暗闇の中で。


 昼過ぎに懸案の会議を無事に済ませ、ホッとして机に座っていた時に地震がきた。


 けっこう大きい揺れであったため、まずは机の上に備え付けられている棚にぎっしりと詰めたファイルやその上に載せた書類などが崩れ落ちないように椅子から立ち上がり、両手で棚を押さえ揺れがやむのを待っていた。しかし、揺れは簡単におさまらなかった。窓の外を見るとコンクリート製の柱がこれまで見たことのないような姿で大きく左右に揺れている。これを見て初めて自分が日常ではない次元のものに遭遇しているのだと実感した。照明が消え、停電したことが分かる。身中からゾワゾワとした恐怖感がこみ上げてきて、命を失うことへの恐れがチクリとした。


 その後はもうそんな自分の心理をのんびりながめている暇はなく、速やかに建物を出て安全な場所に退避する。


 職場近くの人たちも避難してくる。信号も動かなくなった。よく晴れた午後ののんびりした時間帯である。不思議と静かで、パトカーや救急車のサイレンもまったく聞こえない。駅に様子を見に行った同僚が電車がストップしてしまったことを無線で伝えてきた。すでに携帯はつながらなくなっていた。


 しばらくして空が薄暗くなり、小雨が落ちてきた。消防車と思われるサイレンが聞こえ、ヘリコプターの飛来音もしている。避難所には保育園の子どもや足を痛めた高齢者もおり、いつまでも野外いられないため職場内の建物の広いスペースに移動する。


 停電のため、ポンプを利用している建物内の水道は使えず、暖房もストップ。サーバーがダウンしたためバッテリーで動くパソコンもネットにつながらない。電気に頼るシステムの脆さを実感する。


 もちろん、TVもつかないため、情報はもっぱら携帯のワンセグ機能に頼るしかない。そうこうしているうちに「お台場が燃えている」、「関内駅が崩落したらしい」などという断片的な情報だけが口伝えで聞こえてくる。「鉄道の本日中の復旧の見込みなし」という情報もあり、職場の執行部は本日の泊まり込みを決定した。徒歩で帰れる職員の帰宅は許されており、僕もそれに該当するのだが、セクション毎にチームとなり、時間当番制で職場の保全にあたることになったため、チーフにあたる僕が帰ってはシャレにならない。もちろん、残る。


 携帯は相変わらず、電話もメールもつながらないため職場にある公衆電話で実家に電話。特に被災地にあるわけではないのだが、実家の仕事場は100キロ以上もある荷物の固まりが積み上げられているため、その下で働いている家族の上に荷物が落ちてくれば無事では済まないのだ。母親も弟家族も無事と知り安心する。


 日が暮れると一気に外界と遮断された感じが強くなった。TVやネットからの情報が入らず、乾電池で動くラジオからの情報に皆が聞き入る。避難者を引き取りにきた人の話では、東京や川崎は停電しておらず、職場のあるこの地域だけが停電しているらしい。近くのコンビニやスーパーも停電ではどうしようもなく夜は職場で備蓄していた非常食とペットボトルの水が配られそれで済ます。


 あちこちから集められた懐中電灯やロウソクで灯りを確保しながら同僚たちが働いている。不謹慎な話だが、いつもはそれぞれのセクションでバラバラに働いている者たちが、この災害によってひとつにまとまって動いている姿が見られたのは不幸中の幸であった。寒い中で交通整理にあたったり、避難してきた子どもの面倒をみる姿を見ていると単純にいい同僚たちと働けているのだなと思え、何か救われる気がしたのだ。


 ようやく12時前に電気が戻り、職場に安堵の声が流れた。さっそくTVやネットで地震の実態を知る。暗闇で想像していた以上の状況にただ見入るしかない。


 横になる場所もないため椅子に座って都合2時間ほど仮眠をして朝を迎えた。