日傘のような雨傘持って。

 朝起きて、昨晩録画しておいたTBS落語研究会立川志の輔みどりの窓口」を観ながら支度を整え、休日出張野外仕事へ出発。


 天気予報によると午後遅くから雨となるらしいので傘を持って家を出る。日曜の朝は遠慮なく晴れ渡っており、手にある傘は日傘のつもりにしか見えない。


 仕事場に着くと会場全体に風が吹き荒れており、仮設テントなども今にも天空高く吹き上げられそうだ。まるでマルケス百年の孤独」のマコンド村の最後のような砂埃舞う会場で1日を過ごす。目に入ったゴミで出た涙を拭こうとティッシュでぬぐったら紙が茶色くなった。


 昼休みは休憩所に逃げ込み、携帯本の小谷野敦「友達がいないということ」(ちくまプリマー新書)を読む。さまざまな文学作品やエッセイ・評論を題材に“友達がいない”ことをめぐり、おなじみの小谷野節が楽しめる。


友達がいないということ (ちくまプリマー新書)

友達がいないということ (ちくまプリマー新書)



 午後、仕事がひと段落ついたところで突然の雨。強い雨と風が間欠泉のように断続的にやってくる。いそいで片付けをして引き上げる。本日の成果は、まあ一勝一敗といった感じ。その一敗部分の担当であった女子メンバー2人が泣き出してしばし動けず。直接僕が関わることが少ない人たちだったため、彼女らの指導的立場の若いスタッフ2人に話を聞いてもらい、慰めてもらってようやく仕事が終わる。


 ようやく本来の雨傘としての存在感を取り戻した傘をさして帰る。


 バスで横浜駅に出て、西口の有隣堂で本を買う。

  • 荒島晃宏「映画館のまわし者」(SCREEN新書)
  • 大島渚「わが封殺せしリリシズム」(清流出版)

映画館のまわし者―ある映写技術者のつぶやき (SCREEN新書)

映画館のまわし者―ある映写技術者のつぶやき (SCREEN新書)

わが封殺せしリリシズム

わが封殺せしリリシズム



 この2冊を持ってレジに並ぶ。先週ここに来た時に担当してくれた初恋の人と同じ名字を持つステキで可愛いらしい女性店員を探したが今日はいなかった。


 地元駅前のauショップへ行き、今使っている携帯電話の最新モデルが7月に出るためその予約をする。これで僕もスマートフォンデビューをすることになるのだが、天邪鬼なのでみんなが使っているiPhoneではなくこれにする。これで初代から三代までのINFOBARを使うことになった。仕事を含めてあれこれが何も変わらずに続いて行く重苦しい印象がある今日この頃にちょっとうんざりとしていたため、7月になれば携帯が変わるということで少し先行きに変化があるような気分が欲しかったのだと思う。


 帰宅して、大島渚「わが封殺せしリリシズム」から『「衰退」というタイトルーー小林信彦」をつまみ読み。何行か読んでいるうちに既視感が。これは『別冊新評 小林信彦の世界』に収録されていた文章であることに気づく。しかし、内容はほとんど忘れていたので問題なし。小林信彦「笑殺の美学」を出した大光社の編集者に後に『面白半分』を作る佐藤嘉尚氏がいたのか。「笑殺の美学」の編集も氏なのかはこの文章からはそうとも読めるし、そうじゃないとも読める。


 明日も雨か。明日は雨傘を雨傘として家を出ることになりそうだ。