていくしかないのだろう。
 とりあえず、志の輔談春の高座に無性に行きたくなった。



 買ってきた本を眺める。

 平松本は同時期に何冊か出た読書本の中でもそのカバーの絵が印象的だった。赤い背景に机に座ってなにか作業をする少女の絵。

 坪内本はカバーの天民らしき記者の絵がいい味を出している。

 岡崎本は各章の扉に岡崎さんの手になるイラストが添えられている。個人的には第6章の山頂で「いらっしゃいませー」と叫んで木霊を呼んでいる若者を見ている熟年登山者が「あいつ、ブックオフの店員だな」と呟いている絵が好きだな。

 木村本はもちろん武藤良子画伯の絵だ。『ちくま』連載の時にもいい絵だなと思ったが、文庫というサイズと枠の中で観るとまた一層映えるような気がする。



 ああ、今月はこれからもまだまだ欲しい本、読みたい本が出版される。速読に対する能力も興味もなく、のんびり散歩をするように本を読むのが好きなのだが、これだけ読みたい本が溢れてくるとちょっとジョギング程度に走りながら年の瀬にあれこれ本を読みたいという気持ちになってくる。